第37話 首切り同心


 「佐竹様。

 一人であっては、想定外の出来事が発生した場合、対処に困ることもございましょう。

 私も、景山と共に、囮役を務めさせていただきたい」

 後藤は、引っくり返って呻く田伏を無視して言う。


 「待て、後藤!

 このような危険な役、私、一人で充分だ」

 驚いた景山は、後藤の申し出を拒んだ。


 「お前にしては、くだらぬことを言う」

 後藤は、景山に目を向けた。

 苦笑いを浮かべる表情に、気負いは無い。

 「危険ならば、一人より、二人の方が成功しやすかろう。

 わしが途中で喰われれば、残りはお前が引き継げ。

 お前が先に喰われれば、後はわしが引き継ぐ」


 「……よかろう」

 佐竹が頷いた。

 「景山と後藤、二人に囮役を任せる。

 くれぐれも無茶はするな」

 

 「ご、後藤……、貴様」

 と、田伏のしゃがれた声がした。

 景山と佐竹は、思い出したように視線を向けた。

 後藤に殴り飛ばされた田伏のことを、すっかり忘れていたのだ。

 田伏は、よろよろと立ち上がるところであった。 


 「武士の面を……、いきなり殴るとは、ゆ、許せぬ」

 大量の鼻血を流す田伏は、血走った目で後藤を睨んだ。

 鼻血は口元から胸までも濡らし、まだ止まらずに、ぼとぼとと顎先から垂れている。

 鼻骨が折れているようであった。


 「……斬る」

 田伏は、刀の柄に手をかけた。


 「痛かったのか?」

 まったく動じることも無く、後藤は、半歩、田伏に近寄って問う。

 半歩距離を縮められただけで、鯉口を切ろうとした田伏の指が動かなくなった。

 剣の実力が、天と地ほども違う。

 あっさりと位負けをしたのだ。

 

 田伏は「痛い」とも「痛くない」とも言えず、目を剥いたまま、大きく開いた口で、浅い呼吸をせわしなく続けている。

 

 「のう、田伏。

 人間に殴られただけで痛いのだ。

 あの怪物の嘴でついばまれたら、どうなるか想像できぬか?

 あのカギ爪で捕まれたら、どうなるか想像できぬか?

 なぜ、お前は、当たり前のように、そのような危険な役目を部下に強要できるのだ?」

 後藤が優しく言う。


 「……え? いや、それは」

 田伏は、瞬きをしながら口ごもる。

 下半分が血まみれになった顔に、怪訝な表情が浮かんでいた。

 言い訳を考え、口ごもっているのではなく、後藤の言うことが、理解できていないようであった。 


 「わしの言う言葉の意味が、分からぬか?」

 後藤は呆れた顔になった。

 「お前は、どこか欠落しているようだな。

 ……まあ、いい。

 怪物退治が終わったら、改めて相手をしてやろう」

 そう言った後藤は、薄く切れる様な笑みを浮かべた。

 「お前に、わしの相手が出来るのであればな」


 後藤の剣技を思い出したのか、田伏の顔から血の気が失せた。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 宝蔵門から人が消えた。

 残っているのは、佐竹、景山、後藤の三人のみである。


 残りの捕り方たちは、境内を大きく迂回して、本堂の裏手へと回り込んでいた。

 怪物が、景山と後藤の二人に対して、逃げ出す素振りをみせたなら、背後から押し出し、浅草広小路に向かって追い立てる役目である。

 田伏は使い物にならなくなったので、佐竹が平造に命じて、境内の外に出した。

 

 「私は、風雷神門まで下がる。

 そこで、おぬしたちが、怪物を誘き出すのを見届ける」

 佐竹は緊張した顔で、景山と後藤に向かって続ける。

 「も、もしも……、もしも、おぬしたち二人が、参道の途中で力尽きることがあれば、私が、駆け戻り、三人目の囮となって、あの、あの怪物を外まで誘き出そう」

 言葉につまりながらも、佐竹が言い切った。

 

 「佐竹様。嬉しいお言葉です」

 「憂いなく、お役目に挑むことができます」

 景山と後藤は、上役に軽く頭を下げた。


 「死ぬなよ」

 その言葉を残し、宝蔵門から離れて行った。

 早足に参道を戻り、風雷神門へと向かっていく。


 「佐竹様は、意外と骨があるのう。

 もそっと小心者かと、みくびっておったわ」

 佐竹の背を見送った後藤が、感心したように言うと、刀の鞘から、下緒と呼ばれる紐をほどいた。


 「我らは、良い上司を持ったな」

 返した景山も、下緒をほどいた。

 下緒の一端を噛み、残りを脇の下から背に回し、手早くたすき掛けにする。

 これで袖が邪魔にならず、動きやすくなる。


 「景山。

 わしが囮役に志願したのは、もちろん、お前の手助けをしたかったこともあるが、実は、欲しいものがあるのだ」

 「欲しいもの?」


 「権現様(家康)に仕えた、松平近正という武将がおろう。

 その近正は、若いころ、火車という妖怪の腕を斬り飛ばしたらしい」

 「ほう」


 「その腕は、孫娘が諏訪頼雄に嫁ぐ際、引き出物として持参し、諏訪家の家宝となったという話だ」

 「……おぬし、まさか」


 「分かるか?

 わしは、あの怪物の羽なり脚なりを斬り飛ばし、我が後藤家の家宝にしようと思っておるのだ」

 後藤が、下緒で、たすき掛けを終えて言う。


 「無茶を言うヤツだ」

 景山は、呆れた顔になると、身を隠していた柱から、ほんの少し顔をのぞかせた。

 本堂前で、眠ったようにくつろいでいる怪物、ぐりふぉむの様子を確認するためである。


 …………!

 景山は、総毛立った。


 景山たちが浅草寺に駆け付け、取り囲んだ後、ぐりふぉむはピクリとも動かなかった。

 僧を呼んで確認させ、後藤が田伏を殴りつけ、内輪もめとなった間も、まるで陽だまりで熟睡しているトラネコのように動かなかったのだ。


 そのために油断があった。

 たすき掛けをしている間、二人ともに目を離してしまったのだ。


 わずかな時間である。

 しかし、そのわずかな時間で、起き上がったぐりふぉむは、足音を立てず、十丈(約30m)の距離を移動していた。


 景山が柱から顔をのぞかせたとき、ぐりふぉむは、手を伸ばせば触れる距離まで近づいてきていたのだ。

 しかも、頭を下げた姿勢になり、黒目を鮮やかな黄色が囲む真ん丸の目で、景山を見ていたのだ。

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