第43話 風雷神門


 景山の脳裏に、後藤の言葉が蘇った。

 『わしが途中で喰われれば、残りはお前が引き継げ。

 お前が先に喰われれば、後はわしが引き継ぐ』


 引き継がねばならないのは、ぐりふぉむを浅草寺の外、旗本勢が待ち構える広小路まで引っ張り出す、囮の役である。

 風雷神門までは、あと少し。

 役目を全うするならば、このまま後藤を見捨て、あの門を駆け抜けねばならない。


 ……ッ。

 景山は、ギリッと歯を軋らせた。

 ……見捨てることなど出来るかッ!

 右手を刀の柄に伸ばした。

 もはや、間に合わないかも知れない。

 だが、後藤を助けると決めたのだ。


 ぐりふぉむは、真後ろに迫っている。

 振り向いてから抜刀しては、間に合わない。

 抜刀と同時に振り返り、斬撃を放つのだ。

 

 太刀の鯉口を切る……寸前、後ろから後藤の声がした。

 「馬鹿ッ!

 何をしておる!

 足を緩めるなッ!」


 聞こえたときには、景山の右に後藤が姿を見せた。

 並走したのは、一瞬である。

 「走れッ!」と叫びながら、後藤は、景山を追い抜いた。

 太刀は持っていなかった。

 足音を立てない。

 そして、その走りが、速かった。

 

 景山は、以前、後藤の語っていたことを思い出した。

 後藤が、四人の罪人の首を落とした日のことである。


 「……音だな」

 後藤は、少し考えてから、そう答えた。

 伝馬町牢屋敷内にある、同心の控え場所で、宇島という同心に、首を落とすコツを聞かれ、後藤が答えたのだ。


 「音が鳴らぬように斬れ」

 「音が鳴らぬように?」

 宇島が不思議そうな顔で問う。


 「余分な動き、間違った動きというものは音となる。

 音が鳴るうちは、最適な動きではないと言うことだ」


 「……むう。

 そう言われても、よく分からぬ」

 宇島は、困った顔になった。

 横で聞いていた景山にしても、「音となる」ということが、よく分からない。

 他の同心たちも、理解ができているようには見えなかった。


 「水練を思い出せ。

 ヘタクソな者は、ばしゃばしゃと水音を立てるだけで、進みが遅いであろう。

 余分な動き、間違った動きをしているからだ。

 鯉やフナなどは、何の音も立てずに、スイスイと泳いでいくわ」


 やはり、分かるようで分からない。

 

 「走ることも、また同じだ。

 音を立てて走る者がいるが、あれは足を踏み下ろした時に、足の裏が地面を叩く音だ。

 降ろした足が音を立てると言うことは、すなわち余分な動き、余分な力が、そこにあると言うことだ。

 そもそも走るとは、足を降ろすことではなく、地面を蹴って、体を前へと運ぶことである。

 それ以前の動作で、音を立てるほどに力むことは、力をうまく使えていない証拠よ」


 「……それが、斬ることと関係があるのか?」

 宇島が、よく分からないままの顔で言う。


 「突き詰めれば、泳ぐも、走るも、斬るも、同じと言う事さ。

 音となる余分な動き、余分な力、間違った動きを排除すれば、己の体なのだ、自在に操れるわ」


 「何やら、悟りを開いた、坊主のようなことを言いよる」

 宇島が弱り切ったような苦笑を浮かべて言い、他の同心も笑ったことで、その話は終わりになった。

 

 後藤も、みんなと一緒に笑っていた。

 しかし、他の同心と違うところは、音の無い動きを体現できているということであった。


 ……くそッ。

 いらぬ心配をしていた自分が、何か騙されたような気がし、景山は舌打ちをした。

 後藤は悪くないのだが、腹が立つ。

 腹を立て、足音を立てながら後藤を追った。

 風雷神門は、もう目の前であった。


 吊るされている、新町の大提灯が迫る。

 ほぼ同時に、風雷神門に達した。

 景山と後藤の二人が、では無い。

 景山と後藤、そして、ぐりふぉむ。

 二人と一頭が、ほぼ同時に、風雷神門に達したのであった。


 景山と後藤が大提灯の下を潜る前に、大提灯が大きく揺れた。

 前に突き出したぐりふぉむの頭部が、二人が潜るよりも先に、大提灯にぶつかったのだ。

 バリバリと凄まじい音を立て、裂けた大提灯の下半分が落ちてくる。


 「ッ!」

 前に身を投げ出すようにして、景山は、落ちてきた大提灯を避けた。

 広小路の硬い地面に、砂埃を上げて転がる。

 同じく、後藤も地面に転がっていた。


 ついに、浅草寺の外へと出たのだ。

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