第33話 魔獣出現


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 足が重い。

 研水は、徒労感を覚えていた。


 南町奉行所で、景山の居場所を聞いたが、門番は、「忙しい」の一言で、まったく相手にしてくれなかった。

 奉行所内にいるのか、それとも、市中を見回っているのかすらも教えてもらえない。


 改めて名を名乗り、伝言を頼もうとしたが、「取り込み中なのだ!」と一喝された。

 確かに、何人もの役人が、慌ただしく出入りしている。

 前回、訪ねたときとは違い、みな、どこかピリピリと殺気立っている。


 ……やはり、源内の怪物への対応なのだろうか。

 それを確認したかったが、そういうことを聞ける空気でもなく、研水は、門番に頭を下げ、奉行所から去った。


 景山と会うことをあきらめた研水は、杉田玄白の屋敷へと向かった。

 しかし、玄白にも会うことが叶わなかった。


 「旦那様は、昨夜より体調を崩し、臥せております」

 玄関に現れた下男の加吉が、申し訳なさそうにそう言ったのだ。

 

 「私に、何か手伝えることは?」

 驚いた研水は、思わずそう言った。


 加吉は、研水の言葉に、少し嬉しそうな笑みを浮かべ、その後、また申し訳なさそうな顔になって首を振った。

 「ありがとうございます。

 戸田研水先生は、必ず、そう言われるだろうと、旦那様はおっしゃっておられました。

 しかし、感染る可能性を考え、容態が落ち着くまでは、誰にも会わぬと……」


 「そうですか……」

 研水は、頷いた。

 師の心遣いを受け取らないわけにはいかない。

 だが、玄白の身にも危険が迫っていることは伝えねばならぬ。

 「実は、昨夜……」


 研水は、自分が気付いたことを加吉に話した。

 「……と、言うことです。

 十分、お気を付けください。

 できれば、しばらくの間、身を隠された方が良いかと思います」


 「ご忠告、ありがとうございます。

 ただ……」

 と、加吉の声が変わった。

 丁寧な口調は変わらないが、低く、怒りを押し殺したような声音になっている。


 「……旦那様に、危害を加える輩が現れれば」

 加吉の両肩が、ミシリと大きさを増した気がした。

 「この加吉が、必ずや打ち殺してくれましょう」

 穏やかな雰囲気は一変し、獰猛な忠犬のような目つきになっていた。


 ……六郎も怖いが、この加吉も、別の意味で怖いな。

 研水は、曖昧な笑顔を向け、玄白の屋敷を去った。


 景山にも玄白にも会えず、ただ徒労感が残った。

 そして、足が重くなっていると言う訳である。


 研水は、帰宅しようとも考えたが、昨日、六郎が話した、大入道のことが気になっていた。

 正直、怖い。

 ……在宅時に、大入道が現れても、六郎は、頼りにならぬ。

 ……大入道の味方に回り、媚すら売りそうである。

 自分自身で、何とか身を護る算段を考えねばならぬな。


 そう考えながら、研水は、麻布から北へと向かった。

 江戸の地形は、江戸城を境に、東は平地が続き、逆に西は台地となっている。

 武蔵野台地である。

 麻布の辺りは、すでに台地であり、土地は水田に適しておらず、畑が多い。

 研水は畑の間を通り抜け、その向こうの山へと、一人、踏み入っていったのだ。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 研水が山に入っている間、大きな騒ぎが起こった。

 浅草に麒麟、禽獣人譜に記されていた、ぐりふぉむが出現したのだ。


 最初の目撃者は、両国橋を渡っていた魚屋である。

 天秤棒を降ろし、汗を拭きながら、空を見上げたところ、その姿が目に入ったのだ。


 最初は、翼を広げて飛ぶ、鷹かトンビに見えた。

 が、それにしては胴の形がおかしかった。

 長く、猫のように伸びている。

 さらに目を凝らすと、尾までが見える。

 

 そして、恐ろしいことに、その姿は大きかった。

 周囲に比較対象が無かったため、錯覚かと思ったが、少なくとも馬ほどの体躯はあった。

 「なんだい、ありゃ……」

 油屋がつぶやいたときには、周囲の人々も、その奇妙な怪物に気付き、ざわつき始めていた。


 その怪物は、東から西へと隅田川を越え、高度を一気に下げていく。

 「おい、見ろッ!」

 「化け物だッ!」

 人々が騒ぐ。

 ぐりふぉむは、浅草寺の辺りへと姿を消した。


 そして、真昼の江戸に現れた怪物と、将軍直轄の武士団、旗本との戦いが始まったのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る