第51話 劣勢


 コーーーーーーーーーーー。

 ぐりふぉむが鳴いた。


 これまでのように、鳴いた後にカカッと短く切るのではなく、遠吠えをする犬や、時を告げる雄鶏のように長く鳴いた。

 しかし、喉を立てて鳴かない。

 雑兵を軽々と蹂躙し、黄色と黒の丸い目で周辺を見回しながら鳴く。


 声はどんどんと高くなり、ついに聞こえなくなった。

 それでも、まだ鳴いているのか、ぐりふぉむは湾曲した嘴を大きく開いている。

 そして、馬たちが暴れ始めた。


 西の陣の馬たちが、突如いななき、狂ったように棹立ちになったのだ。

 乗っていた武者たちが、次々と落馬する。

 旗本が馬をなだめようとするが、馬は目を見開き、口の端から泡を吹いて荒れ狂う。

 恐怖にわしづかみにされ、脅えているようであった。

 何頭かは手綱を振り払い、あらぬ方向へと走り出す。


 正面の主力陣地でも、同様のことが起こった。

 さらに、西の陣へと向かっていた村沢主税たちにも……。


 「落ち着け!

 落ち着かぬか!」

 棹立ちになった馬の首を平手で叩き、村沢は、なんとか愛馬を鎮めようとした。

 隣では、柴原も同じく、急に暴れ出した馬をなだめようとしている。

 周囲を見回すと、他の武者たちは、次々と馬から振り落とされていた。


 「何だと言うのだ」

 村沢は舌打ちをした。

 ……これでは、化け物の後背を突くことはできぬ。

 ……いったん退いて、態勢を立て直さねば。

 忌々しそうな顔になり、馬をあやしながら、西の陣の化け物を確認するため、視線を前方に戻した。


 西の陣に化け物はいなかった。

 こちらに向かって、駆けてきている。


 体が前方に伸び、鉤爪のある前肢が地面につく。

 先行した上半身を追うように、背が曲がり、引き寄せられた後脚が前肢の両外につく。

 その瞬間には、大きな波のうねりのように、しなやかな上半身が、再び前へと伸びていく。


 通りが広すぎたことが裏目に出ていた。

 化け物は、思う存分に巨体を動かし、一気に速度をあげた。

 ……あと、ひと伸び。

 ……次に、化け物が伸ばした前肢は、わしに届く。

 村沢は、馬上で凍りつき、自身の死を覚悟した。


 「村沢様ッ!」

 柴原が、馬をぶつける勢いで寄せてきた。

 化け物の前肢が届く寸前、村沢は、柴原の手で突き飛ばされた。


 柴原ともつれ合い、村沢は地べたに落ちた。

その村沢の視界が、一瞬暗くなった。

 化け物が頭上を飛び越え、陽の光を遮ったのだ。

 

 陽の光が戻ると同時に、生温かい液体がザアッと降り注いだ。

 赤い。

 見上げると、村沢と柴原の馬の首が消えていた。

 降り注いできた生温かい液体は、馬の首の断面から噴き出した、大量の血であった。

 

 どこかに飛ばされたのか、馬の首は見当たらない。

 替わりに、柴原の首が転がっていた。


 「柴原……」

 村沢がつぶやいたとき、首の無い馬が崩れ落ちた。


   ◆◇◆◇◆◇◆


 「出るぞ!

 盾は捨て、密集して槍衾を作れ!」

 正面軍で声が上がった。

 「ま、待て!

 村沢様は待機と言われたのだぞ!」

 それを将校が止める。


 「その村沢様が、目の前でやられたではないですか!」

 「いや、死んではおらぬ」

 「ならば、それこそ、一刻も早く救出せねば」

 「行け。

 前列、進めッ!」

 「勝手な真似をするでない!」


 正面軍は混乱していた。

 その混乱の中で、一隊、二隊と、勇み立った兵たちが勝手に動き始める。

 「火縄、弾を込めよ!」

 「よいのですか?」

 「構わぬ。

 外さぬ距離まで詰めて、そこで撃つのだ」

 「馬はもういい!

 徒歩で進めッ!」


 「我らは、どうする?」

 景山はぐりふぉむを見ながら、後藤に言う。

 騎馬武者たちを蹴散らしたぐりふぉむは、雑兵たちに囲まれていた。

 雑兵たちは鉤縄を投げるが、すでに逃げ腰になっており、鉤縄はぐりふぉむに届かない。


 「東の陣へ」

 後藤は、雑兵たちの向こう、東陣を示した。

 盾兵を中心に、五十人ほどが残り、脆弱な壁を作っている。


 「佐竹様の姿が見えた。

 まずは合流しよう」

 後藤は小走りに移動を始め、それに景山も従った。

 

 景山が振り返ると、突出した正面軍が、ぐりふぉむに迫っていた。

 ……これは、とてつもない数の死者が出るぞ。

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