第16話 奇才の人


 物産会に集まった多くの本草学者たちは、展示品の豊富さに驚き、興奮していた。

 若き日の杉田玄白も、その中の一人であった。

 本草とは植物のことを意味し、中でも薬となる植物、動物、鉱物の研究を本草学という。


 「玄白先生」

 呼ばれて振り返ると、そこには物産会の後援者の一人、本草学者の田村元雄がいた。


 「これは、元雄先生」


 「よくいらっしゃいました。

どうですか、今回の物産会は」


 「圧巻です。

 これほど多種多様の本草を目にすることができるとは、思ってもおりませんでした」


 「これはみんな、源内の発案によるものなのです」

 元雄は嬉しそうな顔で言った。


 「平賀源内殿ですか?」

 すでにこのころ平賀源内の名前は知れ渡っていた。


 本草学を始め、儒学、医学、蘭学に優れ、さらに俳諧う、当時、まだ珍しかった油絵でも評価を得ていたのだ。

 「玄白先生は、源内と面識はありませんでしたか。

 源内は、私の門弟でしてな。

 見所のある男です。

 ご紹介いたしましょう」


 元雄に案内されると、源内は、会場の奥で中川淳庵と話しをしているところであった。

 淳庵は玄白と同じ小浜藩の藩医であり、玄白の後輩にあたる蘭方医である。


 元雄は源内に声を掛けると、玄白に紹介した。

 「玄白先生、彼が平賀源内です」


 「杉田玄白です」

 玄白が会釈をする。


 「おお、ようこそいらっしゃいました。

 今、淳庵先生から、玄白先生のことを聞いていたところです。

 小浜藩きっての名医であられるそうですな」

 元雄の紹介を待たずに、源内が大きな笑顔を見せた。


 「とんでもない」

 玄白は思わず手を振る。


 源内は、目の輝きに異彩のある男であった。

 やや面長の顔に四角い顎、玄白より五歳年長であったが、どこかに幼さを残した雰囲気を身にまとっていた。


 二人は、すぐに打ち解けた。

 「源内先生。

 どのようなからくりを使って、これほどの本草を集めたのですか?」

 玄白の素直な質問に、源内は笑って答えた。


 「引き札ですよ」


 引き札とは、今で言う広告のようなものである。

 「引き札で、全国の医者や本草学者に、所蔵している珍しい本草の出品を求めたのです。

 さらに出品者に負担のかからぬよう、十八ヶ国、二十五ヶ所に取次所を設置しました。

 一番近い取次所に運ぶだけで、江戸まで出品物が届くようにしたのです」


 「ほう」

 玄白は感心した。

 しかし、それだけのことで、これほどの本草が集まるものなのかと疑問に思う。


 「実を言うと、私は反対したのですよ」

 元雄が苦笑しながら言った。


 「遠国の先生方は、御自身が参加できないのに、わざわざ貴重な本草を出品するだろうかとね。

 効能についても、それぞれ秘伝というものもあるわけでしょう。

 逆に展示品が集まらず、引き札や取次所の設置で大損をするのではと危惧していたのです」


 玄白もそう思った。

 しかし、現実にはこれほどの本草が集まっている。


 「元雄先生、そこが違うのですよ」

 源内は笑顔のままで首を振った。

 おそらくこの会話は、何度も二人の間でされたものなのであろう。


 「たしかに本人が参加できず、また秘伝として公にしてこなかった本草もあるでしょう。

 しかし、人間は、ある行為をするとき、そのようなことは取るに足りないこととなるのです」


 「ある行為とは?」

 玄白が問うた。


 「自慢です」

 源内は、したり顔でそう言った。


 「自慢ですか?」

 玄白は驚いた。

 いきなり下世話な話になったと思ったのだ。


 「その通りです、玄白先生。

 『わしはこういう本草を所有しておる』

 『なんの、わしの知る薬草は、このような効能がある』

 『おぬしらは、このような本草を知らぬであろう』とね。

 しかも、自慢をする相手は、何も知らぬ庶民ではない。

 江戸に集まった本草学の大家に蘭学の名医です」

 源内は元雄と玄白を見ながらそう言ったが、その中の筆頭は自分だと言わんばかりの表情であった。しかし、その大言が逆に清々しい。


「物産会で騒がれれば騒がれるほど、注目を浴びれば浴びるほど、自尊心が満たされ、さあ次もがんばろう、もっと凄い発見をしてやろう、もっと凄い発明をしてやろうと思うのではありませぬか? 

 何をどう取り繕っても、人間の根っこの部分とは、そういう単純なものでしょう」


 玄白は、唸る思いで源内の話を聞いていた。

 源内の言うのは、本音の部分である。

 そして、集まった本草の多さが、その本音は正しいと証明していた。


 話はさらに盛りあがり、玄白の専門である蘭学に移った。

 「玄白先生は、カピタンにお会いになったことはありますか?」

 源内がたずねた。

 カピタンとは、長崎の出島にある、オランダ商館の館長のことである。


 「いや、残念ながら」


 「カピタンは年に一度、将軍への献上品を持って参府します。

 そのとき三ヶ月ほど江戸に滞在するのです。

 私と淳庵先生は、何度がカピタンと面会をしています。

 次に機会があれば、御一緒しませんか?」


 「よいのですか!」

 源内の誘いに、玄白は跳びあがらんばかりに喜んだ。


 「もちろんです」

 源内は笑顔でうなずいた。


 この物産会がきっかけとなり、江戸に蘭学者グループとでもいうべきものが誕生した。

 同じ道を進む者たちが集まり切磋琢磨する。

 玄白にとって、最も充実した時期であった。

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