第46話 計算外
「兵であろう」
「はっ」
土井の言葉に、村沢は小さく頭を下げて肯定した。
化け物を探し出すにしろ、討伐するにしろ、それなりの人間、兵が必要である。
旗本は、将軍より下される俸禄に合わせて、それぞれ兵や武具を用意することが定められている。
これを軍役と言う。
例えば、最も俸禄の低い、200石あたりの旗本の軍役は、侍や槍持などの使用人が五人、馬が一頭とされている。
いざ戦が起これば、主人が馬に乗り、家来を引きつれて、将軍のもとに馳せ参じるのである。
しかし、200石ていどの俸禄では、家族が暮らすことが精一杯で、とても五人もの使用人を雇うことや、馬を飼うことは出来ない。
下男を二人、三人雇うことが出来れば上等といったところである。
俸禄の少ない多くの旗本は、内職に精を出し、少しでも家計の足しにすることが当たり前であった。
300石、400石、500石と、俸禄が増えても、その分、使用人が増え、馬の飼育数も増えるため、暮らし向きは楽にはならない。
1000石を越えると随分とマシな暮らしになるが、1000石を越える者など、全旗本の中で二割もいなかった。
村沢主税の知行は3000石。
五十人を超える使用人を抱えてはいるが、この人数で、怪物退治はできない。
どこからか兵を調達せねばならないのだ。
まずは、兵力。
これを理解していた土井は、「兵であろう」と口にしたのだ。
「兵は、役方たちから出させる。
わしが直々に話を通す」
土井は、そう言った。
これで、高禄の文官たちから、兵を出させると言うことが決まった。
「しかし、兵を出せば、怪物退治の手柄も……と、言う話になりましょう。
作戦や指揮に口を出されては、現場が混乱いたします」
「うむ。もっともなことだ」
二人は話を詰めていった。
結局、兵を出した役方は、軍監(軍事の作戦、指揮を務める役職)を同行させてもいいが、その務めは、討伐戦の記録に留めること。
役方の褒美は、軍監の記録を精査した土井が決めること。
現場での作戦と指揮は村沢が、小隊ごとの指揮は、村沢が選んだ旗本が行うことが決められた。
「貧しい旗本たちに対しては、手柄によって、相応の役職や加増があることを約束してくださいませ。
槍を一本、中間一人を引きつれ、鬼人のごとき働きをすることでございましょう」
「やはり、そちに頼んで正解であったな」
村沢の言葉に、土井は満足そうにうなずいた。
その日の午後から村沢は、俸禄の低い旗本たちの中から、腕の立つ者、軍略に長ける者を調べ出し、幾つかの隊の編成を考え始めた。
怪物の探索、現れたときの連絡網も調整を始める。
が、すべてが整う前に、浅草寺に麒麟が現れたとの報せが届いたのだ。
土井、雑兵を出す役方、主だった旗本に使いを走らせ、村沢は、自らも手勢を率いて、浅草寺へと急いだ。
集まった兵は、およそ600。
計算上では、今の段階でも1000を超えるはずであったが、意図的な怠慢か、連絡が届いていないのか、すべては集まらなかった。
しかし、置き盾や雑兵たちの槍などは、土井が揃えさせていたため、それなりの陣容となった。
「同心たちが、境内から、この場所に麒麟を追い出す。
いそげ、それまでに隊列を整えるのだ!」
沢村の命令で、兵たちは動いた。
風雷神門を半円に囲む形で、広小路に陣を構えたのだ。
麒麟が姿を見せれば、風雷神門から充分に出たところで、左右から矢を放つ。
同士討ちを避けるため、兵同士の距離は余裕をもって取っている。
麒麟が正面へ追い立てられれば、正面に分厚く並べた、鉄砲隊が迎え撃つ。
左右、どちらかへ麒麟が動けば、まずは鉄砲で足を止め、盾、長槍で動きを封じる。
沢村が直接率いる正面の主力は、臨機応変に動き、麒麟の側面から攻撃する。
このような手筈であった。
ところが、すべてが狂った。
同心二人が、麒麟を誘き出し、沢村が逸る兵を押さえ、好機を見計らっていたそのとき、風雷神門に向かって左手、東陣の中で、どこかの馬鹿が、弓を引け、矢を放てと勝手に号令をかけたのだ。
聞いていた手筈と違い、また、どこの誰とも分からぬ声での命令に、兵は反応しなかった。
が、勘違いした、一人、二人が矢を放つと、それを見た、他の弓兵たちも、正式な号令かと驚き、慌てて矢を放ち始めたのだ。
こうなると止まらなかった。
「誰じゃ!」
沢村は、急いで馬を駆り、東陣へと向かった。
そのとき、あろうことか、鉄砲隊にまで号令がかかった。
銃声が響き、それが次々に重なっていく。
沢村が離れてしまったため、正面の主力軍からも発砲する者が現れた。
討伐隊は大混乱に陥ってしまった。
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