第76話 研水の不安


 「おう。誰の策か知らぬが、思い切ったことをしよったな」

 小舟の動きを解した後藤が、感心したように声をあげた。

 「人魚が、二枚、三枚の網を潜り抜けたとしても、その先に、五枚、十枚の網が道を塞いでおる。

 いずれは網の袋小路に追い込まれ、鉤針で絡め取られる。

 網100枚で人魚一匹と言ったところか。

 効率も何もあったものではないが、これなら逃がすことはあるまい」


 後藤が感心している間に、景山が濠端に向かった。

 「お役目だ。

 通せ。場所を空けよ」

 十手を見せながら野次馬をどかし、景山は最前列まで移動した。

 そこで、濠の小舟に向かって声を張り上げた。


 「南町奉行所でござる!

 各々方、人魚は殺さず、生け捕りにしていただきたい!

 意思疎通ができるなら、問い質したきことがあるのだ!」

 良く通る景山の声が、濠の水面に反響する。


 「生け捕りか」

 「近くで見れるぞ」

 「こりゃ、仕事に戻ってられねえな」

 景山の言葉に、野次馬たちが盛り上がる。


 「ふむ。さすがは景山。

 細かいところに気が付くわ。

 わしでは、こうはいかぬ」

 嬉しそうな顔になった後藤が、研水を見た。

 「良かったな、研水殿。

 もしかすると、囮役を免れるかも知れぬぞ」


 「……は、はい」

 自分の考えに没頭していた研水は、生返事をした。

 嫌な予感が消えない。

 ……違うのだ。

 ……あれは違うのだ。

 ……さっき見た、あの尾は、私が見たものとは違うのだ。

 ……私が見た尾は、ウロコなど無く、黒くぬめりのあるナマズのごとき尾であった。

 ……それだけではない。あのとき、老人から聞いた人魚の風貌ともかけ離れている。


 研水の脳裏に、これまで見た怪物たちが蘇った。

 千両箱を抱えた犬神憑き。

 武士を殺害したまんてこあ。

 多くの捕り方を殺害した、狂った相貌の人面鳥。

 そして景山、後藤から聞いた、武装した旗本勢を一頭で蹴散らしたぐりふぉむ。


 ……人外の化け物。

 ……それを造り上げるだけでも、空恐ろしい。

 ……だが、ただ、それを繰り返すだけなのか?

 ……平賀源内は、怪物創造で満足したのか?

 ……違う。それだけではない。

 ……犬神憑きには、蔵破りを行い、捕り方たちから逃げる知性があった。

 ……ぐりふぉむには、圧倒的な戦闘能力があった。

 ……何かしらの、おぞましい付加価値をつけているのではあるまいか。

 ……ならば、人魚では、何を見せつけてくるのか。


 声が上がった。

 罵声と喚き声である。

 濠では、信じられない光景が広がっていた。

 集結していた小舟が、次々と転覆を始めていたのである。


 「どうしたことだ!」

 横に立つ後藤の目が硬くなった。

 

 濠の水面に、激しく水飛沫が立つ。

 集まった小舟を包み込むほど広範囲に渡って、水面が弾けているのだ。

 その中で、小舟が転覆し、藩士や漁師が水面に叩き込まれる。


 「落ち着け!

 無理に立つな!

 重心を下げよ!」

 そう叫んだ藩士の一人に、水面から跳ね上がった怪物が襲い掛かった。

 巨大な魚のごとき下半身を持つ人魚である。

 しかし、先ほどの腕の長い人魚とは、あきらかに違う個体であった。

 人魚は叫ぶ藩士にぶつかると、そのままもつれるようにして水面に落ちた。


 別の小舟の縁に手を掛け、力任せに傾ける人魚が現れた。

 水面から顔を出し、何とか泳いで逃げようとする藩士にしがみつき、その首筋に牙を立てる人魚が現れた。

 ひとつの小舟に、二匹、三匹と人魚が這い上がってくる。

 青白い肌をした人魚。

 薄緑の肌をした人魚。

 赤黒き肌をした人魚。

 大きな鱗を持つ、鯉のような下半身。

 細かい鱗を持つ、鮭のような下半身。

 青白い鱗。紅色の鱗。黒き鱗。縞のある鱗。

 そして、ナマズのごとき下半身の人魚。


 ……数か。

 研水は、目が眩む思いであった。

 十や二十ではない。

 三十や五十でもきかぬ。

 百に届くのではないか。

 ……創造した怪物を量産する手腕。

 ……源内は、どれほどの数の人魚を造り上げたのか。


 沸き立つ濠の水面の色が赤く染まり始めた。

 藩士や漁師たちの血の色である。

 血の色は、どんどんと濃くなっていった。




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