第56話 怪しい駕籠


 町駕籠の前には、駕籠かきが背を丸くして、しゃがみ込んでいた。

 汚れた手拭いでほっかむりをし、顔を伏せがちにしているため、人相は分からない。

 後藤の立つ位置からは見えないが、駕籠の後には、もう一人の駕籠かきがいるのであろう。


 ……駕籠の中に誰かいるな。

 後藤は、そう推測した。

 帰路の空駕籠で、たまたま怪物騒動に出くわしたのならば、駕籠かきは、商売道具の駕籠を担いだまま、逃げ出すはずである。

 野次馬になるとしても、もう少し、駕籠を安全な場所に移動させるであろう。

 しかも、駕籠かきの姿勢は、野次馬とは思えない。

 駕籠の中にいる主人に仕え、膝をついてしゃがんでいるように見える。


 駕籠は、あんぽつ駕籠と呼ばれる上等な町駕籠である。

 庶民が気軽に使う駕籠ではない。

 前後には小窓、左右には引き戸があるが、どれもが閉じられ、左右の引き戸は、閉じた上に、ゴザが掛けられていた。

 ……あのようにしていては、外を見ることはできぬ。

 ……ならば、野次馬とも違うのう。

 ……窓を閉じていたとは言え、何かしらの音を立てて、怪物に合図を送ることはできよう。

 「人間には聞こえぬ音か……」

 後藤はつぶやいた。

 

 怪物は、田伏を横ぐわえにしたまま、広小路を走り出した。

 田伏の悲鳴が高くなり、小さくなっていく。


 「佐竹様」

 後藤が呼ぶが、佐竹は答えない。

 口を開けたまま、丸くした目を空に向けていた。


 「お腰のモノをお借りしたい」

 そう言うと、佐竹が視線を後藤に向けた。

 「た、田伏が、と、飛んで、飛んで……」

 「さらわれましたな。

 それよりも、気になることがございます。

 わしは、怪物と追いかけっこで刀を落としましたゆえ、佐竹様の刀をお借りしたい」

 「刀?」

 「はい」


 困惑している佐竹に槍を押し付け、後藤は刀を拝借した。

 それを腰に差しながら、あんつぼ駕籠へと近づいていく。

 

 怪物が飛び去り、逃げていた雑兵たちがパラパラと戻ってくると、それに紛れるようにして広小路を渡った。

 と、駕籠かきが、わずかにこっちを向いた。


 ……気付かれたか!?

 後藤が足を速めるかどうかを迷った瞬間、駕籠かきは担ぎ棒を肩に乗せると、スッと立ち上がった。

 そのまま路地を奥へと消えていく。

 後藤は、それを追った。


 駕籠は路地を器用に抜け、通りに出ると北に向かった。

 ……追いつけないだと?

 後藤は驚愕していた。

 本気で追っているのに、前を走る駕籠に追いつけないのだ。

 

 「待て」とは言わない。

 明らかに駕籠は、こちらから逃げている。

待つはずは無いからだ。

 その言葉は、よけいな動きになる。

 追いつけてはいないが、離されている訳でも無い。

 後藤は、そのまま追い続けた。


 段々と周囲は田畑が多くなり、その向こうには森が見え始めた。

 人気が無い。

 ……何か仕掛けてくるために、人気のない場所へと誘ったか?


 後藤が警戒した時、駕籠が止まった。

 ……!

 いや、駕籠は止まっていない。

 後の担ぎ手が立ち止ったのだ。

 駕籠は、前方の駕籠かきが一人で担ぎ、そのまま速度を落とさずに去っていく。

 どのような筋力をしているのか、信じられない光景であった。


 後藤が駆け寄る前に、残った駕籠かきはこちらに向き直った。

 ほっかむりをした顔は、伏せたままである。

 

 「足止めか……」

 立ち止った後藤は、苦い顔で言った。

 すでに、佐竹から借りた刀の柄には右手を添え、左手親指で鯉口を切っている。

 踏み込みながら抜刀し、次の一歩で斬り伏せることができる。

 しかし、その前に、聞いておきたいことがあった。


 「聞け」

 駕籠かきに声を掛けた。

 「わしの同僚に、景山と言う男がおってな。

 その景山から、江戸を騒がす、ぬえ、人面鳥、麒麟などのあやかしの背後には、一人の男がいると聞いたのだ。

 もう何年も前に死んだ男よ……。

 正直に申せ。

 駕籠に乗っていた男、もしかして、平賀源内ではあるまいな?」

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