第39話 組討ち


 後藤の決断は早かった。

 「景山ッ!」

 抜刀しながら叫んだ。

 

 太刀を抜き切ると、その場で反転して背後を向く。

 ぐりふぉむが迫っている。

 「わしが止める!

 佐竹様を逃がせッ!」

 そう言った後藤は、ぐりふぉむに対して、刀身をやや内に寝かせた片手上段に構えた。

 鞘に添えていた左手は、懐に差し込んでいる。

 

 クワッカカカカ!

 逃げていた獲物が、急に立ち止ったことに驚いたのか、ぐりふぉむは動きを変えた。

 翼を大きく広げると、急制動をかけ、後肢で立ち上がったのだ。

 四足獣であるため、完全に立ち上がったわけでは無い。

 上半身が充分に持ち上がったところで、鋭い鉤爪の前肢を振り下ろしながら、体勢を戻していく。


 振り下ろす前肢は、後藤を狙っていた。


 猛禽類の脚にそっくりな魔獣の前肢が、頭上に落ちてくる。

 後藤の目は、黄色く、角質化されたウロコ状の皮膚で覆われた脚を捕らえていた。

 指は、鷹やトンビと同様に、前に向かって三本、後ろに向かって一本が伸びている。

 それぞれの指の先には、湾曲し、先端が尖った黒鉄のような爪がある。


 恐ろしいのは、鋭い形状ではなく、その寸法であった。

 爪だけで、子供の腕ほどはある。

 捕まれば、人間など、一瞬でズタボロにされるであろう。


 この距離で、後に下がることや横に回り込むことは、ぐりふぉむの追撃を容易にさせる悪手である。

 後藤の取れる最善手は、前方にある。

 振り下ろされる鉤爪をかい潜り、ぐりふぉむの腹の下に飛び込むことであった。

 唯一、その位置だけが、ぐりふぉむの追撃をさけることができる。


 が、後藤は、どの方向にも動かなかった。

 左手で懐から十手を引き抜き、その場に踏みとどまったのだ。

 

 そして、信じられないことに、右手の太刀、左手の十手を頭上で交差させ、ぐりふぉむの左前肢の一撃を受けたのである。

 ただ受けたのではない。

 それでは、刀ごと潰されてしまう。

 打ち降ろしてきた、ぐりふぉむの力を流して崩す。

 後藤は、組討ちの技を、巨大な魔獣に掛けたのだ。


 組討ちは、戦場で敵と揉み合いになった際、相手の体を崩して組み伏せる技である。

 組み伏せた後、短刀で鎧の隙間から相手の急所を貫き、その首を獲る。

 後藤は、相模国の名人、有原老歩に組討ちの技を習った。


 老歩の技は、相手の体の芯を自在に操ると言われ、素手でかなうものは皆無だったと言われる。

 しかも、相手と言うのは、人間に限らなかった。


 ある日、酔った老歩が、成長した牡牛の横に立ち、手の平で牛の肩をトンと押したことがあった。

 すると、牡牛は、トットットッと横へと移動した。

 牛が横移動することは滅多にない。

 しかし、その牡牛は、重心が定まらないかのように、どんどん横歩きで移動した。

 ようやく止まったのは、最初の場所から、五間(約9m)も移動した後である。


 止まった牡牛は、老歩を見た。

 自分を不愉快な目に遭わせたのが、老歩だと理解している目である。

 怒気を発し、頭を下げて、老歩へ突進してきた。


 牛は動物の中でも、早く走る方ではない。

 だが、重量がある。

 激突されれば、人間など紙屑のように吹き飛ばされる。


 突進してくる牡牛に対して、老歩は逃げなかった。

 逃げずに、右手をひょいと前に出した。

 そして、突っ込んできた牡牛の右の角に、右手の甲を添えた。


 それだけで、牡牛の進行方向が、老歩の体の分だけ反れた。

 「ほりゃ、ほりゃ、ほりゃ」と、老歩が楽しそうに、その場で回転する。

 すると、手の甲で角を押さえられた牡牛が、回転する老歩に合わせて、その周りを回り始めた。

 手の甲と牡牛の角は、ぴったりと張り付いたように離れない。


 「ほりゃ、ほりゃ、ほりゃ」

 老歩は、その場で三回転し、牡牛も老歩の周りを三周した。

 そこで、老歩が右手を離すと、解放された牡牛は、そのまま逃げ去っていった。

 残った老舗は、目を回して嘔吐したと言う。


 後藤は、その老歩から、直々に指導を受けたのだ。

 右手の太刀、左手の十手に、ぐりふぉむの体重が掛かってくる。

 ゆっくりではない。

 一気に掛かってくる。

 それに倒れ込んできた加速が足され、前肢そのものの力も加わる。


 ……相手の力を押し返さず、むしろ引き寄せる。

 ……引き寄せながら、力の方向をかえる。

 後藤は、刹那の瞬間に、太刀と十手に掛かる力を操作した。

 ぐりふぉむの巨体がわずかに傾いた。

 重心がズレる。


 しかし、そこまでであった。

 あまりにも体重差、体格差があり過ぎるのだ。

 体を傾けたものの、ぐりふぉむは倒れるまではいかず、振り下ろしていた右前肢の方向を変えた。

 左前肢で抑え込んでいる獲物に、横から爪を立てる動きであった。


 ……まずいな。

 後藤の顔が、さすがに強張った。

 自身の左から、魔獣の右前肢が迫ってくることを察したのだ。

 

 察したが動けない。

 逃げようとして、力の均衡を崩せば、ぐりふぉむの左前肢で押し潰される。

 絶体絶命であった。

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