第59話 六郎さらに二百文
「……十文」
と、六郎が答えた。
「十文の釣りが出たのか。
それは、もちろん駄賃として、お前が取っておくといい」
「いえ、団子代が十文でございます」
答えた六郎は、笑顔になっていた。
愛想のいい笑顔ではなく、開き直った笑顔である。
「酒ではなく、団子を買っていったのか?」
研水は呆気にとられた。
200文のほとんどを懐に入れたと言うことである。
「番太郎は酒より甘いものが好きと聞いておったのです。
それで、ほら、柳辻のところに、いつもいる団子屋に声を掛け、串の団子を三本買いました」
六郎はにこにこと説明をする。
その笑顔から「文句はないでしょう」という圧が感じられる。
「……団子は、ひと串、四文であろう。
三本を買ったら、十二文ではないか?」
「はい。三本まとめて買うのですから、十文に負けてもらいました」
……凄いな、こいつは。
研水は、六郎の笑顔を見ながら、ある意味、感心してしまった。
「いや、怒るつもりは無い。
釣りは、お前にやると、わたしから申した。
手土産が酒であろうが団子であろうが、そこは、お前の裁量だ。
団子を買って、わたしの命じた通り、景山様の安否をしっかりと確認してきてくれたのだから、何も問題は無い」
研水は、そう言いながら懐に手を入れ、銭貨の入った巾着袋を探った。
「ただ、団子屋に迷惑は掛けてやるな。
別に、この二文をやるから、団子屋に渡してこい」
「旦那様も人が良過ぎますな」
お咎め無しと判断した六郎は、研水のそばまで戻ってきた。
普段の、どこか人を小馬鹿にしたような笑みになって、素直に二文を受け取る。
いっそ清々しいほどの態度である。
……しかし、情報を集めてきた手並みは大したものであった。
……もしかしてわたしは、六郎の扱いを間違えていたのかも知れぬな。
「釣りは、お前の酒代か?」
研水が問うと、六郎は「へへへへ」と野卑な笑みを浮かべた。
「酒を呑むなら肴も欲しかろう」
研水は、あがり框の上に、パチリと100文銭を置いた。
楕円形をした穴銭である。
六郎は笑みを引っ込め、100文銭を凝視した。
「酒や肴を買い、おのれの小屋で飲むのも良いが、煮付け屋あたりで一杯飲むのもたまらぬであろう」
研水は、さらに一枚、パチリと100文銭を置いた。
「……」
六郎の視線が、穴銭から研水に、ゆっくりと移動した。
「別口でございますな。
何をいたしましょうか?」
どこか頼もしい顔になっていた。
……ここまで、分かりやすい男であったとは。
研水は呆れつつ、説明を始めた。
「景山様に会い、話すべきことがあるのだ。
今朝もその件で、南町奉行所まで出かけたのだが、景山様は不在で、門番は、忙しいと言い、伝言すら預かってはくれなかった。
今日、浅草寺で、そのような大事があったのなら、明日、また奉行所に出向いても、同じことになるであろう」
「分かりました。
景山様に連絡を取り、旦那様と会える時間が無いか、確かめてくれば良いのですな」
「そうだ」
研水が頷いた。
六郎とは思えぬほどの察しの良さである。
「そして、もうひとつ」
「はい」
「玄白先生の所にも伺ったのだが、体調を崩し臥せていると聞いた。
見舞いに行き、どのようなご様子か聞いてきておくれ」
「それだけでよろしいのですか?
玄白先生とは、会わなくてもよろしいのですか」
「いや、会って話すべきことがあるのだが、病と言われては……」
研水は弱った顔で小さく首を振った。
「では、そちらも承知いたしました。
明日、双方に伺ってまいりましょう」
六郎が頭をさげた。
「もちろん、これは成功報酬だ」
研水は手を伸ばし、置いた100文銭二枚を取り、再び懐に戻した。
六郎は成功する自信があるのか、文句を言わない。
「いやいや、そのような話でございましたか。
意味ありげに、銭を出されるものですから、わしはまた、誰ぞを殺めて来いとでも言われるのかと、緊張いたしましたわい」
六郎が「へっへっへっ」と、本気とも冗談ともつかない笑い声をあげた。
「ば、馬鹿なことを申すな」
研水は驚き、顔を引きつらせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日。
研水が目覚めると、すでに六郎はいなかった。
顔を洗って着替え、朝げを終えると、縁側に回って陽を浴びる。
ポツンとひとり、縁側に座っていると、六郎の言っていたことが思い出された。
しばてんとか言う大入道が、自分を訪ねに来たと言う話だ。
本当に妖怪、怪物の類であるのか?
研水がそう思った時、門の辺りで足音が聞こえた。
縁側の位置からは、家屋の角が邪魔になって、門は見えない。
しかし、耳を澄ますと、たしかに足音がする。
誰かが、敷地内に入ってきたのだ。
「先生。おられますか?」
と、声が聞こえた。
研水は止めていた息を吐いた。
その声は、人宿の徳蔵の声であったのだ。
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