第2話 日本画家・天野忠臣
「なに? その絵は?」
台所に向かっていた遙日が振り向く。天野が持ち帰って来た絵を広げてキャンパスに
掛けたのである。
「仕事だよ」
天野の返事はそっけない。
「凄い妖気ね」
振り返らずに遙日は言う。
「腐っても狩野丹海。なまなかな代物ではない」
「で、その絵をどうするの?」
「怪異が起こらぬよう処置して欲しいそうだ」
エプロンで手を拭きながら鳴神遙日は天野忠臣の横に立ち絵を眺めた。
「綺麗な絵ね。なぜこうまで妖気を放つのかしら」
鳴神遙日は若く美しい牝鹿を思わす容貌をしている。目がくりりと大きく筋肉が引き
締まっている。腰まで伸びた髪を無造作にくくっていた。
「さてね。予想が当たっていれば良いのだが」
天野は三脚とカメラを持ち出した。
「なにをするの?」
「どうせ絵をいじくる事になる。前の絵の保存と妖気の確認をするのさ」
天野は絵の写真を数枚撮ると、フィルムを差し替えた。
「そのフィルムは?」
「赤外線フィルム」
遙日は察しが良い。
「ははぁ。絵の下に何かあると思っているのね?」
「そう言う事」
「出来たら見せて頂戴。私は夕飯を作っておくわ」
「いつもすまんね」
「前は出来なかったからね」
遙日は悪戯っぽく笑った。
「で、どうだったの?」
「予想は当たってた。見るかい?」
肉じゃがを頬張りながら天野は答えた。
「どうせろくな代物じゃないんでしょ? 夕飯をかたしてから見るわ」
「賢明だね」天野は苦笑した。
夕食後、遙日は天野の膝枕で写真を眺めた。
猫でも飼っている気分だと天野は苦笑する。少なくともイヤではないらしい。
「ふぅうん」
遙日は鼻を鳴らした。
「良くは分からないけど、あの絵の下に地獄絵図が描かれていたのね」
下に隠されていた絵は壮絶の一言に尽きた。
ススキ野には無数の死体が放置されている。まだ新しい死体から、腐りかけの死体、
白骨化したものそれら多数の死体を念入りに丁寧に描いている。女の立ち姿の位地には
白木蓮が月の明かりに白々と照らされている。夕日のかわりに朧月夜が描かれていた。
「こういう光景を丹海は実際に見たんだろうね。生きながら地獄へ浸かって行ったのだ
ろう」
天野の声にはかすかに憐憫が混じっていた。
画家として天野は狩野丹海に通じるものを感じていた。
「で、どうするの? 分からぬように複製品でも描くの? これは燃やさないとどうに
もならないでしょう」
「そこをどうにかするのがプロと言うものさ」
天野は微かに笑ったものの、手段は思いつかなかった。
翌朝、遙日は朝日にベッドの上で目覚めた。横にいるはずの男の姿はない。
アトリエに下りて見ると天野が筆を取っていた。
絵は変わっていない。
にも関わらず、絵の妖気は消え去っていた。
遙日は素肌にシーツを巻き付けただけで、天野のもとに下りて行った。
「なにをしたの?」
天野はにやりと笑ってみせた。
「狩野丹海は書き連ねたは良いが仕上げをしていなかった。その絵の仕上げをしたの
さ」
「具体的に教えて」
「表面をはがしてね、月を後光に見立てて阿弥陀如来を描いたのさ。今、そのはがし
た分の修復をしている。」
(ああ、その手があったか!)
遙日は心中舌を巻いたが、おくびにも出さず、「呆れた、それじゃ贋作じゃない?」
と詰め寄った。
「この世界、贋作が目白押しなんだぜ。贋作家でも喰っていけるな」
熱心に修復しながら天野は呵々大笑した。(了)
木蓮 桐生 慎 @hakubi7
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