第42話 ぐりふぉむ


 ◆◇◆◇◆◇


 景山は、見届け人の一人として、その場にいた。

 

 左手で傘を差し、右手に抜き身の太刀を下げた後藤が現れ、引き出された罪人の横に立つと、何かつぶやきながら、空を見上げた。

 つられて手伝人足の二人も空を見上げ、押さえつけられていた罪人も、首を回しながら、空を見ようとした。


 景山は、一連の動きを横から見ていた。

 首が回る角度は限度がある。

 可動域は、左右に60~70度と言われ、真横までは回らない。


 しかし、罪人の首は真横を向いた。

 さらに、そのまま回り続け、180度向きを変えたのだ。

 座して、頭を下げさせられた状態から、首が180度回ったため、罪人は、頭だけが空を見上げる形になった。

 

 後藤が、罪人の頚椎の可動域が限界を迎える寸前、首を断ったのだ。

 そのため、自由になった首が、回し始めた勢いを保ったまま回転し、空を見上げたのである。


 が、それも一瞬であった。

 空を向いた首は、勢いを失い、そのまま血溜まりの穴へと落ちた。

 落ちた首を追うように、首の断面から大量の鮮血が噴き出した。


 他の見届け人たちは、何が起こったのか分からず、瞬きをして目を凝らし、骸となった罪人と後藤を見比べていた。

 

 後藤は、その日、四人の罪人の首を落とした。

 しかし、一滴の返り血も浴びなかったどころか、雨にさえ濡れていなかったと言う。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 「景山。

 佐竹様は?」

 後藤の言葉に、景山は視線を一瞬、風雷神門の方向に走らせた。

 門までの参道に、佐竹の姿は無い。

 「無事に、外に出られたようだ」

 景山が答えた。


 ぐりふぉむの指を斬り飛ばした後藤は、後方へと移動し、回り込みながら、ぐりふぉむの真正面に立った。

 参道の直線で、ぐりふぉむと対峙する形になったのだ。

 距離を取ってはいるが、さすがに怪物から目を離し、背後の風雷神門を確認することは出来そうにない。


 景山は、ぐりふぉむとの距離は後藤より近いが、参道から外れ、斜めからぐりふぉむを見る位置に立っている。

 傷を負ったぐりふぉむが、逃げる動きを見せれば退路を断つために走り、逆に、後藤に襲い掛かれば、牽制ができる位置である。


 「佐竹様は、子供ではない。

 私が手を貸さずとも、時間を稼げば、一人でお逃げになられる。

 おぬしが私に言うべきは、佐竹様を逃がせではなく、わしに手を貸せであろう」

 景山は、そう続けた。

 しかし、後藤からの返答は無い。


 いつもなら、どこか人を喰ったような返答があるはずである。

 景山は、ぐりふぉむから後藤へ、視線を動かした。


 後藤は太刀を構え、ぐりふぉむに視線を据えていた。

 飄々とした雰囲気が消えている。


 景山の視線が、ぐりふぉむに戻る。

 ぐりふぉむは、後藤を見下ろしながら、左前肢の傷口をペロペロと舐めていた。

 細長く、先の尖った舌だ。

 丸い目からは、感情がまるで読み取れない。

 しかし、後藤は、何かを感じ取っているようであった。


 「景山……」

 と、後藤が鋭く叫んだ。

 「逃げろッ!」


 景山は、ほんの一瞬、躊躇したが、後藤の尋常ではない雰囲気を察し、その言葉に従った。

 数歩、後ろ向きに動くと、身をひるがえして走り、後藤の横を斜めに抜ける。

 「後藤!

 おぬしも逃げよッ!」

 「応ッ! 逃げいでか」

 後藤の返事を聞きながら、景山は参道に入った。

 石畳を踏み、風雷神門に向かって駆ける。


 カワワッ!

 と、背後から、ぐりふぉむの声が響いた。

 ぐりふぉむを見ていたときとは違い、なぜか、この声に含まれている感情は理解できた。

 激怒と憎悪が、激しく混ざり合い、殺意が剝き出しになった感情である。

 背筋が凍るほどの殺意であった。


 景山は、背後を振り返る余裕を持てなかった。

 振り返って、ほんの少しでも速度が落ちれば、命取りになることが分かるのだ。

 出来ることは、駆けながら、耳を澄まし、ついてくるであろう後藤の足音を確認することだけである。

 

 しかし、背後から聞こえてきたのは、金属音であった。

 カシャンというその音は、太刀が、参道の石畳に転がり落ちた音のように思えた。

 そして、カッカッカッと、鉤爪が石畳を叩く音が、背後から迫ってくる。


 後藤の足音は聞こえなかった……。

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