第12話 偽薬の効能
「うわわわ!」
向かってくる人面鳥に対して、一人の捕り方があわてて刺又を振った。
しかし、恐怖で目測を誤ったためか、まるで届かない。
逆に、刺又が通り抜けた後の空間に、人面鳥が飛び込んできた。
「ひッ!」
悲鳴をあげた捕り方と人面鳥が、一瞬交差した。
人面鳥は、すれ違いざまに、捕り方の顔面を鋭い鉤爪で掻き毟った。
一本が大人の指ほどもある鉤爪である。
捕り方は、顔全体から血を吹き出して、棒のようにぶっ倒れた。
それを見た他の捕り方たちは、悲鳴をあげて長柄を振り回しはじめた。
しかし、人面鳥は、長柄が届かぬ高さを嘲るように飛び回り、不意に急降下をしては、新たな新たな獲物に襲い掛かる。
血飛沫と悲鳴の中で、犠牲者が増えていった。
天水桶の陰に隠れた研水は、震えながら目の前の惨劇を見ていた。
陽光の注ぐ、真っ昼間の町中で、老婆の顔をした巨大な人面鳥が、捕り方たちを襲っているのだ。
あまりにも非現実的な光景であった。
新たに捕り方の一団が現れたが、状況は変わらない。
犠牲者は増える一方で、みな及び腰になって逃げ回っている。
その逃げ回る捕り方たちを、ひとり、ふたりと人面鳥が襲い、すでに七人の犠牲者が骸となって転がっていた。
「研水殿ッ!
そこに、いたか!」
そんな地獄絵図の中、刀を手にした景山が、研水のそばに走り寄ってきた。
「か、景山様」
「研水殿、立て!
立って胸を張るのじゃ!」
景山は、しゃがみ込んでいた研水を引き起こそうとした。
「む、無理でございます」
研水は首を振る。
この状況で立ち上がれば、あの人面鳥がすぐさま襲い掛かってくる恐怖があった。
「聞くのだ!」
景山が、怖い形相で言う。
「このままでは、みな怯えて逃げ惑い、被害者が増えるだけじゃ。
決死の覚悟で、あの化物を地面に引きずり降ろさねばならぬ。
そのために立ってくれ! 立つのじゃ!」
研水は、強引に引き起こされた。
景山のいう言葉の意味は分かる。
しかし、自分が立たされる意味が理解できない。
まさか、囮にされるのかと思った。
「者ども、臆するな!」
研水を立たせた景山が叫んだ。
「ここに江戸一番の蘭方医、戸田研水殿がおる!
いくら深手を負おうが、必ずや治してくれよう!
恐れるな! 腹を据えて、あの化け物を打ち殺すのじゃ!」
景山の言葉に、全員の視線が研水に向いた。
……冗談では無い。
研水は顔を引きつらせた。
研水は傷の手当てを専門とする金創医ではない。
本道といわれる内科が専門であった。
簡単な傷口の縫合ならできるが、血管や骨まで断つような深手は専門外である。
無茶だ。逃げよう。
そのあたりの店にでも飛び込み、奥に隠れればいいのだ。
裏口から逃げてもいい。
私には何も出来ぬ。
私に出来ることなどない。
そう思いながら、研水は通りに向かって一歩前に出た。
ち、違う。そうではない。
逃げなくては……。
逃げなくては……。
逃げようという意志とは反対に、さらに一歩前に出て胸を張る。
ああ、そうか、そういうことか……。
研水は、自分は偽薬なのだと悟った。
恐怖という病に掛かった捕り方たちを治す偽薬なのだ。
効能を持っていなくても、それを悟られてはならない。
偽薬と知れれば、効き目は無くなってしまうのだ。
勿体をつけ、堂々と現れることによってこそ、捕り方たちの恐怖を払拭することができるのだ。
そのためには命を張らねばならぬ。
しかし、震えが止まらない。
ええい、かまわぬ!
研水は、震えたままで覚悟を決めた。
「蘭方医の戸田研水である!
私に治せぬ傷は無い!」
大声で叫んだ。
それに応じたのは人面鳥であった。
ギエエエエエエエエと鳴くと、高くは飛ばず、研水の顔の高さを地面と水平に滑空してきた。
放たれた矢のように速い。
怒りに狂った老婆の顔が、みるみるうちに研水へと迫ってくる。
人面鳥が飛んでくるよりも早く、背筋が凍りつくほどの恐怖が、正面から研水をわしづかみにした。
ああ、これは死ぬな……。
確実に死ぬ……。
似合わぬことをするものではない……。
研水は泣き笑いの顔で、迫る死を感じた。
「研水殿、見事じゃ!」
そのとき、研水をかばうように、景山が前に出た。
さらに今まで逃げ回っていた捕り方たちが、研水の盾になるべく、四方から駆け寄ってきた。
「先生を守るぞッ!」
「集まれッ!」
「応ッ!」
左右から突き出された捕り方たちの長柄が、研水をかばう景山の前で、格子のように組合させた。
そこに人面鳥が激突した。
長柄が激しい音を立ててたわむ。
研水は、再び尻もちをついた。
斜め後方にこけたため、景山の向こうがよく見えた。
ゲエ、ゲオオオオ、ゲゲッ。
長柄で出来た格子の隙間から、老婆が強引に頭だけをくぐらせ、凄まじい声で吼えている。
「りゃッ!」
景山が突きを放った。
老婆の口の中に、刀の切っ先が滑り込む。
ゲエエエェェェエエェェ!
格子から首を引き抜いた人面鳥が、鮮血と共に絶叫をあげた。
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