第36話 生き餌志願
「佐竹様」
そこに、同心の後藤平馬が現れた。
景山が、人面鳥退治の後始末を頼んだ同僚である。
身の丈五尺八寸(約175㎝)。
当時で言えば、高身長である。
肉付きは薄くは無いのだが、手足が長いため、ひょろりとして見える。
景山と同じく、二十七歳であった。
後藤は、佐竹に命じられ、一人の老僧を連れてきていた。
眉は白く、しわが深い。
天台宗の僧侶であった。
現代の浅草寺は、聖観音宗の総本山である。
しかし、このころの浅草寺は、天台宗の寺院のひとつであった。
「拙僧の協力が必要と聞きましたが」
佐竹に問う老僧の顔は、恐怖に硬くなっていた。
同心や捕り方たちに囲まれているとは言え、すぐ近くに怪物が伏せているのだ。
「御坊に確認して頂きたいことがある。
みな、あれは麒麟だと騒いでいるが、どうなのだ?
本当に、あの生き物は、麒麟であるのか?」
佐竹が、老僧に言った。
当時、神仏を敬い、祟りを恐れることは、ごく当たり前のことであった。
麒麟ならば、神聖な霊獣である。
殺せば、祟るかも知れない。
ぬえのような妖怪、人面鳥のような化け物とは違う。
霊獣を殺せと言われても、岡っ引きや手下はもちろん、同心でさえも躊躇するであろう。
佐竹と僧侶のやり取りを見ていた景山は、麒麟では無いと確信していた。
本堂前にいる化け物には、角が無い。
龍のような頭ではない。
体にウロコが無い。
伝え聞いたことのある麒麟の特徴が無いのだ。
逆に、鷲の頭部。
巨大な猫のような体。
背中の翼。
猛禽類の脚に似た前肢など、玄白に見せられた禽獣人譜にあった、ぐりふぉむの絵図にそっくりであった。
宝蔵門の柱の陰から、本堂の前に寝そべる魔獣を盗み見ていた老僧が、身を引き戻すと、佐竹に視線を向けた。
「あれは、麒麟などではありませぬ。
妖物でございます。
早よう、寺より追い出してくださいませ」
老僧のすがるような目に対して、佐竹が問い返した。
「念のために聞くが、御坊の力によって、あれを調伏することは出来ぬのか?
こう、何と言うか、護摩を焚いたり、念仏を唱えたりで」
佐竹の言葉に驚き、白眉の下で、老僧の目が丸くなった。
目を丸くしたまま、首を横に振る。
「そうか……」
一瞬、落胆した様子をみせた佐竹は、目をきつく閉じ、そして、ゆっくりと開いた。
開いた時には、覚悟を決めた顔になっていた。
「つまらぬことを聞いてしまったな。
では、安全な所まで下がって頂きたい。
我らは、今より、あの妖物を浅草寺より追い出しにかかる」
老僧は手下の一人に案内され、早足に去っていった。
それを確認した佐竹は、周囲の同心たちに目を向けた。
「分かっているとは思うが、ただ、浅草寺より追い出せばいいと言う訳ではない」
はあぴいを討った実績に期待しているのか、視線は景山に向く。
「旗本勢は、風雷神門の外、浅草広小路に陣を敷いておる。
そこへ誘導せねばならんのだ」
江戸の町を焼き払った明暦の大火の後、江戸の各地には、延焼防止のための大きな空き地が作られた。
これを火除地と言う。
広小路とは、通常より広く作られた路で、これも火除地に含まれる。
2000石の知行取り、村沢主税が指揮を執る旗本勢は、この浅草広小路に軍を展開させていた。
佐竹は、改めて、自分たちがせねばならぬことを説明した。
本堂前の魔獣を、今、潜んでいる宝蔵門へと誘い込んで潜らせ、そのまま、参道を約三町、追い立て、最後に、表門である風雷神門を潜らせる。
そこで、広小路で待ち構えている旗本勢が、弓矢、鉄砲を一斉に放ち、魔獣を仕留めるという手順である。
後藤が呆れたような顔をみせた。
「我ら奉行所が、難しいお膳立てをし、旗本は平らげるだけということですか。
旗本たちと、役割を変わってほしいものですな」
毒のある軽口だが、景山も同意したくなった。
佐竹は、後藤の軽口を黙殺した。
「本堂の後ろには、森原殿と石井殿が捕り方たちをまとめている」
佐竹は、他の与力たちの名前を口にした。
「さらに人数を回し、本堂の後から、一斉に追い立て、こちらに誘導する以外に、方法は無いか……」
言葉に迷いが感じられる。
佐竹自身も、それで成功するとは思っていないのであろう。
「追い立て役に襲い掛かるかも知れませぬ」
景山は、一番危惧することを口にした。
ヘタをすれば、人面鳥と戦ったとき以上の惨劇になる。
「一案があります」
景山が視線を向けると、田伏という若い同心であった。
あまり良い評判の無い男である。
「ここから一人で、ゆっくりと化け物に近づきます」
とんでもない言葉から始め、田伏は、自身の一案の説明を続けた。
「たった一人に警戒し、逃げ出す素振りを見せるようであれば、本堂の向こうの捕り方たちに合図を送り、衆を持って追い立て、参道から外へと追い立てましょう」
「襲い掛かってくればどうする?」
当然の質問をした後藤に、田伏は小馬鹿にしたような目を向けた。
「当然、逃げます。
怪物が追ってくれば、参道を通って逃げ、風雷神門を潜って、外まで連れ出します。
後は、旗本たちに任せればよいでしょう」
……自らが、エサとなって、怪物を誘導するのか。
意外と豪胆な男だと、景山は見直した。
「……危険だが、止むを得ないか」
佐竹が、その作戦を許可した。
「平造」
田伏は、後ろで刺股を手にしている岡っ引きを呼んだ。
「お前は、足が速い。
誘き出してこい」
「あ、あっしがですか!」
平造が、悲鳴のような声をあげる。
景山は驚き、佐竹、後藤も、田伏を見た。
「逃げるときの邪魔になるであろう。
その刺股は、置いて行っても構わぬ」
田伏の言葉に、平造は刺股を命綱のように握りしめ、小さく首を振った。
「行ってこい」
「待て」
たまらず景山が声を掛けた。
「田伏殿。
おぬしが行くのではないのか」
「何を言われる」
田伏が怪訝な顔になった。
「そのように危険なことは、同心がすべきではない。
このようなときのため、岡っ引きを飼っているのであろう」
……こいつ、本気でそう思っておるな。
景山は、田伏の歪んだ思考に寒気を覚えた。
……悪い評判しか聞かぬわけだ。
魔獣を誘き出すエサ……、囮か。
景山は、ふと、研水の顔を思い出した。
平賀源内を誘き出す囮になることを提案したら、蒼白になり、目を剥いたのだ。
『お、おお、わ、私に、お、囮に、なれと、い、言われるのですか』
思い出した研水の慌てっぷりが可笑しく、景山は小さく笑みを浮かべた。
あのような提案を研水にしたのだから、ここは、私が出ねば、田伏と同類になってしまうな。
景山は、決断した。
「佐竹様。
生き餌の役は、私がやりましょう」
「景山……」
その言葉に、佐竹の顔が強張った。
「私の案なのですが……」
立案した自分に断りが無かったことが気に入らないのか、田伏が不満そうな声を出した。
「……仕方ない。
まあ、ヨシとしましょう」
田伏は、自分が大きく譲歩したかのような、恩着せがましい態度で言った。
……ヨシとしましょう?
こいつは、もしかして愚鈍なのか?
景山が、田伏の顔を改めて見た瞬間、その顔に拳が叩き込まれた。
田伏は「ごあッ」と声を上げると、引っくり返った。
「ゴミが……」
後藤が吐き捨てるように言う。
田伏を殴りつけたのは、後藤であった。
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