第54話 畜生道

 

 茶屋の奥から響いてきた田伏の声で、景山は事情を察した。

 

 上役の佐竹は、村沢に叱責されていた田伏が、その途中で逃げ出したと言っていた。

 逃げ出した後、この茶屋の奥で隠れていたのであろう。

 そこに、ぐりふぉむが近づいてくると、己が助かりたいがために、茶屋の娘を外へ突き転ばしたのだ。

 ぐりふぉむが娘を喰らい、満足して茶屋の前から去るとでも思ったのだろうか。

 武士どころか、人間の風上にも置けぬ男であった。


 「がわわわわわわ」と、田伏の声が聞こえると、ぐりふぉむが茶屋の戸口から頭を引き抜いた。

 田伏の腰の辺りを横咥えにしている。

 まるで、木のうろから、大きな虫をつまみ出した鳥のようであった。


 「がわわわわわわわ!

 ひいやああああああ!」

 田伏は身を反らし、顔を歪めながら、大きく悲鳴をあげ続けていた。

 「や、やめろ!

 助けてくれ、助けてくれ!

 誰か、誰かーーーー!

 あああああああああ!」


 あまりに醜悪であった。

 

 死に脅えることは醜悪ではない。

 景山は、恐怖や痛みへの耐性は、個々によって違うと思っている。

 死への恐怖を抑え込むことが出来る者、身を切るほどの激痛をこらえることが出来る者もいれば、生に執着して死を恐れる者、痛みに悲鳴をあげる者もいる。

 これは仕方あるまい。

 

 しかし、部下の命を平然とゴミのように扱い、年端もいかぬ町娘を化け物の前に蹴り出した男が、いざ自分の命が危険にさらされると、狂ったように泣き、喚き散らす。

 これは、あまりにも醜かった。


 「あっいっ、ひっひっ!

 い、痛いッ! 

 いい!?」

 ぐりふぉむに咥えられ、高く持ち上げられたままの田伏が、こちらを見た。

 「……か、景山!

 私だ! 田伏だ!

 助けろ! 助けてくれ!」

 目を見開き、引きつった愛想笑いを浮かべて叫ぶ。

 

 景山は何も答えず、娘を担いだまま後退した。

 田伏が騒げば、ぐりふぉむに気付かれてしまう。


 「に、逃げるな、くそッ!」

 田伏の顔から笑みが消えた。

 「ば、化け物!

 ほら、あいつを喰え!

 に、逃げるぞ!

 俺より、あいつを喰え! 喰え!」


 ぐりふぉむは田伏の叫びを無視し、広小路へと移動した。

 景山は、安堵の息を漏らした。

 田伏がいくら叫んでも、こっちに興味を持った素振りが、一切なかったからである。

 

 ……なぜだ?

 田伏を咥えるぐりふぉむを見て、景山は怪訝な顔になった。

 ……なぜ、田伏は殺されないのだ?

 

 ぐりふぉむは、この短時間で、旗本、雑兵の多くを殺害した。

 もしかして、ぐりふぉむに殺意は無かったのかも知れない。

 猫が、ネズミやトカゲをいたぶるように、ただ遊んでいただけなのかも知れない。

 あまりの力の差に、遊びの一振り、遊びの一噛みで人が死んでしまったのだ。


 しかし、どうして田伏が同様の目に遭わないのか。

 ぐりふぉむは、田伏の体を嚙み千切らぬよう、そして、逃がさぬよう、力の加減を調整している。

 明らかに意図的であった。

 ……なぜだ?


 疑問に思う景山の前で、広小路に出たぐりふぉむが走り出した。

 西へと向かう。


 思わず景山も、広小路へと出た。

 目を向けると、ぐりふぉむの進行方向に残っていた旗本と雑兵が、わっと逃げ出すところであった。

 ぐりふぉむの背の翼が、突然、大きく開いた。

 折りたたまれていた風切羽が展開し、驚くほど翼が広がる。

 そして、ぐりふぉむは跳躍した。

 逃げまどう、旗本、雑兵たちの頭上を高々と飛び越え、巨大な翼で羽ばたく。

 着地をせずに上昇した。

 あれほどの巨体が飛んだのである。

 目を疑う光景であった。


 「ひいやああぁぁぁぁぁぁ……」

 田伏の悲鳴が、上空に遠ざかっていく。

 まだ、田伏は生きている。


 ……どこへ行くつもりなのか?

 景山は、ぐりふぉむの巣を想像した。

 巣に待つ、ぐりふぉむの幼体の生餌として、田伏は連れ去られたのだろうか?


 ……いや、違う。

 景山は、自分の考えを否定した。

 あれは、平賀源内に造られた異形の生物なのだ。

 帰る場所に、同族がいるのではない。

 そこにいるのは、同じく源内の手によって造られた異形の怪物たちであろう。

 

 奉行所の土間に横たえられたヌエの死骸、老婆の顔をした人面鳥を思い出した景山の背に、冷たいものが走った。

 ……ま、まさか。

 恐ろしい考えに、背中だけではなく、全身が冷たくなる。


 ヌエの顔は、ヒヒのようでもあり、人間のようでもあった。

 人面鳥は、老婆の顔をしていた。

 憎悪に狂った老婆の顔である。

 あれらは、ああ言う生き物ではない。

 源内が造り上げた怪物だと、杉田玄白は話していたのだ。


 そして、玄白は、こうも話していた。

 『あのまま源内の屋敷に留まれば、拘束され、訳の分からぬ生き物に造り変えられてしまうのではないかと恐怖しました……』


 景山は空を見上げた。

 ぐりふぉむは、もう小さな影にしか見えない。

 西に向かって飛んだが、上空で向きを変え、北へ去っていこうとしている。

 その先に、源内の屋敷があるのかも知れない。


 田伏は、まだ生きているのであろう。

 もしかすると、この先も生きていくのかも知れない。


 人間ではない、何か別の姿にされて……。

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