第70話 呼び掛け


 「後藤」

 景山が苦い顔で、後藤を呼んだ。

 あまり内情を話すなと制止したようであったが、後藤は「まあまあ」と、景山を抑えるように手を振り、話を続けた。


 「おぬしたちは、近頃、江戸を騒がし続ける、化け物どもの話は耳にしたことがあろう」

 後藤の言葉に、徳蔵や佐吉、辰五郎を始め、集まった人々が顔を見合わせた。

 「麒麟が暴れけたと聞いたわ」

 「ぬえが出たと言う話もあったな」

 「わしは、人の顔をした鳥の話を聞いたわい」

 あちこちで怪物騒動を知る者たちの声が聞こえてくる。


 「おお、そこの者。

 今、ぬえと申したか」

 後藤が群衆の一角を指さした。

 「ぬえについては心配はいらぬ。

 あの妖物は、杉原藤一郎という武士が、腹を一文字に切り裂いて、見事に退治した」

 集まった人々が「おお!!」と声をあげる。

 「が、ぬえは姑息にも毒を用い、杉原殿は戦いに勝利されたが、その後、亡くなられた」

 集まった人々が「おお……」と声を落とす。


 「人面鳥の話を聞いたと言う者もいるな」

 後藤がそう言うと、集まった何人かが頷いた。

 「あの恐ろしき鳥は、捕り方七人を殺害したが、ここにいる同心、景山殿が討ち取った」

 集まった人々が、「おおお!!」と声をあげる。

 当人が、この場にいるため、先ほどより感嘆の声が大きい。

 視線が景山に集まった。


 「やめよ、後藤!」

 景山がたまらずに声をあげた。

 「化け物を倒したのは、私一人の力ではない」

 景山は、自分に注目する人々に向かって、はっきりと言った。

 「大勢の捕り方が、身を挺して立ち向かったことが何より大きい。

 そして、捕り方たちに立ち向かう勇気を与えた者こそ、この戸田研水殿だ」

 集まった人々の声が「おおおおお!」と、さらに大きくなり、視線は研水に集まった。


 「か、景山様!」

 まさか自分に振られると思っていなかった研水は、目を丸くして景山を見た。

 注目を浴びることを嫌い、研水に丸投げしたようにしか思えない。


 「景山殿。

 それだけではなかろう」

 後藤が言う。

 「……」

 後藤の言葉の意味を考えるかのように、景山が少しの間、黙り込んだ。

 そして、そばに立つ研水だけが、何とか聞き取れたような小声でポツリとつぶやいた。

 「……そう言うことか」

 聞き取れたが、研水には、どういうことか分からない。


 景山は、人々に向かって再び口を開いた。

 「我らが化け物を倒した後、人面鳥の化け物は、さらに二匹、姿を見せた。

 それを討ち取ったのは、一人の剣術使いであった」

 先ほどのように、誰にともなく言い訳をするような喋り方ではなく、集まった人々に語り掛けている。


 「その者は、千葉周作と名乗った。

 誰か、この者を知らぬか?」

 景山が問うたが、誰も答える者は無い。

 「奉行所でも探しておるが、未だ見つからぬ。

 知る者がいれば、後日もよい、南町奉行所に届け出てもらいたい」


 「好き好んで奉行所に行くヤツはおらんわ」

 後藤が横槍を入れると、人々の中から小さな笑い声が湧く。

 「千葉周作なる者の所在が分かれば、この研水殿に伝えてくれ。

 さすれば、我らに伝わる」

 研水に断りなく、後藤が告げた。

 

 そして後藤は、集まった人々を改めて見回した。

 「先日、浅草寺に現れた麒麟についての話は、多くの者が耳にしたであろう。

 武装した旗本勢六百名が立ち向かい、およそ百名もの死者を出した。

 怪我人は、その数倍である」

 人々は先ほどまでとは違い、静まり返る。


 「そなたたち市井の者が、我ら武士に対し、色々と含むものがあることは知っておる。

 命を落とした旗本にしても、褒美、出世のため、自ら望んで戦ったのであろうと言われればそれまでだ。

 だが、それと同じほどに、この江戸の町を怪物に蹂躙されてなるものかと言う気概があったことは間違いない。

 そのために、麒麟に挑み、死んでいったのだ」

 後藤はひとつ間を置いて続けた。


 「麒麟は姿をくらましたままである。

 我ら奉行所は、次こそ、麒麟を討つ。

 職務である。

 褒美のためである。

 出世のためである。

 そして、この江戸を守るためである」

 人々は黙り込んで聞いている。

 

 「しかし、死闘になろう。

 奉行所が壊滅するかも知れぬ……。

 そなたたち市井の者に頼むことは、筋違いであることは理解しておる。

 だが、それでも力を貸してくれる者がいるなら、共に江戸を守ろう」


 ……これは、人材登用ではないのか。

 後藤の呼び掛けの意味に気付いた研水は、玄白の屋敷を出て、ここに来るまでの間、景山と後藤が交わしていた不可解な会話を思い出した。

 ……あれは、このことだったのか。

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