第103話 エレキテル


 ゲンノウは、浪人の後頭部に針を刺した。

 垂直に刺したのではない。針先が頭部に向かい、斜めに潜り込む角度で刺したのだ。

 深く刺す。

 

 見ていた弥吉は背筋が冷たくなり、恐怖で全身が強張った。

 ゲンノウは、約三寸(9cm)の長さの針を根元まで浪人の頭部に潜り込ませたのだ。

 容赦のない深さであった。


 しかし、浪人は一切の抵抗を見せなかった。

 普通の人間ならば、針が肉体のどこかに刺さった瞬間に、痛みを感じ、何かしらの反応を見せるはずである。

 がまんをしていても、反射的に筋肉が緊張する。

 それが無かった。


 ゲンノウは二本目の棒を手に取った。

 これも一本目と同様、先端から針が飛び出し、尻から長い紐が垂れ、横にある木箱に繋がっている。

 そして、この針も深く浪人の後頭部に突き刺した。

 一本目とは違い、やや右耳よりの位置である。

 それでも浪人は動かない。


 「……ゲンノウのおじさん」

 弥吉は声を絞り出した。

 「だ、だいじょうぶなの?

 浪人のおじさん、死んじゃったんじゃないの?」

 弥吉が問うと、ゲンノウは二本目の棒から手を離して、こちらを見た。


 「弥吉。以前、オレは雷を作れると言ったのを覚えているか?」

 弥吉の質問には答えず、ゲンノウはそう言った。

 

 「雷?」

 弥吉は、ゲンノウが何を言っているのか分からなかった。

 目の前の光景が強烈過ぎて、頭の奥底がしびれたようになっている。

 うまく頭が動かないのだ。


 「エレキテルだ」

 「エレキテル?」


 「お前と初めて出会った日、オレは、エレキテルと言うからくりで、雷を作ることができると教えてやったであろう」


 「……」

 弥吉は、ようやく思い出した。

 あれは沢の底でのことだ。

 ランガクシャは何者かと、弥吉が質問したときのことである。

 ゲンノウは、蘭学者は医者であり、技師でもあり、絵師でもあり、科学者でもあると言い、雷を作ることもできるとも言ったのだ。

 弥吉は信じられなかったが、ゲンノウは『お前が見たいと言うのなら、見せてやってもよい』とまで言った。


 「弥吉。雷をみせてやろう。

 こちらに来て手伝え」

 ゲンノウは、そのときと似た言葉を口にした。

 拒絶したかったが、この異様な状況の中で、ゲンノウの言葉に逆らうことはできなかった。

 弥吉は寝台を回り込み、ゲンノウのそばにまで移動した。


 「怖がらなくともよい」

 弥吉は、優しくゲンノウに背中を叩かれた。

 その仕草は、以前のゲンノウと変わらず、優しいものであった。

 弥吉には、逆にそれが恐ろしかった。

 

 「よいか、この大きな木箱があるであろう。

 うむ。棒から伸びる紐が繋がっている、この木箱だ。

 これはオレが作ったエレキテルよ。

 ここに舵輪がある。これを回すのだ。

 最初は重いが、勢いが付けば力はさほどいらぬ」

 ゲンノウは木箱の側面についている円形の舵輪を示して言った。

 「この持ち手を使い、横から回せば良い」


 ゲンノウの言う持ち手とは、舵輪の円周から外に向かい、均等に突き出ている持ち手のことではなかった。舵輪の円周部から、正面に向かって突き出すように伸びている持ち手である。

 弥吉はゲンノウに言われるまま、舵輪の正面ではなく横に立ち、突き出している持ち手を握った。

 「……ん」

 円周に沿うように持ち手を引く。

 そこそこに重い。

 手前まで引き、今度は下に向かって円周に沿うように押す。

 取っ手が半円を描き、反対側まで達すると、その勢いを使って、今度は上に向かって円周に沿うように引く。

 腕の力だけではなく、腰を使い、自分の体重を利用して舵輪を回す。


 「おう。上手いものだな」

 ゲンノウが感心したように言う。


 二回転、三回転と続けていくと、どんどんと舵輪が軽くなる。

 それに合わせて、木箱の中でブーーンと低い音が鳴り始めた。

 

 「弥吉。エレキテルの上を見てみよ」

 ゲンノウが言う。

 エレキテルの上、天板の部分からは、昆虫の触角のように途中から二つに分かれた銅線が突き出ていた。


 ゲンノウは腰から金属製の笄を引き抜いた。

 笄(こうがい)とは、髷を結うときなどに使用する細い棒状の道具である。

 ゲンノウは笄を触角のような銅線へと近づける。

 笄が銅線へ触れる寸前、不意に青白い光がバチリと走った。

 笄と銅線の短い隙間を小さな稲妻が繋いだのだ。 


 「わッ!」と弥吉は驚いた。

 短く、一瞬であったが、たしかに、そこに雷が生まれたのである。


 「このエレキテルを使えば、色々と面白いことができるのだ」

 ゲンノウが楽しそうに言う。


 ゲンノウの言葉に、弥吉は改めて、エレキテルと呼ばれる木箱から伸びている二本の紐を見た。

 伸びた紐は木の棒に繋がり、木の棒から突き出ていた細長い針は、上半身を折り曲げ頭を下げている浪人の後頭部に刺さっている。

 ……面白いことなどない。

 禍々しい予感を覚え、弥吉は顔を白くしていた。

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