十六話

 曲げてた腰を伸ばして、俺は天を仰いだ。ゆっくり進む白い雲の向こうには、目が覚めるような真っ青な空が広がってる。それを見ながら俺は麦わら帽子のつばを上げて、額の汗を拭った。ばてるほどじゃないものの、日が経つにつれてじわじわ気温が上がってきて、顎からしたたる汗を見ると、夏への少しの嫌気と共に、今年も収穫にこぎ着けたと嬉しさも感じる。


「もう少しだから、頑張って」


 離れた隣の小麦の穂が揺れる中から、ひょこっと顔を出した母さんが俺に言った。そのさらに奥では、父さんが黙々と小麦を刈ってる。そろそろ昼休憩だ。もう一頑張りするか――再び腰を曲げて、俺は小麦に鎌を振るった。


 故郷ベルイ村に帰ってきて三ヶ月が経ってる。俺は無事に帰ることができて、今は元の暮らしに戻ってる。姉ちゃんは町で、今もあの食堂で働いてる。何日も無断欠勤したせいでクビになるんじゃないかって心配したけど、店長は深く追及はしないで、快く迎えてくれたらしい。きつく叱るよりも、早く人手が欲しかったのかもしれないな。


 そんな原因を作ったハンネスはと言うと……あの後、捕まえたボスをどこかに連れてって、一連の問題を一応解決したらしい。こんな言い方になるのは、その後でハンネスからすべて済んだって聞かされただけだからで、ボスをどこに連れてって、どんな方法で解決したのか、それを知ってるのはハンネスとその姉弟だけだ。解決したんなら、俺はそれでいいと終わらせた。その内容なんて知りたくもないし、話してもほしくなかった。何だか聞いちゃいけないような雰囲気もあったし……。とにかく、俺と姉ちゃんはようやく自由を取り戻せたというわけだ。


 でも、俺にはまだ気がかりなことがあった。姉ちゃんとハンネスの関係だ。問題が解決して、ハンネスはより気兼ねなく姉ちゃんに接するだろう。だけど俺はもうこの村にいて、見守ることはできない。危険なことはひとまずなくなったけど、この先、また同じようなことが起きないとも限らない。何せハンネスは元暗殺者だ。その手で何人の命を奪ったか知らないけど、恨みを持つ人間なら山ほどいるに違いないんだ。その中の誰かが復讐に来てもおかしくないと俺は思ってる。


 町を離れる時、俺を見送る姉ちゃんと一緒にハンネスも来てくれた。別れの言葉の中で、俺はハンネスに「もう姉ちゃんを危ない目に遭わせるなよ」と言ったら、「しっかり守るから安心して」と返された。こっちとしてはハンネスが姉ちゃんの側にいる限り、安心はできないわけで、できれば一定の距離を置いてほしいんだけど、それが無理なことは俺もわかってる。両思いと知ってる二人が恋人同士になるのはごく自然なことだ。それを俺が阻止するなんて到底できない。やめろって言ったところで、二人の気持ちまでは変えられないから。つまり、俺はもう二人の仲に関われない……いや、本来は弟の俺が関わるようなことじゃない。それは自覚してるんだけど、姉ちゃんの男を見る目のなさは、もう本能なんじゃないかってくらい徹底してる。裏社会の暗殺者が恋人だなんて両親が知ったら、言葉をなくして泣き出すんじゃないかと思う。


 俺が心配するのはそんなことと、姉ちゃんの身の安全、その二つだ。平凡だけど幸せな恋愛なんかどこにでもあると思うんだけどな……でも俺にはもうどうしようもできない。ハンネスには悪いけど、一年後には別れてますようにって願うだけだ。やっぱり、元暗殺者との幸せな未来なんか、俺には想像できない。それさえなければ、ハンネスは姉ちゃんの恋人として最高なんだけど……。


「ふう……」


 一息ついて、俺は前方に広がる小麦畑を眺めた。青空の下、黄金色に染まった小麦の穂が風に揺られて水面のようにうねってる。あっちは明日刈る畑で、今日刈る小麦はそろそろ半分ほど収穫し終えそうだ。昼休憩までにはもう少し刈っておきたい。鎌を持ち直して、俺は小麦の茎を握る。


 この収穫時期になると、姉ちゃんは休みを貰って毎年手伝いに来てくれるはずなんだけど、今年は何の音沙汰もない。いつもなら、二ヶ月に一度くらいは手紙で近況報告をしてきて、その中で収穫日を聞いたりしてたんだけど、すでに三ヶ月が経ってる今、姉ちゃんからの手紙は一通も届いてなかった。両親は忙しくしてるんでしょって、大して気にする様子もなかったけど、俺は、町を出た後に何かあったんじゃないかって、内心不安を感じてた。その根拠は、もちろんハンネスだ。自分達が狙われることがあった後で、何の便りもなくなれば、当然不安になるに決まってる。またハンネス絡みの危険に巻き込まれてるんじゃ――そんな疑いを頭に巡らせてた。


 でも、それを一瞬で吹き飛ばす声に、俺は鎌を持つ手を止めた。


「……ん?」


 腰を伸ばして、後ろに振り返る。視線の先、直射日光に照らされた農道を誰かが声を上げて歩いてくるのが見える。


「――さん、母さん、アイヴァー」


 今度は声がよく聞こえた。片手を振って呼んでる。あれって――


「あら、ウルリカじゃない! 帰ってきたの?」


 母さんは鎌を放ると、足早に畑を出てく。


「おお、ウルリカか!」


 父さんも姉ちゃんを出迎えに行く。俺はその後に続いた。


「ただいま! 久しぶり。収穫に遅れてごめんなさい」


「連絡しなさい。驚くでしょ」


「そうしたかったから手紙も出さなかったのよ」


 夏らしい水色のワンピースでおしゃれした姉ちゃんは、久々に両親と会って眩しいくらいに笑顔を見せてる。どうやら俺の不安は杞憂だったみたいだ。


「ウルリカが手紙をよこさないから、アイヴァーがずっと心配してたのよ。ね?」


「まあ……でも、無駄な心配だったみたいでよかった」


 そう言うと、姉ちゃんは俺を見て笑った。


「もう危ない目には遭ってないから、大丈夫よ」


「……危ない目?」


 父さんが怪訝そうに聞き返す。


「ううん、何でもない。こっちの話よ」


 姉ちゃんはすぐにごまかした。その話をする気はないらしい。それならそれで、俺も黙っておくか。


「疲れたでしょ? とりあえず冷たいものでも飲んで休み――」


「その前に、紹介したい人がいるの」


「え? 誰なの?」


 すると姉ちゃんは、ゆっくり後ろへ振り返った。誰かいるのか? とのぞき込めば――いた。まるで気配がなく、影のようにひっそりとたたずむ、見覚えのありすぎる顔が。


「この方は、ハンネスさん」


 姉ちゃんの紹介で、ハンネスは両手に持ったかばんを置くと、前に出て挨拶する。


「初めまして。ハンネス・レツィウスと申します」


 はきはきと言って会釈する。特に緊張した様子はない。にしても、黒や紺の服装は相変わらず地味だ。夏だっていうのに、ハンネスだけ冬を過ごしてるみたいだ。暗殺の仕事をしてた時はこれでいいんだろうけど……。


「あら、気付かずにごめんなさい。私はウルリカの母で、ネリーよ」


「父のラルス・ヘディンだ。……ウルリカとは、どういった関係で?」


 この質問に、ハンネスは姉ちゃんと視線を交わしてから言った。


「ウルリカさんとは今、真剣にお付き合いをさせてもらってます」


 当然そうなってるって俺はわかってたけど、父さん母さんも以外に驚いてなかった。まあ、実家に連れてくるくらいだから、予想はできたんだろ。


 でも次の言葉で、さすがに俺も驚いた。


「ゆくゆくは、結婚をしたいと考えてます。もちろん、お許しをいただければですけど」


「けっ、こん、ですか……?」


 裏返りそうな声で母さんが聞き返した。


「はい」


 ハンネスははっきり返事をする。その横で姉ちゃんは照れた笑みを浮かべてる――三ヶ月だぞ? 付き合い始めてたった三ヶ月で、そんな大きな決断するのか? いくら気が合うからって、それは早すぎるんじゃ……。父さんと母さんも、驚きすぎて口が開いたままになってた。そう言えば、姉ちゃんが結婚話を持ってきたのは、これが初めてかもしれない。別に焦って言ってるわけじゃないだろうけど、それにしても、いきなり結婚っていうのはちょっと……。両親にしてみれば、娘に恋人ができたことも知らなかったのに、その恋人と会わされた日に、いきなり結婚するつもりだって言われても、ただ戸惑うしかないと思うけど。


「そう、言ってもなあ……許すかどうか以前に、こっちは君のことを何も知らないしなあ……」


 父さんが心底困惑した顔で言った。当たり前の反応だ。


「それは私達もわかってる。だから今年の手伝いはハンネスさんのことを知ってもらうために、二週間いることにしたから」


 天候にもよるけど、小麦の収穫には大体五、六日かかるから、姉ちゃんは一週間ここにいる場合が多い。それが倍の二週間……ハンネスの人柄なんかは少しわかるかもしれない。まずはそんなところからって考えらしい。


「お世話になる代わりと言っては何ですけど、僕にも収穫の手伝いをさせてください」


「そんな、いいんですよ。お客さんのあなたが手伝いなんて」


 断る母さんにハンネスは笑顔を向ける。


「いえ、やらせてください。こう見えても体力には自信があるんです」


 そう言って自分の細身の胸を軽く叩いた。こう見えても、裏社会で鍛えられた体力があるからな。


 やる気満々のハンネスに戸惑いを見せながら父さんが聞く。


「申し出てくれるのはありがたいが……二週間もここにいて、仕事に差し支えないか?」


「心配はいりません。ウルリカさんと同じように、僕も休みを貰ってるので」


 へえ、と思った俺は何気なく聞いてみた。


「ハンネス、やっと仕事見つかったんだ」


「あら、アイヴァーは彼と知り合いなの?」


「うん。町にいた時に」


 一瞬、静かな空気が流れた。何だ? と隣を見ると、父さんと母さんの目がいぶかしげにハンネスを見てた。


「ずっと、働き口がなかったんですか……?」


 ここまで気を遣う口調だった母さんの声に、少し怪しむ色が混じった。……俺、余計なこと言ったな。


「実は、最近まで職に就けなくて、無職でした。探してはいたんですけど、全部断られてしまって……」


 気まずそうなハンネスを見て、姉ちゃんがすかさず言った。


「でもやっと見つけたのよ。私が働く食堂の店長の紹介で、製材所で雇ってもらえることになったの。手際がいいって褒められたのよね」


 製材所か……。刃物の扱いに手慣れてるハンネスには、向いてる仕事かもしれないな。


「ずっと無職だったわけじゃないんだろう? その前は何をしてたんだ」


 父さんは品定めでもするようにハンネスを見つめる。過去の経験もあるから、まともな男かどうか見極めたいのは当然だ。俺はハンネスはまともな男だと思ってる。だけど、まともじゃないことを仕事にしてたんだよな……。一体どう返すんだろうか。正直に言うのか、それとも嘘をつくのか――俺はハンネスを注視した。


「その前は、少し特殊な仕事をしてまして……人から受けた依頼で、命に係わる仕事を……」


 さすがに歯切れが悪い。でも、まったくの嘘じゃないな。ちょっとずるい気もするけど。


「命に係わるって、医療に関係するお仕事?」


「医療とはまた違うんですけど、口で説明するのは難しくて……すみません」


 難しいんじゃなくて、ただ言えないだけだ。ハンネスは自分の過去は話さないつもりらしい。まあ、全部言ったら姉ちゃんと引き離されるのは目に見えてるからな。


「一般的なお仕事じゃないようだけど、でもちゃんと働いてはいたのね。お仕事がない間は大変だったでしょ? どうやって食べてたの?」


「それまでの貯蓄で、どうにか……」


「話の続きは家でしましょ。こんなところでずっと立ち話していたら、皆干からびちゃうわ」


「ああ、そうよね。二人とも疲れてるわよね。じゃあ家へ案内を――」


「僕は大丈夫ですから。よければ早速、手伝いをさせてもらえませんか」


「ハンネスさん、少し休んでからのほうが……」


 姉ちゃんが止めようと手を引くのを、ハンネスはやんわりと押し退けた。


「本当に疲れてないんです。ウルリカさんは久しぶりにご両親と会われたんでしょ? 親子水入らずで話してきてください」


「ハンネスさんが手伝いをしているのに、私だけ休むわけには……すぐに着替えてきますから、私もやります」


 地面に置かれた二つのかばんを抱えるように持つと、姉ちゃんは家のほうへ小走りに向かってった。


「しょうがないやつだ……。じゃあもう少しやるか」


 呆れた表情を浮かべても、どこか嬉しそうに言った父さんは、再び畑へ戻ってく。


「アイヴァー、ハンネスさんに教えてあげて。くれぐれも怪我させないようにね」


 父さんの後を追ってく母さんに言われて、俺はハンネスを手招きした。


「……じゃあ、こっちに来て」


 俺はハンネスを連れて、収穫途中の畑の中に入ると、まずは手本として小麦を刈って見せた。


「……って、こんなふうに茎を刈ればいいから。刈ったものは何箇所かにまとめて置いて。後で集めるから」


 俺が鎌を手渡すと、ハンネスは腕まくりして受け取る。でもその顔は俺を見て笑ってた。


「……何だよ」


「変わりなかったか?」


「見ての通りだよ。そっちの生活は明るくなったみたいだな」


「ああ。ウルリカさんのおかげで職も見つかったしね」


 今の心境を表すような笑顔を浮かべて、ハンネスは腰をかがめると、小麦の茎を握って一気にざくっと刈って見せた。


「……こんな感じかな」


 ハンネスはこっちを見上げる。


「もしかして、やったことあるの?」


「こういうのは初めてだよ。大変そうだけど、慣れれば上手くできそうだ」


 すでに上手く刈れてるんだけど。初めての時は大抵、鎌の刃が茎に引っ掛かったりするもんなのに、ハンネスはすんなり刈れてる。茎の切り口も揃ってて綺麗だ。やっぱり刃物の扱いに長けてるからか。さすがとしか言いようがない。俺の手本なんかいらなかったな。


「じゃあやってて。俺は鎌取ってくるから」


 ハンネスに鎌を貸したから、俺はもう一つ持ってこようと納屋へ行こうとした。


「アイヴァー」


 呼び止められて振り返る。するとハンネスは手際よく小麦を刈りながら言った。


「さっき、僕が仕事について聞かれてた時、君は楽しんでたよね」


「……え?」


 不意の質問に答えられないでいると、ハンネスは手を止めて、俺のほうを見た。


「昔の仕事を話せない僕を、少し笑ってた」


「えっ! いや……そんなつもり……」


 無意識に顔に出てたのか? 確かに、どう答えるか注視はしてたけど……。


 するとハンネスは微笑みながら、穏やかな口調で言った。


「君が僕のことをどう思ってるかはわかってるよ。まだ信用されてないことも。僕はそれは仕方ないと思ってる。公にできないことをしてたんだからね。それでも君は僕の過去を黙っててくれた。どうしてだ? 話せば僕が何かすると思った?」


「ハ、ハンネスはそんなやつじゃないってわかってるし……本人が言いたくないなら、そうすればいいだけだ」


「でも、言わなければ僕はいつまでもウルリカさんの側にい続けることになる。アイヴァーとしては心配なんだろ?」


「それは、そうなんだけど……できれば別れてほしいとも思うんだけど……」


 俺は自分の気持ちが、意外に複雑なことに気付いた。裏社会にいた男となんてすぐに別れたほうがいいとだけ思ってたつもりなのに、こうしてハンネスと言葉を交わしてると、そんな思いが数ある一つなんだとわかった。俺は男を見る目がない姉ちゃんに幸せになってもらいたい。でも別のところでは、表社会で生きていこうって決心したハンネスを応援したい自分もいた。だけどハンネスには言えない過去がある。そのせいで俺の中には心配が付きまとってる。新たな復讐が起こったら、また姉ちゃんが危ない目に遭うんじゃ……。その一方では、暗殺者だったハンネスなら姉ちゃんをちゃんと守ってくれるって楽観視してる。どれも俺の本当の気持ちだ。ハンネスを信じることはまだできない。でも、俺は信じたいのかもしれない。悪いやつじゃないって知ってるから。心配な面はあるけど、まともで、いいやつだから、姉ちゃんの相手としてふさわしいと思える。その姉ちゃんの昔の恋愛相手と比べれば、ハンネスは断トツで悪いことをした男に違いない。だけど、姉ちゃんを思う気持ちは、これまでの中で比べるまでもなく純粋で深い。……そうか。俺は二人に何を望んでるのか、わかったぞ――少し片付いた気持ちを持って、俺はハンネスを見据えた。


「つまり俺は、二人に幸せになってほしいんだ。姉ちゃんだけとか、ハンネスだけとか、どっちか片っ方だけじゃ駄目だ」


 これにハンネスは、ぽかんとこっちを見つめてくる。


「……それは、僕がウルリカさんの恋人になるのを認めてくれたってこと?」


「そういうことじゃなくて……たとえば将来、二人が別れたとしても、俺は別々に生きる二人でも幸せになっててもらいたいんだ。……この感じ、わかる?」


 少し首をひねったハンネスだけど、考える素振りを見せながらも俺を見た。


「ウルリカさんは君の姉弟だからわかるけど、他人の僕は、言うなら……親愛、のようなものかな?」


 そこまでの親しみはまだないけど――


「そうだな……子供が初めて会った同年代の子供に抱く気持ちみたいな、そんな感覚だよ」


「同年代……友達ってこと?」


「あ……」


 あんまりしっくりきたもんだから、思わず気の抜けた声が漏れた。そんな俺を見て、ハンネスはくすくすと笑った。


「そうか。アイヴァーは僕を友達と思ってくれてたんだね」


 そうらしい。自分でも気付かなかったけど……。


「いつだか僕に言った、友達になりたいっていうのは、嘘じゃなかったってことか」


 あれは、尾行をごまかすために咄嗟に思い付いたことだったけど、いつの間にか、嘘から出たまことになってたらしい……。


「で、でも、まだ信用はしてないからな。勘違いするなよ」


「わかってるよ。僕達はまだ友達になったばかりだ。アイヴァーに信用されるように努力するよ。いつかは家族として認めてもらえるようにね」


 にこりと笑って、ハンネスは小麦の収穫を再開した。ざく、ざくっと小気味いい音を鳴らして刈ってく姿を見ながら、俺は当然のことに気付いた。もし姉ちゃんとハンネスが結婚すれば、ハンネスは俺達の家族の一員――つまり、俺の義理の兄になるんだ。友達なんか素っ飛ばして、いきなり家族に……。


 そんな現実味のある将来を想像して、俺は呆然とした。裏社会の元暗殺者が、俺の家族になるのか? ちょっと待てよ。俺は姉ちゃんの身の心配しかしてなかったけど、そうなると自分や両親の心配もしなくちゃならなくなるぞ。復讐をたくらむ悪党なら、真っ先に親類縁者を狙うはずだ。こんな田舎の村なら、捜し出すのも簡単なはず。前みたいに変なやつが来て、人質にでもされたら――


「鎌、取りに行くんじゃないのか?」


 突っ立ってた俺を、ハンネスは不思議そうに見上げてきた。今の俺の不安なんか、まるでわかってないんだろうな――そう思ったら、一言いわずにはいられなかった。


「姉ちゃんと結婚するようなことになったら……絶対、責任取れよ」


 一瞬、え? っていう顔になったものの、ハンネスはすぐに笑顔になると言った。


「もちろん、そのつもりだよ」


 正確な意味を理解しての答えかはわからないけど、俺は一応うなずいて納屋へ向かった。


 食堂の常連客にハンネスのことを聞いた時、誰もあいつは愛せないんじゃないかって言われたことがあった。それは悪い噂が多すぎるからって理由だったけど、その噂がデマだってわかった今も、俺はハンネスを家族の一員として愛せるか、自信がない。だって人を殺してたんだぞ? それを知っててすんなり受け入れられる姉ちゃんはやっぱりおかしい。だけど、いいやつなのも事実なわけで……。俺はまだまだ子供なんだろうか。目立つ部分ばっかり見ちゃうけど、姉ちゃんはそうじゃないんだろう。ハンネスっていう人そのものをしっかり見てるのかもしれない。だから暗い過去にも動じない。俺も、姉ちゃんみたいにハンネスを信じられる日が来るんだろうか……。まあ、とりあえずは二人の成り行きを見守ってみるか。心配するのは、それからでもいいんだし……。

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誰もあいつを愛せない 柏木椎菜 @shiina_kswg

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