第22話 偽の噂
しばらく目を閉じていた景山が、静かに目を開けた。
「三十七年前に獄死していた平賀源内が、密かに生きておったとしよう……」
自身の考えを確認するかのように、ゆっくりと語る。
「そして、犬神憑きと呼ばれる獣人、ヌエに似た怪物や人面鳥など、西洋のおぞましい怪物どもを造り上げたとしよう……。
しかし、どうにも解せぬことがある」
景山は、眉を寄せて言う。
「……何故だ?
なぜ源内は、それらの怪物を使って、江戸を騒がせるのだ?
怪物たちの中で、意味のある行動をしているのは、蔵破りをして、盗みを働く犬神憑きだけではないか」
「動機ですか」
研水は、はっとした顔で景山を見た。
たしかに、その通りである。
研水は、怪物に襲われたと言う、悪夢のような出来事にだけ、心を奪われていた。
しかし、景山は、同心という役目柄、犯人が平賀源内ならば、その動機は何かと考えていたのだ。
研水は、薄暗い座敷の奥に座す、玄白に視線を向けた。
源内と交流のあった玄白ならば、その動機についても、心当たりがあるのではないかと思ったからである。
玄白は、研水の視線の意味を察したかのように、口を開いた。
「今日、話したことの中に、源内の動機があるとわしは考えておる。
研水、推測できぬか?」
玄白の言葉に、研水は懐かしい空気を感じ取った。
天真楼で玄白に学んでいたころ、よく、このように質問をされたのだ。
『腎臓は動脈、静脈だけではなく、細い管によって膀胱と繋がっておる。
このことから、腎臓の働きを推測できぬか?』
『薬の効き目が悪いと言うたが、それ以外のことは推測できぬか?
そもそも水銀は、薬ではなく毒物であったとしたらどうじゃ?』
そのようなやり取りを何百、何千と繰り返し、研水は、蘭学だけではなく、知識を基礎とし、そこから自身で考える医術を身につけたのだ。
研水は、玄白の話したことを思い返した。
東都薬品会で人を集めた手腕……。
オランダ商館館長、カピタンに見せた反発心。
そして、実際にタルモメイトルを作り上げた頭脳……。
怪しげな洋書、怪物図鑑への傾倒……。
陸奥での鉱山開発……。
解体新書への無関心……。
……いや、あまり複雑に考えてはいかん。
……枝葉にとらわれることになり、本質を見失う。
研水は、小さく唇を噛んだ。
江戸で騒ぎを起こす怪物の目的は……。
いや、待てよ。
騒ぎそのものが目的だとしたら……。
「そうか……。
東都薬品会か」
自身の推測に、研水は思わずつぶやいた。
「それは、玄白殿と平賀源内が、初めて出会った物産会のことだな。
そこに動機があると言うのか?」
景山が、研水に問うてきた。
「玄白先生の話を思い返してみたのです。
源内は、物産展が大成功したのは、人間のある行為が要因だと言いました。
その行為とは、『自慢』です」
「ふむ、そういう話があったな」
「源内は、怪物を解き放ち、世間を騒がせることで、自分の天才を誇示しているのですよ。
おれは、このような怪物を造り上げた。
おれは、このような怪鳥を造り上げた。
おれは、このような獣人を造り上げた。
おれは、不死の王である。
……とね。
江戸全体を物産展会場に見立て、そこに住む、百万とも言われる人々に対し、自身の天才を自慢しているのです」
「江戸そのものを物産展にか……。
とんでもないことだな」
景山が驚きの表情を浮かべて言った。
「景山様。
私も、今回の騒動、源内の動機は、そのあたりにあると考えております」
玄白が、たどり着いた研水の推測に同意した。
しばらく考え込んだ景山が、口を開いた。
「玄白殿、研水殿。
今の平賀源内の話、他言無用に願う」
「それは構いませんが……。
何か、源内を捕縛する手があるのでしょうか?」
玄白が景山にたずねた。
「今の動機が正しいとすれば、平賀源内は、いずれ自身が噂になることを望むであろう。
しかし、源内の名があがらなければどうだ?」
「それは……、思惑が外れ、源内は苛立つでしょうな」
と、研水が答えた。
「さらに、怪物を造り上げたのは、別の者だと噂が広がればどうだ?」
「別の者?」
「たとえば……」そう言った景山は、とんでもないことを話し出した。
「西洋の怪物を造り上げたのは、蘭学医の天才、戸田研水殿と言う噂を江戸中に広めるのだ。
どこからか、源内の名があがっても、それは否定する。
あれは、すでに死んだ痴れ者だ。
研水殿こそ、本物の天才よ。とな。
源内にすれば、自分の成果を横取りされたと激怒し、歯噛みするであろう。
そうなれば、憎い偽物の戸田研水を殺害し、真に怪物を造り上げた天才は、平賀源内であると知らしめようとするのではないか?
ならば、その時こそ、源内を捕縛する絶好の機会であろう」
「お、おお、わ、私に、お、囮に、なれと、い、言われるのですか」
研水は、目を剥いた。
あまりのことに、言葉が詰まる。
驚愕する研水の耳に、「ほっほっほっ」と柔らかい笑い声が届いた。
見ると、薄闇の中で、玄白が楽しそうに笑っている。
研水は、これほど楽しそうに笑う玄白を、今まで見たことがなかった。
「せ、先生、先生……」
研水は、情けない声をあげた。
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