第41話 金二分の役目
同心の役目のひとつに、首切りがある。
死罪となった罪人の首を斬り落とする役目だ。
この時代、罪を犯し、捕縛された容疑者は、奉行所で取り調べを受け、伝馬町の牢屋敷に収容される。
牢屋敷は、敷地が約2600坪もあり、中には、町人、百姓、無宿人、武士、女性など、身分や性別別の牢、自白をさせるための拷問蔵、牢屋奉行の屋敷、そして、罪人の首を落とす、死刑場などがあった。
死罪となった者は、面布という白い布を顔につけられ、数人の手伝人足によって、この死刑場に引き出される。
死刑場では、血溜まりの穴と呼ばれる、穴の前に座らされ、頭を前に突き出すように命じられる。
この姿で、首を落とされるのだ。
首を斬り落とす役を命じられるのは、同心である。
とは言え、首を落とすには、かなりの技量がいる。
首の中には、頚椎という七つの骨があり、これが頭蓋骨を支えている。
頚椎は太い骨であり、胸椎に繋がっている。
胸椎は腰椎に繋がり、この一つながりの骨が背骨と呼ばれる。
日本刀の斬れ味は鋭いが、それでも、相応の業物と腕が揃わなければ、頚椎を断つことは難しい。
そもそも、首を落とすには、頚椎そのものを断つのではなく、頚椎と頚椎の間の軟骨、椎間板と言われる部分を斬る。
正確には、第三頚椎と第四頚椎の間の軟骨を斬る。
しかし、この部分の軟骨の厚みは、7mmほどしかない。
さらに、罪人がじっとしていることは稀である。
「動くでない。
動くでないぞ。
動かば、苦しみが増すぞ」
そう忠告をしても、死の恐怖から暴れる。
観念した者であっても、ガクガクと小刻みに震える。
ある同心が、斬首を行ったときなどは、三度、刀を振り下ろしても首は落ちず。
最後には、激痛に暴れる罪人を、手伝人足たちがうつ伏せに押さえつけ、太刀をノコギリで引くようにして使い、何とか罪人の首を落としたと言う。
罪人は激痛に泣き喚き、その場にいた全員に、大量の血飛沫が掛かった。
地獄絵図であったと言う。
斬った同心も、返り血を浴びて、茫然自失となってしまった。
斬首の役を命じられた同心には、金二分が、刀の研ぎ代として支給されるが、割に合う役目では無い。
(現在の貨幣価値で一両が約7万5千円。金二分は、一両の半分の価値)
そのため、斬首を命じられた同心のほとんどは、山田浅右衛門に役目を譲った。
山田浅右衛門とは、試し斬りを生業とする、山田家当主の名乗りである。
将軍に献上された刀剣などを管理する、腰物奉行に仕え、御試御用という試し斬り役を務めていたが、旗本でも御家人でもなく、身分は浪人であった。
首切りという不浄の仕事をしているためとも言われるが、定かではない。
剣の腕前が何よりも大事なため、世襲制ではない。
山田家は多くの門人を取り、その中で最も腕の立つ者が当代を継ぎ、山田浅右衛門と名乗った上で、御試御用を務める。
試し斬りは、正しく人間の体を使う。
そのため、罪人の斬首は、浅右衛門にとって、またとない試し斬りの機会であり、斬首の役目を敬遠したい同心の思惑と、利害が一致するのだ。
浅右衛門は代役を務めるにあたって、同心から心付けをもらうことは無い。
逆に、幾ばくかの金を同心に払う。
言わば、斬首の役目を買い取るのだ。
斬首を命じられた同心にしてみれば、奉行所から、研ぎ代の金二分を受け取り、役目は、浅右衛門に譲ったうえで、浅右衛門からも、金を受け取ることができる。
これほど美味しい話はなかった。
浅右衛門も、損になるわけではない。
試し斬りをすることによって、首を落とした罪人の死体の所有権を得ることができるのだ。
これが大きい。
浅右衛門は、腰物奉行の仕事だけではなく、諸大名より、刀剣の試し斬りを頼まれることも多い。
これぞと言う業物を手に入れた大名が、どれほどの斬れ味があるのか、浅右衛門に鑑定を頼むのである。
このとき、浅右衛門は、死刑場から引き取った首なし死体を、横に寝た形に二体、三体と重ねて固定し、試し斬りを行う。
一太刀で、二つの胴が両断できれば、二つ胴。
一太刀で、三つの胴が両断できれば、三つ胴と、太刀の茎(柄に収まっている部分)に銘を入れる。
この鑑定は、刀ひと振り10両だったとも言われている。
それだけではなく、引き取った死体の脳、肝臓、胆嚢などで丸薬を作り、山田丸、浅右衛門丸などの名で売った。
当時、人体のこれらの部位は、大いに薬効があると言われ、山田丸、浅右衛門丸は、高値にもかかわらず、飛ぶように売れた。
このように、罪人の斬首は、山田浅右衛門が行うことが多かった。
しかし、腕に自信のある同心の中には、役目を務める者もいた。
後藤平馬は、そのような同心の一人である。
雨の日に、斬首が行われたことがあった。
引き出された罪人は、手伝人足たちの手によって、血溜まりの穴に、首を突き出す姿勢を取らされた。
風の強弱が激しく、引き出された罪人は、首の後ろに、冷たい大粒の雨が叩きつけられる都度、刃が入り込んだのかと錯覚し、悲鳴を上げ、体をのけぞらせた。
そこに、傘を差しながら、後藤がやってきた。
右手には、すでに抜き放った太刀を下げている。
罪人の横に立った後藤は、少し傘を傾け、空を見上げた。
「……陽が射してきたな」
そう呟く。
罪人を押さえつけていた手伝人足たちは、つられた様に空を見上げた。
罪人の耳にも、後藤の声が届いた。
しかし、押さえつけられているため、首を反らして、空を見上げることはできない。
罪人は、首を右に回し、面布の隙間から、空を見上げようとした。
見えた。
思っていたより首が回り、はっきりと空が見えた。
しかし、陽など射していない……。
雨が……、降って、い…………。
罪人の首が、血溜まりの穴に、コロンと落ちていた。
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