第98話 怪物


 「話の続きって何だい?」

 弥吉が怪訝な顔になると、ゲンノウはこう答えた。


 「とても仕官が叶いそうにない、弱そうな浪人の話だ」

 「……え?」

 弥吉は話が飲み込めなかった。

 それは架空の浪人の話ではなかったのか。

 

 「その浪人の手伝いをし、駄賃をもらうという名目で、時折ここに来て、オレの手伝いをして欲しいのだ」

 とまどう弥吉を見たゲンノウは、小さく笑いながら言う。


 「なんだい、そう言う意味なのか」

 からかわれたと知り、ちょっと口を尖らせた弥吉だが、すぐに気を取り直した。

 駄賃が出ると言うなら、母のためにも手伝いをしたい。

 「手伝うって、何をすりゃあいいんだい?」


 「たいしたことではない」

 ゲンノウは沢での水汲みや薪集め、野草の採取、磐梯山の道案内などをあげた。

 他にも、雑穀が余っていれば、駄賃とは別に、買い取るような話も出る。

 「父ちゃんに聞かなきゃ分かんないけど、今日、四十文もくれたし、雑穀なら、たぶん大丈夫だよ」

 「蘭学者とは言うなよ。

 くれぐれも、山籠もりをしている浪人と言うのだぞ」

 「分かってるよ。

 ここの御山には、たまに山伏なんかも修行にやってくるからね。

 山籠もりのお侍さんがいたと言っても、父ちゃんも母ちゃんも不思議に思わないさ」


 二人の間で話がまとまり、最初の手伝いは明後日の午前中と言うことになった。

 「じゃあね、おじさん」

 「弥吉。今日は助かった。礼を言う」

 ゲンノウの言葉をくすぐったい思いで聞きながら、弥吉は洞窟から外に出た。

 山道に戻るため、ゲンノウが熊よけの犬を飼っているという洞窟の前を通る。

 組んだ木々で硬く出入り口を閉ざされた洞窟である。

 ……ゲンノウのおじさんも間抜けだな。

 これじゃ、いざ熊が来ても、犬が出てこれないだろうに。

 弥吉は、そんなことを考えながら山道へと戻った。


   ◇◆◇◆◇◆


 翌々日。

 弥吉は父からもらった雑穀をずた袋に入れて、ゲンノウの洞窟へと出向いた。

 父は、水汲み程度で四十文を払う浪人なら、これも売って来いと、雑穀だけではなく、小さな芋や干した川魚も弥吉に渡した。

 

 「おお、何やら色々と持って来てくれたのう」

 ずた袋を覗き込んだゲンノウは、面白そうに言う。

 弥吉は、自分の父の欲深さを覗き込まれたようで、思わずゲンノウから視線をそらす。

 しかし、ゲンノウはすべて分かっていると言う顔で目を細め、弥吉が持ってきたずた袋の中身をすべて買い取ってくれた。

 その後、弥吉は沢まで降りで水を汲み、後は、ほどよく日陰になる場所にゲンノウと座り、色々と話をした。

 磐梯山の地形。棲息する動物。点在する村の場所。住んでいる村人たち。

 ゲンノウは、誰が村一番の働き者で、誰が厄介者なのかまで弥吉から聞き出し、面白おかしい寸評を加える。

 ゲンノウが聞き上手なため、弥吉は多くのことを話した。

 手伝いと言っても、並んで話す時間の方が多かったほどである。


 そのような手伝いの日が三日に一度はあり、一ヶ月半ほどの日が流れた。

 その間に、ゲンノウが熊の胆を干した薬をくれ、それを飲んだ弥吉の母が体調を回復させたり、喜んだ父が、ゲンノウに礼を言いに行くというのを弥吉が必死に止めたりと、いくつかの出来事があったが、どれもが弥吉にとっては喜ばしいことだった。


 ところがある夜、父が厳しい顔でこう言った。

 「ゲンノウとか言う浪人に会いに行ってはならん」

 「え? どうしてだい?」

 弥吉は驚いた。

 見ると厳しい顔の父の後では、赤子を抱く母も困った顔になっている。

 

 「……磐梯山の奥に怪物が棲みつき、子供を喰らっているんじゃ」

 父はそう言った。

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