5・こーちゃんと海莉(後編)
「『お土産はいらない。土産話を楽しみにしてる』とのことだけど、当然話せるようなことはないからお土産持ってきた」
ひとしきり抱き合ったあと、ベッドから降りた海莉は拗ねていた私を揶揄うように口調を真似して言う。
「なにそれ」
「折衷案」
彼女が鞄から取り出したのは、コンパクトなサイズの三段重ねの弁当箱だった。
「私が料理できるようになったら、こーちゃんを
それぞれにおかずと、白米と、お味噌汁が入っており、慎ましくもありがたくて幸せな景色がローテーブルに展開される。
「お母さんのより美味しくないと思うし、完全栄養食より栄養ないと思うけど……まっ今後に乞うご期待ということで」
ご賞味あれ、と箸を差し出され、いただきますと言ってから口をつける。
「……こーちゃん?」
「……美味しい」
一口食べる度に、視界がボヤける。彼女の心遣いが全身に行き渡る。だんだん嗚咽が激しくなって、手が震えて、上手に食べられなくなる。
「ごちそうさまでした」
なんとか食べきって、箸を置いてから言うと、海莉は私の顔を浸している涙を拭いてくれた。
「こーちゃん。何回忘れてもいいから、何回でも思い出して」
心が溶かされていく。満たされて、溢れていく。
「私達似た者同士なんだよ。こーちゃんが寂しい時、私だってちゃんと寂しいんだよ」
いつかの日のように、どちらからともなく指を絡めて、握り合った。
互いの体温が循環を始めて、二つが一つになる感覚に包まれる。
「ごめん」
ふと、どこかで読んだ一節が脳裏に浮かんだ。『心がしんどい時は、小さいものを愛でなさい』私は、静かに釈然とした。考えても思い浮かばなかったそれは、探す必要も見つける必要もなかった。だって、ここにある。
「ごめんね、海莉」
彼女に包まれることでしか安寧を得ることができない、小さな小さな魂を、私はそっと、愛でてやれば良かったんだ。
×
その夜、海莉の勢いはまさに怒涛だった。シャワーを浴びたいという私の要求をにべもなく却下して服を剥ぎ取り、電気も消さないで覆いかぶさり蠱惑的な手指で弄ぶ。
「私がするんだからこーちゃんは動かないで」
されている最中、あらゆる感覚がチカチカと脳内で飛び回っている状態で、それでも私は海莉の肢体に手を伸ばした。少し慌てるような声でそれを制する彼女に、私は異を唱えた。
「やだ、一緒がいい」
まずは、第一歩。私が私の思いを伝える。流されずに、甘えずに、彼女にしたいことを言う。それは海莉も望んでいたことのはずだ。『良く言えました』と頭を撫でてもらえるはずだ。しかし――
「っ……ごめん、こーちゃん。今日はちょっと、自制できないかもしれない」
――眼光を刃物のように鋭く尖らせた海莉は、吐息を獣のそれに変えて更に荒ぶる。なんで、どうして。儚い疑問符はやがて快感で押し流され、私は結局
×
気がつくと私は、解像度の低い教会で海莉と向かい合っていた。
互いにベールを持ち上げたあと、瞳を閉じた彼女の唇へなんの臆面もなく私が口づけを交わせば観衆から拍手が巻き起こる。
眼球だけ動かしてそれらを見やれば、海莉の家族はもちろん、私の両親も満面の笑みを浮かべている。そのあり得ない光景に、悲しいけれど私はここが夢の中だと気づいた。
気づきながらも、夢の中だからこそ、両親に向かって産んでくれてありがとうと叫んだ。海莉は「よかったね、よかったね」と言いながら泣き出してしまい、つられて私も涙腺が熱くなる。やがてその熱は、私を現実の夜に引き戻した。
「怖い夢でも見た?」
「ううん、幸せな夢」
眠りに落ちる寸前の、細くなった瞳で私を眺めていたらしい海莉は、私の頬を伝う涙を人差し指で拭ってから、木漏れ日よりも優しい声で言う。
「じゃあすぐまた寝なきゃね。続きを見ておいで」
「……いい」
左手で、彼女の右手を握りしめ。右手を、彼女の頬に添えた。
「いいって?」
「夢よりも、海莉を見てたい」
眠れば見られる夢ではなくて、起きていなければ――生きていなければ――見られない海莉を、見ていたい。
「私も。私もずっと、こーちゃんを見ていたいな」
きっと明日には、全てがダメになっている。私のような人間は、そんな予感に毎日襲われている。もしかすると私は明日、何もかもが嫌になって、仕事を放棄して人気のない場所へと向かい、飲めない酒を浴びるように飲んでから、冷たい海に向かって走り出すかもしれない。
「ずっと、ずっと。私の視線の先にいてね」
だけど、だからこそ今日は、海莉を抱きしめていよう。
明日も、こんな今日を迎えたいと思うために。
きっと明日には、全てがダメになっている 燈外町 猶 @Toutoma
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