第38話 参道死走


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 都内の観光地では、必ず人気上位に入る浅草寺。

 特に『雷門』と大書された大提灯の吊るされる山門(寺院の正門)は、平日であっても、記念撮影をする、国内外の観光客でにぎわっている。


 この大提灯のインパクトが強いせいか、山門の名を『雷門』と思っている人も多いが、正式名称は『風雷神門』である。

 外から山門に向かって、名称の由来となった、風神像が右、雷神像が左に設置されている。

 また、風雷神門を通って境内に入り、振り返ってみると、大提灯の裏にも、『風雷神門』と書かれている。


 この時代、文化十四年(1817年)にも、山門に大提灯は吊るされていた。

 ただし『雷門』ではなく、『志ん橋』と大書されている。

 これは、新橋の商人たちが奉納したものだと言われている。


 風雷神門を潜ると、参道が真っすぐに伸びている。

 距離は、300m足らず。

 参道の両端には、ずらりと商店が並び、仲見世通りと呼ばれている。

 食べ歩きは禁止されているが、観光客は、購入した饅頭や団子を店頭で楽しみ、お土産を選んでいる。

 

 これは『志ん橋』の大提灯を潜った時代でも同様であった。

 浅草寺の参道に、出店が構えられるようになったのは、一説には元禄元年(1688年)以前とも言われ、その歴史は古い。

 休憩のできる水茶屋、玩具、菓子、みやげ物を売る店などが並び、その形態は現代と変わらなかった。


 本堂に御参りするには、参道をどんどんと進んで、宝蔵門を潜らなければならない。


 景山は、その宝蔵門を潜らず、大きく飛び離れた。

 本堂側から覗き込んでいた、ぐりふぉむの丸く大きな目玉が、飛び離れた景山を追った。


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 「退け、後藤ッ!」

 景山が叫ぶ。


 その声に反応したのか、ぐりふぉむが、さらに前へと動いた。

 巨体を屈め、宝蔵門を潜ろうとする。


 宝蔵門は、二層建てになっている。

 左右に仁王像が配置されていることから、仁王門とも呼ばれる。

 参拝者は、阿形像と吽形像の間の間を通ることになるのだが、ここには二列の太い柱がある。

 ぐりふぉむの巨体には、この柱が邪魔であった。


 ぐりふぉむが身を捻じっている隙に、景山と後藤は、宝蔵門から離れて参道に出た。

 

 しかし、一目散に逃げる訳にはいかない。

 ぐりふぉむに追って来させるように仕向けるため、あまり離れる訳にはいかないのだ。

 

 「ほら、来い。

 こっちだ、こっち」

 後藤が後ろ向きに歩きながら、ぐりふぉむの注意を引く。


 宝蔵門には、大店や町会から寄進された幾つかの提灯が吊られていた。

 ぐりふぉむは苛立ったように身を揺すり、翼に引っ掛かった提灯を引き裂きながら、参道へと出てきた。


 カッ、コココココと、乾いた木を打ち合わせる様な声で鳴く。

 カッ、ココココ、ココココ。

 

 その声を背で聞きながら、景山と後藤は、すでに山門に向かって駆け出していた。


     ◆◇◆◇◆◇◆◇


 佐竹は、早足で山門へと向かっていた。


 残った景山と後藤は、佐竹の配下の中でも、腕の立つ同心であった。

 機転も利き、現場で的確な判断を下せる冷静さもある。

 しかし、その二人であっても、あの化け物は手に余るであろう。

 

 なにとぞ、御加護を……。

 佐竹は心の中で、浅草寺の本尊である、聖観音菩薩に願った。


 願いながら、山門に向かって足を速める。

 参道の両側にある出店は、どこも無人であった。

 異様な感じがした。

 閉めた訳ではない、開いているけど無人なのだ。

 どの店の人間も、売り物を片付ける暇もなく、逃げ出したのだ。


 と、前方から、声が聞こえてきた。

 「佐竹様、早く!」

 「危のうございますッ!」

 そう聞こえた。


 山門の向こうから、顔を覗かせている捕り方たちである。

 その中の何人かは、佐竹ではなく、佐竹の背後に視線を向けていた。

 恐怖に脅えた視線である。

 不吉なものを感じて、佐竹は振り返った。


 ……!

 佐竹は、すくみあがった。

 景山と後藤が、自分の後ろに迫っていた。

 そして、二人の背後には、本堂の前で寝そべっていた、あの化け物がいたのだ。

 

 追ってきている!

 自分が山門に着くまで、誘き出しは始まらないと勝手に思い込んでいたが、すでに、化け物は、背後に接近していた。

 狼狽した佐竹は、混乱し、自身が何をすべきかを見失ってしまった。

 逃げてはいかんと、踏みとどまってしまったのだ。

 

 私は三人目の囮になると、あの二人と約束をしたのだ。


 そう思い、必死になって踏みとどまった。


 ど、どうする?

 私は何をすべきなのか?

 か、刀を?

 ……い、いや、いや違う。

 止まってはいかん!

 佐竹は我に返った。


 私が囮になるのは、景山と後藤が倒れたときの話だ。

 今は違う。

 今、私がせねばならぬことは、あの二人の邪魔にならぬよう、逃げることなのだ!


 佐竹は、山門に向き直ると、慌てて走り始めた。

 頼りなく、がくがくと萎えそうになる足を懸命に動かす。

 立ち止ってしまったために、山門との距離は縮まらず、逆に、後ろから迫ってきていた、化け物との距離は縮まった。


 逃げ切れる気がしなかった。


    ◆◇◆◇◆◇◆◇


 逃げ切れる。

 振り返り、背後の化け物との距離を目算しながら、後藤はそう思った。

 

 化け物の動きは、巨体のためか、思っていたほど素早くは無かった。

 しかし、一歩一歩が大きい。

 そのため、少しずつ距離を詰められていた。


 それでも、最初に、宝蔵門で稼いだ距離が大きかった。

 このまま、山門を潜り抜けられる。

 そう確信した後藤は、顔を正面に戻した。


 ……!?

 後藤の顔が強張った

 前方に佐竹がいるのだ。


 よろよろと走ってはいるが、その足は遅い。

 このままでは、山門に着く前に追いついてしまう。

 佐竹に追いついた場合、そのまま追い抜かなければ、後ろから来る化け物に追いつかれてしまうのは明らかであった。

 

 だが、佐竹を追い抜いてしまえば、一人目に喰われてしまう者は、自分でも景山でもなく、佐竹になってしまう。

 これも明らかなことであった。




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