第62話 研水の話


     ◆◇◆◇◆◇◆


 「……黒く巨大な、ナマズのごとき尾か」

 研水の話を聞いた後藤が、小さく頷いた。

 「杉田玄白殿が所有する『禽獣人譜』なる書物にも、人魚の絵図が描かれていたのではないか?」

 景山が研水を見て、確かめるように言った。


 「はい。禿頭の男二人が向かい合う絵図がありました。

 二人とも、指の間に水かきを持ち、腰から下は魚の胴として描かれておりました」

 答えた研水は、少し間を置いた。

 三人からの質問は無い。

 それを確認し、話を続ける。

 「その後、帰宅したのですが、留守を任せていた下男が言うには……」

 しばてん坊と名乗った大入道が、自分手を訪ねて現れたことを話す。


 「七尺(212㎝)、八尺(242㎝)もある大男か。

 七尺だとしても、相当の大男であるな」

 後藤が、なぜか嬉しそうに言う。


 「禽獣人譜に、大男の絵図はあったか?」

 「玄白先生に確認せねばなりませんが、私の記憶では、無かったかと……」

 景山に問われて研水が答える。

 「研水殿自身に、心当たりは無いのか?」

 「ございません」


 研水の言葉を受け、景山は、視線を佐竹と合わせた。

 景山は、それで何かを了承したのか、再び研水に視線を向ける。

 「私に話したいと言うのは、人魚と大入道のことであったのか?」

 「いえ、それも、ございますが……」

 研水は言い淀む。

 「どうした?

 まだ何かあるなら、遠慮なく申せ」

 景山に促され、研水は「はッ」と小さく頭を下げ、口を開いた。


 「先日、わたしは往診の帰路、犬神憑きと遭遇いたしましたが、景山様に助けられ、事なきを得ました。

 その夜、景山様に連れられ、奉行所に保管されていたヌエを拝見しました」

 研水は、話がややこしくなるのを嫌い、まんてこあではなくヌエと称した。

 「二日後、景山様と共にいたところで、人面鳥に襲われました。

 その後は、人魚を目撃し、大入道とすれ違うことになりました」

 「大人気だな」

 「はい」

 後藤が軽口を叩き、研水が素直に応じた。


 「犬神憑きとの遭遇は、偶然でございましょう。

 ヌエは、景山様を通して拝見しました。

 しかし、その後の人面鳥、人魚、大入道は、意図的に私に接触してきたように思われてなりませぬ」

 研水は、そう続けた。

 後藤に「大人気」と言われて、否定しなかったのは、こういう思いがあったからであった。


 ……。

 研水の言葉に、三人は考え込む顔となった。

 「……たしかに、大入道はそうであろう。

 その方を訪ねてやってきたわけだからな」

 そう言ったのは、佐竹である。

 「しかし、景山にしても、犬神憑き、ヌエ、人面鳥、麒麟と遭遇し、あまつさえ、命を賭して戦っておるぞ」

 「佐竹様」

 と、後藤が口を挟んだ。

 「景山の場合は、お役目でございます。

 犬神憑きを追い、奉行所でヌエの死骸を見たのは役目の内。

 人面鳥こそ、偶然かも知れませぬが、麒麟に関しては、出現した報せを受けてから、我らは出向いております。

 偶然ではなく必然。

 研水殿とは、少々、状況が異なりましょう」

 「ふむ……。

 たしかに、そうであるな」

 後藤の説明に、佐竹は納得した。


 「なぜ、怪物殿は、研水殿を狙うのか。

 思い当たることはあるか?」

 景山が研水に問う。

 

 「私は……、玄白先生の話を思い出しました。

 なぜ、平賀源内は、かような怪物を造り、解き放っているのか」

 「……動機か。

 自身の天才を世に知らしめる自慢ということであったな。

 そのことは、佐竹様、後藤殿にも話してある」

 「その動機に思い至った経緯は、東都薬品会での、源内の言動にあったことは、覚えておられますか」

 「……細部までは、覚えておらぬが」

 景山が少し困惑した顔になった。


 「全国の医者や学者が、東都薬品会に秘蔵の本草を出品したのは、

 『わしはこういう本草を所有しておる』

 『なんの、わしの知る薬草は、このような効能がある』

 『おぬしらは、このような本草を知らぬであろう』と言う自慢であり……」

 研水は言いにくそうに続けた。

 「それを自慢する相手は、ただの庶民ではない。

 江戸に集まった本草学の大家に蘭学の名医であると……。

 その……、自慢する相手にも触れたのでございます」

 冷や汗が出る思いで、そう言った。


 「……つまり、源内は、怪物を造り出すことが、どれほどの偉業であるかは、武士や町民などには分からぬ。

 この偉業を本当に理解できるのは、蘭学者たる研水殿である。

 そういう思いで、研水殿の元に、怪物を放ったと言うのか?」

 景山に言われ、研水は「……いえ、あの」と言葉に詰まった。

 そうなのである。

 研水がたどり着いた答えは、それなのである。

 だからこそ、自分の前に、次々と怪物が現れたのだ。

 しかし、だからと言って、「その通りです。源内は、蘭学者かつ名医である、この私を驚嘆させることで、さらに自尊心を満足させたいのです」とは、自分の口から言えるものではない。

 言葉ではなく、ただただ、汗ばかりが出てくる。


 上座の佐竹が、後藤に怪訝な顔を向けた。

 「よく分からぬな。

 源内は、この町医に対して、お前も怪物を造れと申しておるのか」


 理解されていない……。

 佐竹の言葉が耳に入り、研水の汗の量が、さらに増えた。

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