後編:星に願いを
僕は池袋で降りて、本屋に向かった。ビルは夕日を全身に浴びて、優しい朱色に染っていた。狭い歩道に人々が溢れていた。三省堂に行くつもりだったけれど、その日は何となくジュンク堂に行くことにした。
エスカレーターでジュンク堂の三階に上がり、小説を見て回っていた。まず僕は海外文学の棚を見ていた。「ライ麦畑でつかまえて」を買おうと思ったが、古本屋で買った方がいいと思ってやめた。その後、現代日本文学の棚を見て、文庫のコーナーへと向かった。
ちくま文庫の棚を眺めていたら、一冊の本が僕を引き止めた。
「梶井基次郎全集」だった。
「桜の樹の下には死体が埋まっている」と語った作家の全集だ。全集なのに一冊に収まっているのが、梶井基次郎の儚い人生を物語っていた。桜の木に気持ちを浸した後に出会ったこの本に、僕は運命を感じた。僕は角川文庫の「檸檬」を持っていたが、それに載っていない作品も読みたくなり、僕はその「梶井基次郎全集」を手に取った。厚みのある一冊だった。ここに、梶井基次郎の全てが詰まっているのだと思うと、僕は質量以上に、なにか重みを感じた。
会計を終え、外に出ると、もう日が沈んで暗くなっていた。空気は、肌を突き刺すような冷たさだった。暖房でかいた汗が冷やされて、僕は凍えていた。頭が痛くなった。早く暖かい風呂に浸かりたかった。
透き通るような藍色の空が、ビル群の間から覗いていた。ビルからはカラフルなネオンが輝いていた。その光は明るくて、鬱陶しいぐらいだった。僕は人で溢れる狭い歩道を進み、池袋駅へと向かった。
僕は電車に乗って、席に座った。このとき、汗が冷えて凍えた僕の病弱な体は弱っていた。頭痛が激しくなっていた。僕は瞼を閉じて少しでもその頭痛を抑えようとした。いっそ寝てしまいたかったが、暗闇の視界の中で僕の頭はどんどん冴えた。周りの音が僕の耳に刺さるようだった。僕は早く家の最寄り駅に着いてくれと思いながら、しばらく瞼を閉じていた。
最寄り駅について、僕は電車をおりた。駅を出て少し進むと、池袋とは違って、ぽつぽつと立つ街灯が淋しく道を照らしていた。線路沿いの道を進んでいると、僕の右側で、後ろから前に電車が通り過ぎて行った。朝よりも静かで、清らかな空気が澄み渡る冬の夜の中で、電車の音が鳴り響いていた。電車が通り過ぎたあとの音の余韻が、世界に染み込んでゆき、儚く消えた。僕は朝よりも、悲しくて淋しい気持ちになった。
僕は家へと向かいながら、ふと空を見上げた。雲ひとつない澄んだ藍色の空に、白い丸々とした満月が優雅に輝いていた。満月は嘘みたいに眩しくて、冴えていた。その満月が、僕の人生で一番美しい満月だったと思う。白く眩しい月光が、優美だった。写真を撮ろうと思ったが、僕のスマホに月は綺麗にうつらなかった。僕はその満月を、そっと心の中にしまうことにした。そして、家へと歩き出した。
時折、車のヘッドライトが僕を後ろから照らして影を作った。僕に近づくにつれて影は小さくなり、車が通り過ぎると消えていった。
僕の家がある通りに入る前に、ふと、また空を見上げた。その晴れ晴れとした夜空には、美しいオリオン座が輝いていた。星々は、きらきらと煌めいていた。ペテルギウスが、燃えるように美しく輝いていた。こんなに綺麗な星空を眺めるのは、久しぶりだった。僕は美しい星空を眺めながら、「星に願いを」のオルゴールを思い出していた。心の中で、オルゴールが美しい音色を奏でていた。
『輝く星に心の夢を
祈ればいつか叶うでしょう
きらきら星は不思議な力
あなたの夢を満たすでしょう
人は誰もひとり
哀しい夜を過ごしてる
星に祈れば淋しい日々を
光り照らしてくれるでしょう』
僕は、「今ならこの歌詞を素直に受け入れられる」と思った。僕は、輝くペテルギウスに祈った。歌詞にあるように、いつか僕の日々を光り照らしてくれるように、星に願いを託した。輝く星々に願い、僕を苦しめていた閉塞感が薄くなっていくのを感じた。
星が、僕に力を与えてくれたように思えた。将来にかかっている濃い霧の中に、燃えるように煌めくペテルギウスを見つけたような気がした。そのペテルギウスが、何かは分からない。けれど、とりあえず前に進もうと思えた。いつかきっと、そのペテルギウスが見つけ出せる。そう思えたのだった。
ペテルギウス 文学少女 @asao22
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