第31話 しばてん


 「旦那様は、しばてんを知りませぬか?」

 六郎が、嬉しそうに言った。

 小さな目が、優越感に輝いている。


 「知らぬ。

 お前は、知っているのか?」

 「はい」


 ……。

 …………。

 「はい」と答えたが、六郎は、そこから口を開かない。

 嬉しそうに、何かを待っている。


 「私に、教えてくれぬか」

 「承知しました」

 研水が乞うと、六郎は満足そうにうなずいた。


 「しばてんとは、河童です」


 「河童だと?

 お前は、先ほど、大入道と言ったではないか」

 からかわれているのかと思い、研水の口調に棘が生まれた。

 ただでさえ疲れ切っているのだ。

 六郎のおふざけに、つき合うつもりは無い。


 「旦那様」

 六郎は呆れたような顔になった。

 呆れた顔の中、目だけは、研水を責めるように見ている。

 六郎は、胴間声でがなりはじめた。


 「ならば、昨夜、旦那様が、首が伸びる女に出会ったとしましょうか」

 筋張った首を伸ばし、その横で右手の人差し指をぐるぐると回しながら、上に向かって持ち上げる。

 それほど長い首ということなのであろう。


 「その女に『何者か?』と問うと、『あたしは一つ目小僧』と答えたとしましょう。

 さて、そのことを誰かにお話しするとき、旦那様は、一つ目小僧を見たと言われるか?

 いや、そうでないでしょう。

 ろくろ首を見たと言われるのではありませぬか?

 それとも、自分の目や知識を信じず、あやかしの言葉を鵜吞みにして、一つ目小僧を見たと……」


 「分かった。分かった」

 研水は、軽く手を挙げて、六郎の話を抑えた。

 「私が悪かった。

 お前の話を黙って聞こう。

 続けておくれ」


 研水が謝ると、六郎は満足そうに重々しく頷いた。

 「しばてんとは、天狗です」


 河童か天狗か、はっきりせよ!

 研水は、反射的に突っ込みそうになったが。

 ぐっと黙った。

 

 …………。

 六郎は、突っ込める間を十分に空けたが、研水が黙ったままなので、つまらなさそうに息を小さく吐き、説明を続けた。


 「しばてんは、江戸より遠く、四国におる妖怪と聞きましたわ。

 しばてんぐとも呼ばれ、天狗だとも言われますが、そうではなく、河童の仲間であるとも言われております。

 しばてんを見たものによると、大きさは子供ていどで、全身に毛が生え、まるで猿のようだったとのことです。

 しばてんは、河童と同じで、人を見ると「相撲をとろう、相撲をとろう」とせがんでくると言いますわ。

 相撲をとれば、その強さは無類で、大人が三人がかりでもかなわないという話もありますが、逆に、まったく弱いとも言いますな。

 相撲をとれば、小さな体をころんころんと転がされる。

 ところが、一番とるたびに、しばてんは、むくむくと強くなるそうで、数度相撲をとると、どう突っかかっても、大岩のように動かせず、さらに、その背丈は大人を越え、それまで相手をしていた大人を、軽々と投げ飛ばすとも言われております」


 六郎が見たという大入道は、大きくなった、しばてんと言うことか……。

 研水は眉を寄せた。

 結局、意味が分からない。


 しばてんを連想させるような怪物が、禽獣人譜にあっただろうか……。

 思い返してみるが、あった気はしない。

 考え込むと、疲れのためもあってか、頭が痛くなってきた。


 「……少し横になる」

 そう言った研水は、手拭いで足を拭き、奥の座敷に入った。


 袴を脱ぎ、小袖の姿になって少し帯を緩めると、畳の上で横になった。

 枕が欲しかったが、六郎に声をかけることすら、もう面倒になっていた。

 粘るような疲れが全身にまとわりつき、ただただ、眠い。


 研水は、まどろんだ。

 が、神経がささくれ立っているのか、深くは眠れない。

 朝から、景山を探して歩き回り、人面の化け物鳥に襲われ、師である玄白の元では、不安になる話を聞いた。

 さらに帰路、人魚の化け物にも遭遇したのだ。

 

 あまりに多くのことが起こり、身も心も疲れ切っているのだ。

 だが、それが原因で、心の一部は、不安と興奮でチリチリと覚醒している。

 そのため、研水は、浅く短い眠りと半覚醒を繰り返していた。


 途中で、人魚の怪物のことを景山に伝えていないことを思い出したが、目が開かず、どうにもならなかった。


 景山へは、明日伝えると決めると、今度は別のことが気になった。

 何故、自分は、こうも短い間に、これほどの怪物と遭遇する目にあったのだろうか……。

 

 犬神憑きとの遭遇は、不幸な偶然であったかも知れない。

 ぬえの死骸と対面したこともまた、仕方の無かったことなのかも知れない。

 しかし、あの人面の怪鳥はどうであったか?

 はあぴいか……。

 はあぴいとか言う怪物だ。

 あの老婆は、あきらかに私を睨んでおった。


 それに、内濠の人魚。

 あれも偶然であったのだろうか?

 ……いや、あの場に行合うたのは偶然かも知れぬが、あの怪物は、あきらかに、自分を襲おうと身を潜めていたのではないか。

 あのとき私は、死の淵にいたのだ。


 ……極めつけは、屋敷を訪ねにきた大入道。


 研水は、細かい汗をかき、うなされながら悪夢を見ていた。

 そして、その悪夢の中で、なぜ自分の前に怪物が現れるかの答えにたどりついた。

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