第79話 人魚斬り
◆◇◆◇◆◇◆
人魚は地面に着いた両手で、上半身を起こした。
その姿勢から、左手をたたみ、右手を前に出して腹這いとなる。
前に出した右手で地面をつかみ、体を前に引っ張ると、魚の尾を激しく振り、その勢いで上半身を起こす。
そして、今度は右手をたたみ、左手を前に出しながら腹這いになる。
前に出した左手で地面をつかみ、体を前に引っ張ると、魚の尾を激しく振り、その勢いで上半身を起こす。
不自然で異様な動きであった。
その異様な動きが、早い上に捉えにくい。
景山は右手の十手で、人魚をけん制していた。
近づいた人魚は、十手を警戒したのか、動きを変える。
距離を保ちつつ、景山の背後へ回り込もうとしたのだ。
「ちッ!」
景山は、人魚の動きの意図を察した。
左手は、まだ老人を引き上げている。
後ろに回られると、もはや人魚の攻撃を防ぐことは難しくなる。
が、人魚が景山の後ろに回り込もうとする動きを始めたとき、奇妙なものが人魚の口の左端に現れた。
刀の切っ先である。
切っ先は、縦ではなく、横に寝た形になり、人魚の後から前へ突き出されたようであった。
現れた切っ先は、人魚の薄い上唇を斜めに断ち、鼻の下を右上がりに抜けた。
そのまま右目の下を通過し、右のこめかみに達する。
唇の左端から右のこめかみまで、一気に断ち切られた人魚の頭部が宙に舞った。
人魚の頭部は、ほぼ口から下だけが残った。
頭部の断面から大量の血が噴き出し、人魚は横倒しになる。
倒れた人魚の向こうから、後藤が姿をみせた。
右手は、後から人魚の頭部を斜めに斬り飛ばした刀を握っている。
「後藤ッ!」
景山が驚いた顔になった。
「次がくる!
早く、その漁師を岸へと引き上げろ!」
後藤がそう叫んだ時、別の人魚が姿を現した。
石垣に手をかけ、よじ登って来た人魚が、濠端に両手を掛け、ぐいっと上半身を持ち上げたのだ。
やはり頭髪は無く、全身が水死体のように青紫色にむくんでいる。
「おぬしも、ぬめっておるのう」
後藤は、その人魚に向かって間合いを詰めると、腰を沈めて高さを合わせ、左から右へ、刀を走らせた。
伸びた刃は、人魚の右肩の上を滑った。
人魚の体を覆う、ぬるぬるとした体液が、刃の軌道を不安定に反らすのだ。
このままでは深手を与えることは出来ないが、後藤は刀身が滑ることを計算に入れ、下顎角という位置に刃を入れた。
耳の下から顎の先端にかけての輪郭部分が、下顎角と言われる。
いわゆる「エラ」と呼ばれる部分だ。
そして、人魚のこの部分には、本物の「鰓(えら)」があった。
陸上に上がったためか、閉じてはいるが、三日月の形をした魚のエラに似たものが、下顎角にある。
ここに勢いのついた刀身を滑り込ませた。
深く入ってしまえば、刃が滑ることは無い。
後藤は、一気に斬り上げた。
最初の一匹に対しては、後ろから首を斬り飛ばすつもりで刃を薙いだ。
その斬撃が、人魚の体液で滑ったのだ。
しかし、滑って流れた剣先が、偶然にも人魚のエラに入り込んだ。
……体表は滑る。
……斬り込むなら、耳下のエラ。
……あるいは、目か口だな。
そう理解した後藤は、二匹目の人魚に対しては、意識的にエラを狙い、これも頭部を斜めに断つ形で斬り飛ばしたのである。
景山は、後藤が人魚を切り倒している間に、両手を使って老漁師を引き上げた。
「ああ、あ、ありがとうございます」
九死に一生を得た老漁師は、景山の袴に縋り付きながら礼を言う。
恐怖と濠の水で体温を奪われたためか、ガクガクと細かく震え続けている。
「よいから逃げろ!」
「お侍様、この御恩は、この御恩は一生……」
「よいから手を離せッ!
袴をつかむなッ!
とっとと逃げるのだッ!」
老漁師を怒鳴りつけた景山は、ようやく抜刀した。
人魚は次々と濠端に上がってきている。
「景山!
耳下にあるエラを薙げ!
もしくは、目か口を狙うのだ!」
後藤が叫ぶ。
後藤は近づく人魚に対して、低い軌道で刀を走らせた。
右薙ぎで、人魚の両眼を裂く。
さらに剣先をひるがえし、右から左へ、左薙ぎで、もう一度同じ箇所を切り裂いた。
ぐわわわわわわわわ!
声をあげた人魚は、水かきのある両手で顔を覆い、のたうち回った。
太い魚の尾がバタバタと激しく動き、近くにいた人魚を打つ。
「後藤、なぜこちらに来たのだ!」
景山は、目の前の人魚に斬りつけながら、後藤を責めた。
後藤の助言をすぐさま受け入れ、右薙ぎでエラを狙い、人魚の顎下に刃を滑り込ませる。
頭部を両断する前に、刀を引き抜く。
それでも後頭部の頚椎を断つことになり、斬り込まれたエラと口から血を溢れさせ、人魚は絶命した。
「お前を助けに来たのではないか!」
後藤が三匹目の人魚のエラを抉りながら答える。
「おれのことより、研水殿を守らぬか!」
景山は、次の人魚を切り倒して叫ぶ。
「研水殿なら、大丈夫だ」
そう答えた後藤は、素早く後退して人魚の群と距離を取り、元いた場所に視線を向けた。
研水に、後ろに下がり、濠から離れるよう忠告した場所である。
研水は、後藤の言葉に従い、濠から大きく離れたはずであった。
「……どういうことだ」
後藤の表情が凍りついた。
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