第57話 異形の者


 後藤の問いに、駕籠かきの男は無言のままであった。

 「平賀源内」の名に、反応した様子もない。

 無言のままで顔を伏せている。


 「怪物討伐の失敗は止むを得ないとしても、何一つ成果が無いというには、あまりにも犠牲者が出過ぎた」

 後藤は刀を抜いた。

 やや剣先を下げて構える。

 「おぬしには、聞きたいことが山ほどある。

 抵抗すれば、死なぬ程度に手足の先を切り飛ばす。

 大人しく、お縄につくか?」


 やはり、駕籠かきは何も答えなかった。

 が、その体に異変が起こった。

 両肩が、ぐりぐりとうねるように動き、盛り上がりはじめたのだ。

 盛り上がった肩の動きに合わせたかのように、両手が軽く広がる。

 首から背中に繋がる僧帽筋、肩を覆う三角筋が膨張しているようであった。

 内からの圧力に耐え切れず、野良着がビッと裂けた。


 「……!」

 後藤が険しい目つきになった。

 不可解な筋肉の膨張だけではない。

 広げ、軽く持ち上げた駕籠かきの両腕が、ぞわぞわと黒く変色していくのだ。

 肌の色の変化ではない。

 黒い獣毛が生えはじめている。

 人の体に起こりえる、変化と速度では無かった。


 駕籠かきの背が、丸く持ち上がり、頭が沈んだ。

 背筋全体が盛り上がり、前傾姿勢となったのである。

 前傾姿勢となった分だけ、顔が前に出る。


 「……ぬう」

 後藤が唸った。


 前に突き出された駕籠かきの顔が、さらに前に出た。

 首を伸ばしたのではない。

 ほっかむりの下から、メキメキと鼻先が前に出てきたのだ。

 出てきた鼻先の下は、縦に割れている。

 口が裂け、牙が現れる。

 駕籠かきは、獣人に変形しようとしていた。


 「……人間ではないのか」

 さすがに後藤も目を剥いた。

 ……どこまで変形するのだ?

 ……最後まで、見てみたい。

 ……だが。

 後藤が唐突に前へ出た。

 ……役目を優先させてもらう。


 後藤は駕籠かきとの間合いを一気に詰めた。

 詰めた勢いに乗せて、刀を切り上げた。

 切り上げは、振り上げる動作が無い分、攻撃が早い。


 が、駕籠かきも後藤の動きに反応した。

 退かずに前に出た。

 切っ先を避けて体を開きながら、獣毛の密生した右腕を伸ばす。


 二人は一瞬交差し、そのまま弾けたように跳び離れた。


 後藤の左頬が裂けていた。

 駕籠かきが、右手の爪で後藤の首を狙い、後藤がこれをかわしたのだ。

 しかし、完全にはかわし切れず、その爪が後藤の頬を裂いたのである。

 常人なら、頸動脈を裂かれるような一撃であった。


 駕籠かきは右手で、左腕の上腕部を押さえていた。

 だらりと垂れた左腕を伝い、大量の血が地面に落ちていく。

 ほっかむりは外れ、狼に似た顔が剥き出しになっていた。


 「……なるほど。

 おぬしは、犬神憑きとか呼ばれている化け物であろう」

 後藤は刀を構えたまま言う。

 「わしの切り上げをかわすとは、見事だ。

 その腕、斬り飛ばしたと思ったのだがな」

 後藤はニヤリと笑った。


 犬神憑きに変じた駕籠かきも、口吻の端をめくりあげた。

 いびつな笑みの形が浮かび上がる。


 「しかし、次は外さぬ。

 おぬしの左腕、魔獣の爪と共に、我が家の家宝としてやろう」

 後藤が再び前に出た。


 が、犬神憑きとの距離は縮まらなかった。

 犬神憑きは、笑みを浮かべたまま、後ろへ大きく跳んだのだ。

 空中で身を捻ると、後藤に背を向けて道に降り立ち、左腕を押さえたまま逃走した。

 駕籠を担いでいた時も、相当な速度で駆けていたのだ。

 深手を負っているとは言え、単身で逃げる犬神憑きに、追いつけるものでは無かった。


 「……足止めが、役目であったな。

 犬神殿も、役目を優先したと言うわけか」

 後藤は、ちょっとつまらなさそうな顔になり、逃げ去っていく犬神憑きの背を見送った。

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