第60話 六郎奔走


 研水は、診察を行う表部屋に徳蔵を招き入れると茶を出した。

 「これは、ありがとうございます」

 徳蔵は丁寧に礼を言う。

 「五臓圓(ごぞうえん)を御所望でしたな」

 五臓圓は、滋養強壮の効果がある漢方薬である。


 研水は、徳蔵の目、口の中を見、心臓、肺臓の音を聞くと、病の症状が出ていないことを確認した。

 「暑さによる疲れですな」

 後ろの薬箪笥から、乾燥させている、芍薬、桔梗、人参などを取り出す。

 棚は小さな引き出しが数十もある、百味箪笥と呼ばれるものであった。

 それぞれの引き出しの中には、生薬の材料である当帰(とうき・セリ科の植物)、山薬(さんやく・ヤマノイモ、長芋)、茯苓(ぶくりょう・マツホドと呼ばれるキノコ)などを干したものが保管されている。

 研水は、それぞれの生薬を計り、小舟のような細長い形をした挽き臼に入れた。

 この挽き臼を「薬研」と言い、「薬研車」と言う軸のついた車輪で、薬研に入れた生薬を磨り潰し、粉末状にする。


 「……そう言えば、五臓圓は漢方薬ですな」

 徳蔵は、不思議そうな顔になって言った。

 「蘭方医のわたしが、漢方薬を処方するのは妙ですか?」

 研水は、穏やかな目で、小さく笑みを浮かべながら薬研車を前後させる。


 「いえ、その、そう言う訳では無いのですが」

 「患者の病に利くのであれば、漢方であろうが、鍼灸であろうが、たとえ祈祷であっても、わたしは取り入れるつもりです」

 「なるほど」

 「そういう、垣根を取り払った合理的な考えこそ、蘭学の根底だとわたしは考えています」

 「みなが、研水先生に心酔する訳ですな」

 徳蔵が笑顔で言い、研水は少し顔を赤らめた。


   ◆◇◆◇◆◇◆


 散薬を受け取り、帰路についた徳蔵と入れ違いになるように、六郎が戻ってきた。

 「旦那様。

 上手くいきましたぞ」

 六郎は自信満々の顔で言った。


 「これは、景山様からのお手紙です」

 研水は、受け取った手紙を開くと、中の文章に目を走らせた。


 ぐりふぉむ討伐戦の事後処理、今後の対策などもあり、今日、明日に時間を取ることは無理である。

 であるが、こちらも研水殿の意見を聞きたきことがある。

 明後日の昼九つ、八丁堀の屋敷に来られたし。


 「明後日に、景山様の屋敷で会われるのでしょう」

 六郎がそう言った。

 「その通りだ。

 しかし、なぜ、手紙の内容を知っておる?

 まさか、景山様に会うたのか」

 六郎は字が読めない。

 手紙を勝手に開いても、何が書いてあるのか分からぬはずなのだ。


 「わしなどには会うてくれませんわい。

 中間の男に、景山様は手紙に何と返事を書かれたのか、本人に確かめてきてくれと頼みに頼み込んで、ようやく教えてもらいましたわ。

 なにせ、100文がかかっておりますからなあ」

 六郎はニコニコと笑いながら言う。


 ……何と礼儀の無いことをしでかしたのか。

 研水は、その様子を想像して胃が痛くなった。

 ……が、それは景山様に会った時に詫びればよい。

 ……ともかく、会う約束を取り付けることが出来たのだ。


 「玄白先生は、まだ床から出られぬようです。

 加助という下男が、そう申しておりました。

 あれは下男と言うのに、無礼で高慢な態度を取る男でございました」

 六郎が顔をしかめて言う。


 ……どの口が言うのか。

 ……それに、加助ではなく、加吉であろう。

 研水は、そう思ったが口には出さない。

 加吉のしっかりとした態度を褒めたりすれば、六郎が、どうへそを曲げるか分かったものではないからだ。

 ……こちらは、十文分の働きと言ったところか。


 「しかし、こちらも100文がかかっております。

 はいはい、そうですかと帰る訳にはいきませぬ」

 「お、お前は、まさか、玄白先生に、無礼な真似をしたのでは……」

 研水はギョッとして、言葉を詰まらせた。

 「いやいや、加助に伝言を頼んだだけでございます。

 我が主は、玄白先生のお体を心配しつつも、早急に伝えたきことがあると申しておりました。

 また、二日後、それに関係することで、同心の景山様と話をなされるようです。

 これを伝えてもらうと、しばくして加助が戻り、このような返事をもらいました」

 「何と?」

 「体調が良くなれば使いを出す。

 そのときには、景山様と共に、私の屋敷に来て欲しい。

 そういう返事でございました」


 ……。

 研水は目を閉じ、そして、目を開けた。

 「ご苦労であった、六郎。

 200文の働きは充分にあったぞ」

 研水は懐に手を入れると、100文銭を二枚取り出し、六郎に手渡した。

 その後、文机に向かうと、礼と共に、当日、八丁堀の屋敷に伺うことを記した手紙を景山に書き、これを届けるよう、六郎に渡した。


  ◆◇◆◇◆◇


 そして、二日後。

 研水は、八丁堀にある景山の屋敷を訪れたのであった。

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