第34話 徳川幕府
◆◇◆◇◆◇◆
……浅草寺に魔獣が降り立った日の前日。
三匹の人面鳥が退治された日の午後のことである。
景山左衛門は、杉田玄白の屋敷を出ると、急いで南町奉行所に戻った。
玄白に聞いたことを、上役の佐竹に報告するためである。
与力である佐竹は、最初、機嫌が悪かった。
人面鳥を退治したのは手柄としても、その後、景山が、駆け付けた同僚の後藤に事後処理を任せ、姿をくらましたからである。
職務放棄に等しい。
しかし、景山が、玄白の屋敷で見聞きしたことを話すにつれ、佐竹の表情が変わっていった。
最初は、胡散臭そうな目で聞いていたが、すぐに興味深そうなものに変わり、驚きへと移ったのだ。
「あれらは、みな、西洋の怪物だと申すのか。
しかも、死んだはずの平賀源内が、関わっていると……」
話をすべて聞き終えた佐竹の顔から、ゆっくりと驚きの表情が消え、替わりに思案する表情が浮かび上がった。
そして、最後には、唇の端に満足そうな笑みが小さく浮かんだ。
「……源内の墓の確認は、別の者に命じる。
おぬしは、玄白殿と連絡を絶やすな。
気の利いた小者をつけておくがよい。
玄白殿がさらに思い出したことや助言があるなら、詳しく聞くのだ」
「はい……」
返事をした景山は、問うように佐竹を見た。
なぜ、笑みを浮かべているのかを知りたかったのだ。
景山の視線の意味に気付いたのか、佐竹は少し考えた後、口を開いた。
「……おぬしは口が堅い。
それに、いずれは知れることでもある。
今、話しても問題はあるまい」
自身を納得させるようにそう言うと、佐竹は説明を始めた。
「江戸で怪異が起こり始めてから、もう二ヶ月にもなるか。
いや、死人歩きなどと言う怪談めいた噂は、もっと以前に聞いた気もするな。
まあ、あれなどは、若い娘が夜遊びを続け、それを隠すための作り話であろうから、我ら奉行所の関わることではない」
佐竹の死人歩きの見解は、若い娘の単純な夜遊びであるらしかった。
「しかし、犬神憑きによる蔵破り。
あれは、早急に解決せねばならぬ。
被害に遭った豪商の蔵は、すでに十を超えておろう。
未だ犯人の目星すらついていないとは、奉行所の立場が無いわ」
佐竹の口調が厳しくなった。
「申し訳ございませぬ」
景山は、深く頭を下げた。
「あ、いや、つい興奮したが、おぬしを責めているわけではない」
佐竹が慌てて言う。
「他にも麒麟が現れたとかいう話もあったな。
そのような中、杉原様が、ぬえと相打ちになる事件が起こったであろう。
……いや、ぬえでは無く、なんと言うたか?」
佐竹が景山に問う。
「禽獣人譜には、まんてこあと記されてあったようですが、ぬえでよろしいかと」
「うむ。西洋の名は、どうにも意味が分からぬからな」と、佐竹は頷いた。
「ともかく、杉原様が、ぬえと相打ちになった一件で、南町奉行の岩瀬様、北町奉行の永田様が、老中首座の土井利厚様から、呼び出されたのだ」
佐竹が苦い顔で言った言葉に、景山は緊張した顔になった。
南町奉行所、北町奉行所は、江戸の行政、司法、そして治安を守る役所である。
その奉行所の最高職が、町奉行である。
この時期、南町奉行は岩瀬伊予守氏記、北町奉行は永田備前守正直が務めていた。
町奉行の上役は、老中となる。
江戸幕府の最高職であり、各奉行、大目付、城代などを監督し、政治全般を取りまわす役職である。
老中は譜代大名から選ばれた複数名が務め、老中首座は、その老中たちを統括する役目を持つ。
老中の上に立つのは、もはや将軍のみになる。
同心である景山からすれば、まさに雲の上の人であった。
「土井様は、杉原様のぬえ退治をたいそう喜ばれていたそうだ。
『相打ちとなったことは惜しいが、将軍のお膝元を騒がす妖怪を討ったとは、旗本の誉れである』とな」
旗本と言う言葉に、景山の目が微かに細くなった。
「続けて土井様は、『御家人の采配では、怪物退治は荷が重いか』と言われたそうだ」
景山左衛門は、御家人である。
御家人を侮る言葉に、景山の目つきが険しくなった。
それを隠すために視線を伏せたが、おそらく当の佐竹の目つきも険しくなっているだろう。
与力である佐竹も、また御家人なのだ。
将軍に仕える武士は、幾つかに区分されている。
まず、幕府より一万石以上の所領を与えられた武士は、大名と言われる。
大名の中でも、徳川家康の血縁者である大名は、親藩大名と言い、特に尾張徳川家、紀伊徳川家、水戸徳川家は、御三家と呼ばれ、将軍家に世継ぎが出来なかった場合、代わって将軍を出す重大な役割を持っている。
この時期より、およそ100年前には、七代将軍家継が早世したため、紀伊徳川家の徳川吉宗が、八代目将軍に就任することがあった。
また、この時期より約50年後には、紀伊徳川家より出た慶喜が、十五代将軍となり、260年以上続いた徳川幕府、最後の将軍となった。
次は、関ヶ原の戦い以前より、徳川家の家臣であった者たちからなる大名であり、彼らは譜代大名と呼ばれる。
代表としては、徳川四天王と呼ばれた、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政の直系。
さらに土井家、大久保家、鳥居家、小笠原家などもいる。
最後は、関ヶ原の戦い以後に家康の家臣となった者たちからなる大名であり、彼らは外様大名と呼ばれる。
前田家、毛利家、島津家、上杉家、伊達家などであり、彼らは江戸より遠い領地を与えられた。
外様大名は、いくら大藩であったとしても、政治を執り行う老中などの要職に就くことは無い。
老中を始めとした幕府の要職は、譜代大名が務めることになっていた。
老中首座の土井利厚も、当然、譜代大名である。
将軍に仕える、石高一万石未満の武士は、なんと言われるのか。
直参である。
直参と呼ばれる武士は、二つに分かれる。
これが旗本と御家人である。
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