第35話 旗本八万騎
旗本と御家人の違いは、将軍に謁見できる資格の有無である。
将軍に謁見することを御目見得と言い、御目見得の資格を持つ者が旗本、持たない者が御家人であった。
老中首座の土井利厚は、譜代大名。
ぬえを討った杉原、町奉行の岩瀬、永田は旗本。
与力である佐竹、同心である景山は御家人である。
実際に現場で指揮を執るのは、ほとんどが同心であり、事件によっては与力も出動する。
土井の『御家人の采配では、怪物退治は荷が重いか』とは、本人にそのつもりはなくとも、二人を侮ったようなものであった。
「景山、ようやってくれた。
おぬしが人面の化け物鳥を斬り殺したと、片桐から報告を受けたときは、溜飲が下がったわ。
しかも三羽と言うではないか、ぬえ一頭よりも、重みがあろう」
佐竹が嬉しそうに言う。
その嬉しそうな顔に、景山は困った気持ちになりつつも正直に話した。
「いえ、我らが討った人面の怪鳥は、一羽のみでございます。
残る二羽は、千葉周作と名乗る武士が斬り殺しました」
「……そうか。
その者は、まさか旗本ではあるまいな」
佐竹はキナ臭い顔になる。
「いえ、武芸者のようでした。
なにやら、杉原様に因縁があるようなことを口にしておりましたが……」
「……千葉周作か。
その者のこと、調べておく方がよいだろうな」
「はッ」
「話を戻すが」と、佐竹が言った。
「土井様は、次に化け物が出た場合、旗本勢で討ち取ると言われたのだ」
「旗本が?」
「杉原様がぬえを討ったことで、よほど気が大きくなったのであろうな。
岩瀬様は、参勤交代で江戸にいる外様大名から、兵を出させてはと申されたのだが、将軍の武威を知らしめると言われたそうだ」
……旗本勢か。
景山は眉を寄せた。
旗本には軍役があり、石高によって、侍が何人、弓兵が何人、鉄砲撃ちが何人と、常備する兵力が定められている。
たしかに、あの化け物鳥との戦いで、槍や弓、鉄砲があれば、あれほどの被害は出なかったであろう。
景山は、はあぴいとの戦いで死んだ者たちの骸を思い出した。
そもそも岡っ引きや手下は、ヤクザ者や博徒、粗暴な町人の次男坊や三男坊を使うことがほとんどである。
怪物相手に戦うことに、無理があるのだ。
しかし……。
と思う。
旗本の手に負えるのか?
軍役によって、常備すべき兵や人数というのは決まっているが、あくまで建前である。
300石以下の旗本で、兵を持つ余裕のある者など稀である。
旗本といえども、暮らしは厳しいのだ。
「心配か?
しかし、老中首座が決めたことだ。
化け物退治は、旗本のイノシシ武者に任せておればよい」
景山の表情を見た佐竹が、意地悪い口調で言った。
「ただし、奉行所としての働きも必要じゃ。
化け物退治などではない。
一連の騒動を仕組んだものがいるなら、それをひっ捕らえねばならぬ。
おぬしが、玄白殿から情報を得たことによって、犯人への手がかりを得た。
事件を解決する主導権は、奉行所にあると言うことだ。
必ず、平賀源内を捕まえよ」
「承知いたしました」
景山は頭を下げた。
この翌日、浅草寺の境内に、麒麟が降り立ったと言う報告が入ったのだ。
奉行所、そして江戸城内は一気に慌ただしくなった。
◆◇◆◇◆◇◆
麒麟と騒がれた魔獣は、本堂の前に座り込んでいた。
すでに、庫裡にいた僧侶や参拝者たちは逃げ去っている。
でかい。
恐ろしい巨躯であった。
馬ほどどころか、確実に二回り以上はでかい。
魔獣は、巨大な翼を背のラインに沿って閉じ、陽だまりにくつろぐ猫のように身を伏せていた。
猛禽類の脚に似た前肢を組み、そこに鷲に似た頭を乗せてくつろいでいる。
その姿勢であっても、頭の高さは成人男性の肩近くまであった。
浅草寺の本堂に被害は無かったが、魔獣が降り立った時に触れたのか、参拝前に手と口を清める手水舎が破壊されていた。
幾つかの柄杓、石造りの重い手水鉢が、変な冗談のように転がっている。
報せを受けた捕り方たちは、すでに浅草寺の境内に入り込んでいた。
本堂に向かって、左斜め後ろに建つ、影向堂、薬師堂。
右手にある二天門。
左手前にある五重塔。
そして、正面にある宝蔵門。
それらの陰に同心、岡っ引き、手下たちが身を潜め、魔獣をうかがっているのだ。
緊急時ということで、北町奉行所も駆り出され、浅草寺の外周を取り囲んでいる。
景山は、佐竹と共に、宝蔵門の柱に身を潜めていた。
距離にして十丈ていど(約30m)。
至近距離と言ってもいい。
肝心の旗本勢は、景山たちの背後、約三町(約330m)の場所にいた。
化け物と言えど、境内で殺生する訳にはいかない。
土井利厚は、浅草寺の境内から外へ、魔獣を引きずり出せと、町奉行に命じたのだ。
景山は、横目で佐竹を見た。
佐竹の顔は、強張っていた。
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