第72話 人魚の捕獲法
「あれは、外様大名を動かさないという話ではない」
研水に向かって、景山が答えた。
「外様大名に怪物退治を命じ、その結果、それぞれが国許から多くの兵を呼び寄せれば、新たな災いのタネになるかも知れぬという話だ」
ここでは他に耳があるためであろう、景山は『災いのタネ』と言葉を濁したが、外様大名の兵が江戸に多数集まれば、謀反が起きるきっかけになるかも知れないという意味である。
確かに、正しくはそういう話であった。
「見てみよ」
景山の言葉に、研水は改めて濠を見た。
「指揮を執る者、槍を持つ者、あの者たちは江戸に在中している各藩の藩士だが、実際に船を操り、網を仕掛けている者は、雇われた漁師たちだ」
景山の言葉通りである。
小舟の多さと、それぞれの船首になびく各大名家の家紋の旗に圧倒されたが、小舟に乗って動いている者たちは、ほとんどが漁師姿の者であった。
「濠の人魚を捕らえるだけなら、兵はいらぬ。
漁師を雇って捕らえよ。
おそらく、江戸の大名屋敷に詰めている各藩の家老たちは、老中から、そのように命じられたのであろう」
「そういうことでございますか」
外様大名たちは、人魚の捕獲だけではなく、とんでもない数の漁師を雇う出費を命じられたと言うことだ。
負担は大きい。
「実はな、濠に人魚がいるのではないかという噂は、以前よりあったのだ。
ぬえや犬神憑きの件で、世間が騒ぎ出すより前だ」
「真でございますか?」
景山が苦い表情を浮かべて言い、研水は驚いた。
「とは言っても、信憑性はまるで無かったため、酔っぱらいの戯言か、大きな鯉でも見間違えたのであろうと捨てておいた。
後藤など、お城の濠に人魚が棲むなど、風流ではないかとぬかしておったわ」
後藤ならば、言いそうな言葉であった。
当の後藤は、濠の小舟の見物に集まった人々と言葉を交わし、笑い合っている。
さっきまでケンカ腰だった火消しの辰五郎が、一番楽しそうな笑顔を見せていた。
「しかし、犬神憑きの蔵破り、ぬえ殺し、人面鳥の件があった後も、人魚の話は別物だと、気にもしなかったのは失態であった」
景山は小さく唇を噛んだ。
景山は悔いているようだが、これは仕方があるまいと研水は同情した。
何かしらの被害が出たのならばともかく、お濠で人魚を見たという噂だけなら、奉行所が動くことは難しい。
そこまで枠を広げてしまえば、刑場で鬼火を見た、山でキツネに化かされたというような話にまで人を割かねばならなくなる。
「ですが、濠には……」
人魚を捕獲するため、無数の小舟が駆り出されている。
「それは、屋敷で話した通りだ」
研水の問いに、景山が答えた。
「浅草寺の一件で、奉行所は江戸で噂される妖怪や化け物、あやかしの噂をすべて整理し、上にあげたのだ。
この中で、お城の濠に人魚を見たという話が取り上げられ、大騒ぎとなった」
「あ……。
あの、話でございますね」
研水は思い出した。
濠に人魚がいるなら、城側の石垣を這いあがり、上様に危害を加えるかも知れないという話が、景山の屋敷で出たのだ。
「人魚がいる、いないの話ではなく、上様に危害が及ぶ前に、捕獲せよ、退治せよという話になったのであろう。
それでも実際に動くまで、あと数日は掛かるかと思っていたが……。
ぐりふぉむとの一戦、死者の数が桁違いであった。
老中たちも危機感を覚えているのであろう」
「この広いお濠から、どのように人魚を見つけ出し、捕らえるのでしょうか?」
研水は、さらに質問をした。
「さあて、外様大名を動かすのは老中、大目付の役割で、奉行所は関わっておらぬからなあ。
詳しくは分からぬ。
ただ、また聞きでよいなら話してやろう」
「ぜひ」と研水はせがんだ。
「和田倉濠、日比谷濠、桔梗濠、凱旋濠。
神田橋門、常盤橋門、呉服橋門、鍛冶橋門、数寄屋橋門、山下門。
外濠に通じる、あのあたりの濠は、柵によって厳重に封鎖されているはずだ。
つまり、内濠に人魚がいるなら、柵に邪魔されて外濠から海へと逃げることはできぬ。
外濠にいたのなら、柵に邪魔をされて内濠に入ってくることはできぬ」
内濠は閉じられていることになる。
「次に内濠は細かく区分され、各藩は、割り当てられた区分を網で仕切る。
どのようにするのかと思っていたが、ほれ、濠端の岸に、何十本もの杭が打たれておろう。
あの杭に網の端を掛け、逆の端を城側の石垣にまで伸ばして、そこに打ち込むのだ。
これを幾つも渡す。
その後は、網と網と間に、さらなる網を渡す」
景山の説明に、研水は梯子を思い浮かべた。
おそらく内濠を上から見れば、張られた網は、梯子を幾つも並べたような形になるのであろう。
「こうして、内濠に隙間なく幾つもの生簀のごときものを作り、その生簀ごとに上から槍で突き、人魚を仕留めるそうだ。
さらに、内濠を封鎖した柵、張り巡らせた網には、幾つもの鈎針を仕掛けるとも聞いたな。
槍で追い立てられれば、逃げた人魚が、その針に掛かるかも知れぬ」
…………なんとも。
なんとも雑な捕獲法ではないかと研水は危ぶんだ。
「景山様。
その方法で人魚は捕らえることができましょうか?」
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