第13話 星王剣


 ゲゲゲッ!

 グワガガッ!

 人面鳥が、巨大な翼を狂ったようにバタつかせ、上空へと逃げようとする。


 「に、逃がすなッ!」

 捕り方の一人が、悲鳴のように叫んだ。


 その声が合図であったかのように、人面鳥に向かって、四方から刺又、袖絡、突棒が叩きつけられた。

 「殺せッ!」

 「りゃああ!」

 捕り方たちの長柄で打たれた人面鳥が激しくもがき、千切れ抜けた、黒く大きな羽根が無数に舞う。


 空へ逃がせば、もう手の打ちようがなくなる。

 再び、あの惨劇が始まる。

 その恐怖感が、捕り方たちから、一切の手加減を奪ってた。


 「止めよ! もうよい! 

 手を止めるのだ!」

 景山の制止も耳に届かない。


 「もう死んでおる!

 化け物は、死んだ!」

 その言葉で、ようやく捕り方たちは手を止めた。


 そのときには、無数に飛び散った黒い羽根と、ズタズタになった肉塊が、撒き散らかされたような惨状が残っているだけであった。

 我に返った捕り方の何人かは、背を向けて嘔吐をする。


 「研水殿。

 怖い役を強いてしまったな」

 地べたに尻を落としたままの研水に、景山が手を伸ばしてきた。

 「い、いえ。あ、ありがとうございます」

 研水が、その手を取ると、強い力で引き起こされた。


 研水は景山に支えられながら、通りの惨状に目を向けた。

 倒れている七人は、確かめるまでもなく絶命していた。

 首が千切れるほどに引き裂かれている者。

 心臓が引きずり出されている者。

 はらわたを掻き出され、胴と腰の間が、妙に伸びている者もいた……。


 誰一人として助けることは出来ない。

 なにが、江戸一番の蘭方医か……。

 研水は唇を嚙み、己の無力さを恨んだ。


 グゲゲゲゲ。

 ゴエッ。ゲゲ。

 人面鳥の鳴き声が聞こえた。


 血みどろの肉塊が鳴くはずはない。

 幻聴か……。

 研水は、自身の耳に指を当てた。


 あまりに強烈な体験であったため、記憶にある怪鳥の鳴き声が、今も聞こえているように錯覚を起こしているのだ。

 そう思った研水の耳に、今度は、はっきりと聞こえた。


 グエッゲゲゲ。

 ゴエッゲゲゲ。

 鳴き声のした方へ顔を向けた。

 そこに、悪夢のような光景が見えた。

 二匹の人面鳥が、土倉の屋根に並んでとまっていたのだ。 


 捕り方たちは、恐怖で血の気の引いた白い顔になり、金縛りに掛かったかのように動かない。

 「……ぬッ」

 研水の横に立つ景山が、呻くような声をあげたが、景山とて、捕り方たちへの指示も、自身の行動も起こせなかった。


 人面鳥から目を離せない研水は、嫌なことに気が付いた。

 同種の鳥を並べられ、個別に見分けることができるかと問われれば、研水は、「できない」と答える。

 スズメはスズメ、ニワトリはニワトリである。

 際立った特徴が無い限り、個体を区別できない。


 しかし、土倉の屋根に並んでとまる二匹の人面鳥は、はっきりと区別が出来たのだ。

 どちらも、先の人面鳥と同じく、老婆の顔をしている。

 ただし、その顔つきが違う。


 向かって右は、下ぶくれで、目が小さい。

 向かって左は、眉が離れ、鼻が低い。

 最初の一匹は、目はやや落ちくぼみ、頬から顎が角ばっていた。

 別人という言葉が適切でなければ、どれも別の個体である。


 個体の識別が、私にできると言うことは……。

 あれは、鳥よりも人に近いのではないのか……。

 あの化け物の根っこは、鳥ではなく……。

 研水は、自分の考えのおぞましさに、総毛立った。


 ゴエゴエッ。

 ゴワガカッ。

 土倉の上の二匹は、時折顔を見合わせるような仕草をし、首を伸ばして嫌な鳴き声をあげる。

 まるで会話をしているようであった。


 緊迫した空気の中、後ろから、飄々とした声が聞こえた。

 「あの妖物は、杉原藤一郎を殺した、ぬえの仲間でしょうか?」


 研水と景山が振り返る。

 ちょうど、二人の間から、半歩下がった場所に、一人の若い武士がいた。


 二十代前半に見える。

 背丈は、研水と変わらない。

 大小の二本を腰に差し、小奇麗な小袖に袴、羽織を身に着けている。

 色白で、目元に涼しさがある武士であった。


 「おそらくは……」

 研水が答えると、その武士は前へと踏み出した。

 研水と景山の間の狭い隙間を抜けて、するりと前に出る。

 どういう身のこなしをしたのか、研水にも景山にも、触れることがなかった。


 そのまま通りを渡り、人面鳥に近づく動作は、そよ風のようである。

 研水と景山の間を吹き抜け、気が付けば通りを渡り終えていた。


 ただ、人面鳥に向かって、真っすぐ近づいたわけでは無かった。

 人面鳥のとまる土倉は、商家の敷地内にある。

 土倉に近づくには、まず土塀を乗り越えねばならない。


 若い武士は、それを避け、商家の隣に建てられた櫓に向かった。

 最初の人面鳥が、とまっていた櫓である。

 羽織、二本差しをそのままに、するするとマシラのように櫓を登っていく。


 土倉の高さを超えたとき、二匹の人面鳥が反応した。

 グワッと鳴くと、土倉の屋根を蹴って、羽ばたいたのだ。


 若い武士も動きを変えた。

 さらに三歩、体を引き上げ、櫓から手を離したのである。

 体がスーーッと外側に傾いていく。

 傾きながら左手で鯉口を切ると、抜刀した。

 そこで、櫓の柱を蹴った。


 櫓から飛び離れた若い武士は、刀を振りかぶり、人面鳥に向かって落ちていった。

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