第32話 魔人の顔


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 町中を歩いていた。

 覚えがあるような無いような、どうにも、はっきりとしない道である。

 路地と言うほど狭くは無いが、大通りほど広くは無い。


 どこだろう?

 前方に目を凝らすと、突き当りは水路となっていた。

 岸をきっちりと石で固められている。

 水路の向こうは、土壁が視界を防いでいた。


 研水は、恐ろしくなった。

 これ以上、水路に近づくことが恐ろしいのだ。


 なぜだろう?

 なぜ恐ろしいと感じているのか?

 それは、水路が、お城の内濠に繋がっているからだ。

 内濠から、ナマズの尾を持つ人魚が、前方の水路まで入り込んできているのだ。


 そこで、研水を待ち伏せている。

 水路に近づけば、濁った水の中に引きずり込むつもりである。


 近づいてはダメだ。

 研水は、来た道を引き返そうとした。

 しかし、それも出来ないことを不意に思い出した。


 後から大入道が迫ってきているのだ。

 丸い托鉢笠を被った大入道である。

 僧衣の内には、河童と天狗が隠れている。


 どうすればいい?

 どこに逃げれば?

 そのとき研水は、左手の建物に、多くの人々が流れ込んでいることに気が付いた。


 何かの大店だろうか。

 店頭は大きく開け放たれ、人々は広い敷地内へと吸い込まれていく。

 祭りでみる、見世物小屋にも、どこか似ている。


 ここに入ろう。

 ここに入って、やり過ごすのだ。

 研水は、人ごみに紛れて、建物内へと入り込んだ。


 建物中には、幾つもの展示台があった。

 腰ほどの高さで、入ってきた人々が、展示物に触れることができないよう、簡単な竹の柵で囲まれている。

 

 展示台の上には、様々な本草が並べられていた。

 干された植物、木の実、牽かれて粉末状になった木の実、同じく粉末状になった鉱物、乾燥した小動物と思しきモノ、そのほか、見たことも無い本草たち……。

 展示物の前には、それが何で、どんな効能があるのかを説明した紙が貼りつけられていた。

 

 ここは物産会場か!?

 ……いや、そうではない。

 何か、おかしい。

 並べられた本草も説明書きも、行き来する人々までも、曖昧な感じがする。

 ……夢か。

 研水は、自分が夢を見ていることを自覚した。


 夢の中で夢であることを自覚する。

 現代で言う、明晰夢である。

 しかし、夢であることに気付いたからと言って、何でもできることは無い。

 現実世界で身につけた常識や良心、羞恥心、罪悪感が枷となり、たとえ夢だと分かっても、好き勝手なことができる訳では無いのだ。


 研水は、物産会場に、ひとつの集団を見つけた。

 何度か挨拶をしたことがある、本草学者の田村元雄、蘭学者の中川淳庵がいる。

 そして、師である杉田玄白がいた。

 まだ、若いころの師である。

 

 ここは……、ただの物産会場ではない。

 東都薬品会だと、研水は気が付いた。

 玄白から聞いた、東都薬品会の話を夢に見ているのだ。


 ならば、あの男がいるはずである。

 研水は、元雄、淳庵、玄白の向こうに、その男を見つけた。

 魔人平賀源内である。


 おそらく先入観が、そう見せているのであろう、源内の顔は闇であった。

 輪郭も定かではない闇が、肩の上に、もやもやと蠢いている。

 まるで無数のコバエが、強烈な腐肉に集まっているようにも見えた。

 その蠢く闇の中に、二つの丸い目玉だけが見える。

 恐ろしく不気味であった。


 「ある行為とは?」

 玄白が、源内の目玉に問うた。


 「自慢です」

 蠢く闇の中で、目玉がパチリと瞬きをする。


 「自慢ですか?」

 玄白が驚いている。


 「その通りです、玄白先生。

 『わしはこういう本草を所有しておる』

 『なんの、わしの知る薬草は、このような効能がある』

 『おぬしらは、このような本草を知らぬであろう』とね。

 しかも……」

 続きを話しながら、源内は目玉を動かした。

 玄白から、研水へと向かって、丸い目玉を向けたのだ。


 研水は、掠れるような悲鳴をあげた。

 見られた。

 源内に見つかった。

 盗み見、盗み聞きしていたことに気付かれたのだ。

 源内は、研水を見詰め、目玉だけの顔で不気味に笑った。


 そこで研水は、悲鳴をあげながら、なぜ、自分が、立て続けに怪物と遭遇したのかを理解したのだ。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 目を開けた研水は、最初、事態が把握できなかった。

 あれほどいた人々が、一人もいない。

 手足を無様に動かし、何とか上半身を起こすと、師の玄白を探した。

 師も危ない。

 すぐにでも伝えねばと思ったのだ。


 しかし、玄白の姿も無い。

 そこで、ようやく自身の屋敷の一室にいることに気付いた。

 「……夢か。

 ……私は眠っていたのか」

 呆けたようにつぶやく。


 しばらく、その姿勢でいると、土間に通じる引き戸を開け、六郎が姿を見せた。

 「旦那様。

 ようやく起きられましたか。

 まあ、よう眠っておられましたな」

 

 「……今は何刻だ?」

 「昼の四つ(午前9時~11時の間)ですな」

 六郎が庭に通じる引き戸も開けた。

 

 ……!

 研水は、右手で目を覆う。

 眩しい光が、どっと室内に飛び込んできたのだ。

 「私は、どれぐらい眠っておったのだ?」

 目をしかめながら、六郎に問うた。


 六郎から話を聞くと、玄白の屋敷から戻った研水は、大入道の話を聞いた後、この座敷で横になり、そのまま一晩、眠ったと言うことであった。

 今は、次の日の昼前ということである。


 六郎は、研水が眠りっぱなしであったため、夜になると離れの小屋に戻り、朝になってから、母屋に戻ってきた。

 しかし、まだ眠っていたため、起きるのを待っていたと言うことであった。


 「あまりに長く眠っておられるから、まさか死んではおるまいかと、心配しましたぞ」

 六郎は、相変わらず、嬉しそうにろくでもないことを言う。


 ならば、起こせばよかろう。

 起こさなくても、枕と夜着を出しておくなり出来ぬのかと腹が立ったが、不毛な会話になりそうなので、研水は、六郎を叱責しなかった。


   ◆◇◆◇◆◇◆◇


 研水は手早く食事をとり、身なりを整えた。

 長い時間、眠ったが、疲れは抜け切らず、逆に体の節々が痛い。

 研水は、くたびれた体で、南町奉行所へと向かった。

 景山に会わねばならないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る