第15話 東都薬品会へ
「同心の景山様に、わざわざ御足労を願いながら、このような姿で挨拶することとなり、真に御無礼をいたします」
訪れた景山に対し、薄暗い奥座敷に座る玄白が深く頭を下げた。
明り取りの窓は閉じているが、寝具や盥は片付け、身なりも正している。
景山は、昨日の研水と同じく、奥座敷には入らず、敷居を挟んで手前の座敷に座っていた。
研水から玄白の病状を聞いていたため、特に不満を持つ様子も無い。
研水は、景山より、やや下がった位置に控えていた。
景山が小者を走らせ、自らが到着する前に、人面鳥の騒動を玄白に伝えていたため、長い前置きは必要なかった。
「玄白殿の噂は耳にしております。
小浜では藩医を務め、江戸に来てからは蘭学を学び、『解体新書』なる難解な医学書を翻訳されたそうですな」
景山は格式張らずに、玄白に話しかけた。
「あれは、私一人の力によるものではありませぬ。
前野良沢先生らの力添えがあったからこその、翻訳でございます」
そう答えた玄白は何かを思い出すように、しばらく黙り込んだ。
景山は急かすことをせずに、玄白が話しはじめるのを待つ。
「……『解体新書』の翻訳は、今、江戸をおびやかす怪異に無関係ではありませぬ」
玄白は、ぽつりとそう言った。
……!
その玄白の言葉に研水は驚いた。
『禽獣譜』だけではなく、あの『解体新書』が関係していたとは、予想外のことであった。
一体、今、江戸で何が起こっているのか……。
「長い話になりますが、お聞きください」
そう言った玄白は、少し咳をすると話を始めた。
「あれは宝暦十二年のことでございます。
私は、まだ三十にもならぬ若造で、日本橋で町医をしておりました」
五十年以上も前の話である。
「その日、湯島で『東都薬品会』という物産会が催されました。
たしか五回目の物産会であったと記憶しております」
「物産会とは?」
景山が問う。
「全国から植物や鉱物を集めた、展示会でございます」
「植物や鉱物をのう……」
景山は理解しかねているようであった。
普通の人間には、草や石を集めて展示するといっても、それが何を意味するのかが理解できない。
それを察した玄白が説明をした。
「北と南では、採れる植物も採掘される鉱石も異なるものでございます。
その中には、薬効を持つものが多くございます」
「諸藩から集めた、薬の素を展示していると言う訳か。
しかし、草花はともかく、石も薬となるのか?」
「はい。
たとえば、石膏は、下痢止めや解熱に効きます。
また、芒硝という鉱物は、下剤や利尿の効能を持ちます。
丹などは、心が休まる薬効を持ち、支那においても、古くから薬として使われておりました」
「なるほどのう。
いや、これは話の腰を折ってしまったな」
景山が納得した顔になった。
「……あの日、『東都薬品会』の物産会場に入ったときの驚きは、今も覚えております。
私は勉強のため、この物産会には、一回目から参加しております。
いつもは200種ていど、それもほとんどは見聞きしたことのある展示物ばかりなのですが、その回は何と1300種もの展示物が全国から集められ、会場いっぱいに展示されていたのでございます」
「1300種も!」
思わず研水が声をあげた。
それまでの、六倍以上の展示物である。
「……それほどの本草が集まったのは、平賀源内殿の手腕によるものでした」
昔日を懐かしむように、玄白は言った。
平賀源内。
その名前を聞いた研水は、複雑な心境になった。
源内は、蘭学者、発明家として有名であるが、それだけではない。
本草学者、医者、地質学者、草子本、浄瑠璃の作者、俳人、蘭画家、事業者など、ありとあらゆることに手を出していた。
源内を知る人は、みな一様に稀代の天才であったと褒める。
そして、同じ口で、その才能を浪費し、優れた業績を残すことなく死んだ放蕩者だと非難するのである。
塾長だったころの玄白も、源内の才能を認めつつも、その人格に対しては否定的であった。
「あれは……、真に素晴らしい物産会でありました」
玄白は、薄暗い座敷の中でゆっくりと懐かしむように語った。
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