第94話 磐梯山
会津の磐梯山で、平賀源内が恐ろしい怪獣を造り上げていた。
そのことを口にした弥吉が、ガタガタと震えはじめた。
恐怖のためか、顔が引きつっている。
「弥吉。どうした?」
後藤が静かな声で優しく問う。
「こここ、殺されます。
あ、ああああ、話してしまった。
源内のことを口にしてしまった。
わわ、私は、ここ、殺される」
尋常の脅えようでは無かった。
「弥吉。私を見ろ。
私の顔を見るのだ」
後藤の言葉で、定まらなかった弥吉の視線が、徐々に落ち着き始めた。
「我らがおる。
町奉行が、お前を守ってやる。
源内に手出しはさせぬ。
分かったな」
「は、は……はい」
後藤に見詰められ、頷いた弥吉の体から震えが収まった。
「落ち着いて話してみよ」
「……どこから話せばよいのか」
「十歳のころ、磐梯山の麓に住んでいたと申したな。
そのころ、源内と初めて出会ったのか」
「左様でございます」
「ならば、そこから話せ。
ゆっくりで良い。
覚えていることをすべて話してみよ」
「……あれは」
弥吉が話し始めた。
「十歳の春でございます。
私は山菜を採りに、磐梯山へと入りました」
◆◇◆◇◆
弥吉は、よく知る山道を登っていた。
ピピッ。チチッ。
山鳥の短い鳴き声が、高い梢から聞こえる。
ときおり山道を外れ、森へと分け入った。
山菜を採るためである。
岩肌から清水が流れ出している場所や、日当たりが悪く湿った場所を探してみるが、いつもなら多く生えているゼンマイやフキ、ミズなどは見当たらなかった。
日当たりの良い場所で、イタドリやコゴミ、ワラビなどを探してみても見当たらない。
「誰かが、先に採っちまったのかな」
弥吉はさらに山奥へと入り込んだ。
それでも思うように山菜は見つからなかった。
これ以上、奥まで入り込むのはどうしたものかと立ち止った時、その声が聞こえてきた。
おーーい。
おーーい。
人間の声である。男の声だ。
弥吉は辺りを見回した。
おーーい。
おーーい。
声のする方向へ進む。
おーーい。
誰かおらぬかーー。
沢から聞こえるようであった。
この辺りの山肌は鋭く切れ込み、その底に川が流れている。
最終的には猪苗代の大きな湖に流れ込む、細い川のひとつである。
「おーーい。
足音が聞こえたぞ。
誰かおるのであろう」
弥吉は山道の端に立ち、急斜面の下を覗き込んだ。
斜面の底を流れる沢の岩場に一人の男がいた。
「おお、小童。
一人か? 大人はおらぬか?」
男は人懐っこい笑顔で弥吉を見上げた。
四十歳後半から五十代に見える男であった。
野良着だが、足は脚絆にわらじを履いている。
猟師のようにも百姓のようにも、そして旅人のようにも見えなかった。
「おら、一人だ」
弥吉が答える。
「沢の水を汲もうとしたら、斜面を滑り落ちてしまってのう。
少し足首を痛めてしまった。
一人で這い上がることもできるが、無理をして、さらに足首を痛めても困る。
見れば、力のありそうな子供ではないか。
少し手を貸してくれぬか」
弥吉を見上げたまま、男はすらすらとそう言った。
「いいよ」と答えようとした弥吉だが、そこで胡散臭さを感じた。
「いいよ」とは言わずに、名前を問うた。
「おじさんは、なんて名前なんだい?」
「オレか。
……オレはゲンノウという者だ」
男は少し間を置き、そう名乗った。
ゲンノウ?
弥吉は眉を寄せた。
そんな名前は聞いたことが無い。
「そんな名前は知らないよ。
どこの村の人間だい?」
「聡い子だな。
オレは、この辺りの人間ではない。
江戸から来たのだ。
江戸のゲンノウだ」
「江戸からだって?」
弥吉は驚いた。
江戸という大きな町があることは知っているが、そこは幾つもの山を越え、何日も歩き続けて到着する場所である。
「おじさんは何者なんだい?」
「オレは蘭学者だ」
ゲンノウはそう答えた。
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