第66話 命の重さ
しかし、「どうすれば良いのか」と問われても、研水には、戦いのことなど何も分からない。
分からないままに、研水は正直に答えた。
「ただの町医である私に、戦略戦術のことなどは分かりませぬ。
ただ、犠牲ありきではなく、犠牲の出ぬような戦い方を考えていただきたい。
ならば、私も……」
そこまで言って、研水は言葉を詰まらせた。
……囮になると言うのか?
……自分から囮になると言うのか?
言葉を詰まらせたまま、視線を巡らせた。
景山が、こちらを見ている。
後藤が、こちらを見ている。
そして、佐竹もこちらを見ている。
先ほど、言葉を遮ったことに腹を立てているのであろうか、佐竹の視線には、怖いものがにじみ出ていた。
黙ってやり過ごせるような空気では無かった。
「私も、囮に、なりましょう……」
研水は顔を伏せ、消え入りそうな声で言った。
まるで、自分で自分を追い込んでしまったようなものであった。
「よいのだな」
景山が念を押し、研水は唾を飲み込むと、小さく頷いた。
すでに後悔に襲われていたが、もはやどうにもならない。
「……はい」
研水が頷くと、後藤が「佐竹様」と、佐竹に言葉をうながした。
「……命を捨てる覚悟を持つ。
市井の者には分からぬであろうが、これが武士の本分である」
佐竹が目を閉じ、眉の間に深いしわを寄せると、難しい顔で言った。
……通じぬか。
研水が落胆したとき、佐竹が目を開いて続けた。
「だが、おぬしの言うことにも一理ある。
命を軽々に捨てず、麒麟を討つ方法を模索する。
これは、与力たるわしの役目であろう」
そう言った後、佐竹は改めて研水を見据えた。
「戸田研水と申したな」
「はッ」
「安心せよ。
おぬしの命は、我ら奉行所が守る」
「……ははッ。
ありがたき御言葉でございます」
研水は深く頭を下げた。
ようやく望む言葉を得たが、それ以上に、引き受けた役目は危険であった。
「旦那様」
そのとき、襖の向こうから声がした。
景山に仕える小者の声のようである。
景山が佐竹に視線を向けると、佐竹は小さく頷いた。
佐竹の許可を得た景山は、体の向きを変えると移動し、襖を開けた。
小者が平伏している。
そして、その懐には、浅く手紙を差していた。
もしや!
手紙を見た研水は、ある予感に胸をざわつかせた。
今日、屋敷を出るまで待っていた連絡が、ようやく届いた気がした。
小者は、懐から抜いた手紙を景山に差し出した。
「杉田玄白様より届いた手紙でございます」
研水の予感は的中した。
景山は、下男から届いた手紙を受け取ると、ぱらりと開いて目を走らせた。
「蘭学者の杉田玄白か?」
ほどよい間を置いて、佐竹が景山に問うた。
「はい」
書状には、景山宛に、本日、都合がつくのであれば、訪問している戸田研水と共に、麻布の屋敷まで参られたし。
このようなことが丁寧に書かれていたと、景山は説明をした。
「後ほど、研水殿と共に、伺おうと思います」
景山の言葉に、後藤が乗った。
「おれも同行しよう。
高名な杉田玄白殿に会える機会など、そうあるものではないからな」
佐竹が許可を出し、研水は、景山、後藤と共に、玄白の屋敷へ訪れることとなった。
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