十五話

「本当に、ここまで来なきゃいけないのか……?」


 俺が小声で聞くと、前を行くハンネスも小声で言った。


「こうするしかないんだ。安全な場所がなくなった今、二人をどこかに置いてくわけにはいかないからね」


「アイヴァー、そのことはもう話し合ったでしょ?」


「う、そう、だけどさ……」


 姉ちゃんにそう言われて、俺は黙った。進む先を見ると、夜の闇の中、並木道の奥に明かりをともす大きな屋敷が浮かび上がってた。あそこにハンネスや俺達を狙うボスがいるらしい。そして、これから俺達はあそこに乗り込んでくわけなんだけど……正直、足がすくむ。って言うか、できれば行きたくない。でももう引き返すわけにはいかないんだよな……。


 こんなことになった経緯はこうだ。


 ハンネスの家を出てから、俺達は数日間、身を隠しながら町の郊外を移動してた。でも刺客の気配は常にあって、幸いハンネスのおかげで襲われることはなかったけど、気を休めることはできなかった。だんだん疲れてくる俺達を見ながら、ハンネスはこの状況をどうするべきか、独りで考えてくれてたみたいだけど、いい案は出てこなかった。そこで見兼ねた俺はこう言った。


「ハンネス、独りで全部やろうとするなよ。俺達も協力するから」


「ありがとう。でも二人には――」


「アイヴァーの言う通りです。ハンネスさん、遠慮なく言ってください。できることなら何でもしますから」


「お気持ちは嬉しいですけど、やっぱり危険です」


「危険なのは今もだろ? 何も変えないでこのまま逃げ続けるのは無理だ。だったら三人の力で変えるしかない。まあ、頼りない力だろうけど、ないよりはましだろ?」


 案がなかったハンネスは、こうして俺達の協力を受け入れた。そして話は、俺と姉ちゃんに何ができるかってことになり――


「ハンネスは俺達を守りつつ、同時に敵のボスを捕まえなきゃならない。ハンネスがボスと対峙してる間、こっちは何をすればいい?」


「おそらく周りはやつの仲間で溢れてる。そんなところで二人が動くことはないよ」


「それじゃ協力になってないだろ」


「外で敵をおびき寄せるというのは? 煙でも立たせて火事と思わせて――」


「不審者捜索のために辺りを照らされたら、逃げ場がなくなる可能性もあります。それに二人が外にいると、僕がすぐに助けに行けない場合もありますから」


「でも、ハンネスの助けになるには、側にいたって大した役には立てないだろ? それどころか足手まといになるかも」


「僕には二人を守る責任があるんだ。たとえやつを捕まえたとしても、二人に万が一のことがあったら意味がない」


「そうかもしれないけど、俺達が何もできないなら、今までと何も変わらなくなるだろ」


 そう言うと、ハンネスは長いこと考え込んだ。俺も自分にできることを改めて考えてた時だった。


「……やっぱり、二人から目を離すのは危険だと思うんだ」


「危険を承知で俺達は協力したいって――」


「側にいてもできることはあるよ。でも本当に危険だし、あまり気は進まないけど……」


「遠慮するなよ。危なくても、俺達ができることならやるからさ。どんなことだ?」


「……僕がのした相手を、縛り上げていってほしいんだ。目が覚めても動けないように」


「縛るだけなら私達でもできるわ。ね、アイヴァー」


「そ、そうだけど……それって、俺達も一緒に、敵の本拠地に乗り込むってこと、だろ?」


「守りたい人を敵陣の中枢に入れるっていうのは、自分でもひどいことだとわかってる。でも安全な場所は、僕の目の届く範囲にしかないんだ。そうなると、危険でも二人を連れていくしかない」


「本気、なんだよな……?」


「二人がそう決めてくれるなら、僕は命を懸けて守り通すと誓うよ」


「ハンネスさん……そこまで言ってくれるなら、私達も安心して側にいられます。アイヴァー、全力で協力しましょ!」


「ね、姉ちゃん、敵の真っただ中だよ? そんなところに俺達が行ったら――」


「ハンネスさんがちゃんと守ってくれるわ。……アイヴァーはハンネスさんのこと、信じていないの?」


「力量ならある程度は……じゃなきゃ協力なんてしないし……」


 ――という感じに、俺達の協力内容は決まった。自分から申し出たこととはいえ、ここまで危険と隣り合わせなことは想定してなかったんだけど、ハンネスのためなら身も削る覚悟の姉ちゃんに押し切られて、俺は承諾するしかなかった。協力するって言った手前、こんなことやりたくないなんてもう言えない。命の危険しか感じないこんな状況から一秒でも早く抜け出すには、この震えそうな重い足を、闇夜の奥で待ち構える屋敷に向かわせる他なくて……。


「見張りだ」


 前を行くハンネスが俺達を手で止めながら言った。俺は心臓が跳び上がるのを感じて全身をこわばらせた。


「そこの木の陰に隠れて。行ってくる……」


 草むらに生えた木の裏に俺達が隠れるのを見届けると、ハンネスは物音一つさせない足取りで鉄柵を乗り越えてった。その向こうには屋敷へ続く庭内を見回る男の姿がある。暗い上に距離があって、しっかりとは見えないけど、身をかがませたハンネスが見回りの後ろからゆっくり近付いてくのがわかった。そして次の瞬間、すっと間合いを詰めたハンネスは、見張りの首の辺りに一撃を加えた。すると見張りは声を上げることもなく、その場によろよろと倒れ込んでしまった。


「やったわ」


 隣で姉ちゃんが呟いて喜んだ。


 ハンネスは見張りの状態と周囲を確認すると、鉄柵まで戻って俺達に来るよう合図した。まだ心臓がどきどき鳴ってるのを感じながら、俺は姉ちゃんと屋敷の敷地内へ入ってった。


「気を失ってるから、縛ってくれ」


 言われて俺は腰にぶら下げた縄の束をつかんで、姉ちゃんと一緒に見張りの体にぐるぐる巻き付けてった。きつめに縛り終えると、庭の隅まで引きずって目立たないところに放置する。……出だしは順調だ。このまま何事もなく、上手く行きますように。


 俺達にハンネスは、身振りで付いてくるよう言って歩き始めた。もうここは敵の領域内だ。ちょっとの話し声も禁物ってことだろう。闇に身を隠しながら、俺達は慎重に奥へ進んでく。


 庭にいた他の見張りも素早く倒したハンネスは、明かりのともる窓を避けて屋敷の裏側のほうへ向かった。その後に付いてこうとすると、すかさずハンネスは俺達を制した。


「中の様子を探ってくる。しばらく隠れててくれ」


 ささやくような声でそう言うと、ハンネスは静かに屋敷の裏側へ消えてった。残された俺と姉ちゃんは、側にあった植込みの陰に隠れて待つことにした。


 緊張の中の小休止……順調に進んでるおかげか、俺の心臓の音も少し大人しくなった。怖さも和らいで、気持ちはどうにか落ち付けてる。これならきっと大丈夫だ。ハンネスも上手くやってるし、俺達も協力できてる。この緊張の時間も、もうすぐ終わるんだ。大丈夫、大丈夫――自分をそう励ましながら、ふと隣に目をやると、姉ちゃんは植え込みに背中を預けて、星も雲もない漆黒の夜空を見上げてた。その顔には俺みたいな緊張はなくて、眠れないから夜風に当たってるような、この状況にまるで動じてない感じがあった。思えば、姉ちゃんはここに来る前から怖がる素振りがなかった気がする。ハンネスのためならそんなことも感じないんだろうか……。不思議に思って、俺は小さい声で聞いてみた。


「姉ちゃん、怖くないの?」


 俺の不意の声に振り向くと、姉ちゃんは声が届くようにこっちに身を寄せて言った。


「どうして? アイヴァーは怖いの?」


「当たり前だろ。見つかったら確実に捕まるんだぞ」


「大丈夫よ。捕まらない」


「何で言い切れるんだよ」


「だって、ハンネスさんが守ってくれるって言ってくれたもの」


 姉ちゃんは笑みを見せて言った。やっぱりハンネスか……。


「アイヴァーも見たでしょ? 見張りの人をあんなに簡単に失神させちゃったのよ? そんなことができるハンネスさんなら、私達のことも絶対に守ってくれるわ」


 確かに、見張りを倒した手際には驚いたし、頼りになるって思ったけど――


「こんなことになったのは、ハンネスのせいだって思わないの?」


 すると姉ちゃんは首を緩く横に振った。


「私はそうは思わない。ハンネスさんはただ、自分の運命を変えようと頑張っているだけなのよ」


「俺達を巻き込んで?」


「意地悪を言わないで。その責任は今果たそうとしているじゃない。私はハンネスさんを責めるより、応援してあげたいの」


「元暗殺者でも? 人を殺した経験がある人間でも?」


「それはもう過去の話。ハンネスさんは変わろうと努力しているわ」


「努力するのは勝手だけど、そのために俺達を巻き込まない努力もしてほしかったな」


「……アイヴァーは、ハンネスさんのことが嫌いなの?」


「き、嫌いってわけじゃ……いいやつだとは思うけど、人を殺したことがある男だよ? どこまで信じていいのか正直――」


 その時、植込みの向こうでガサっと音がして、俺と姉ちゃんは慌てて口を閉じて身を縮こませた。警戒するような、ゆっくりした足音がこっちに近付いてくる。これはハンネスじゃない。別の足音だ。やばいぞ。おしゃべりしすぎて見つかったのか……?


「誰だ、そこにいるのは」


 男の声がこっちに向かって言った――ばっちり見つかってる! ど、ど、どうしたらいいんだ。逃げたって捕まるだろうし、向かってってもきっと同じことだ。……そ、そうだ。猫のふりでもしてみるか? にゃーって鳴いてごまかして――


「ぐっ……」


 うめき声みたいな音が聞こえて、俺は思考を一時停止させた。それから耳を澄まして、植込みの向こうにいる男の気配を探った。……何か、また元の静寂に戻った気がするけど――


「大丈夫か?」


 目の前にいきなり端整な顔が現れて、俺は悲鳴を上げそうになったのをぎりぎりでこらえた。


「ハンネスさん……」


 姉ちゃんが安堵した声で呼んだ。


「また見張りをのしたから、縛ってくれ」


 俺は早鐘を打つ心臓を押さえながら、言われた通り倒れてる見張りを縛り上げた。


「こいつに見つかったみたいだね。何か物音を立てた?」


「物音って言うか、姉ちゃんと話してて……」


「声をひそめて話してたのか……。そういう声は以外に聞こえやすいんだ」


「ごめんなさい。小声なら平気だと思って……」


「仕方ありません。隠れる場所を変えて――」


 ふとハンネスの視線が屋敷の二階の窓に向いた。俺もつられて見ると、真っ暗だった窓に煌々とした明かりがともったところだった。それを見てハンネスが真剣な面持ちになって言った。


「中の人間にも気付かれたかもしれない。二人は急いで隠れて。僕は反対方向へやつらをおびき出す」


「あっ、無理しないでください」


 走り去る背中に姉ちゃんがそう言うと、ハンネスは口元に人差し指を立てながらも、にこりと笑みを返してった。その顔を姉ちゃんはぼーっと見送る。


「見惚れてる場合じゃないよ。これ以上ハンネスの足を引っ張るわけにはいかない。早くどっかに隠れないと」


 俺は姉ちゃんの腕をつかんで、植込みから別の植込みへ移動した。


「もう少し遠くへ隠れたほうがいいんじゃない?」


 隠れ場所が近すぎると言われて、俺は迷った。この辺りですぐに隠れられるのは、綺麗に刈り込まれたこの植込みくらいしかなくて、他を探すと、離れたところに木は立ってるけど、ちょっと距離が離れてる。見つかったかもしれない今の状況を考えると、あんまり長く身をさらしたくない。でも、見つかった場所に捜しに来られる可能性もある。そうなるとこの場所にい続けるのは危ないし……。


「……あの木まで行く。姿勢を低くして付いてきて」


 やっぱり移動することにした。ここにいるよりはあの木のほうが安全かもしれない。暗い景色の中に誰もいないのを確認して、俺はかがんだ姿勢で植込みから出た。後ろを見ると、姉ちゃんも俺と同じように歩いて付いてきてる。目的の木はもう目の前――


「やっぱり見張りがいないな」


 屋敷から聞こえてきた声に、俺は咄嗟に地面に這いつくばって動きを止めた。そろりと顔を向けて見ると、屋敷の正面玄関が開いてる。漏れ出る眩しい光の中に、何人か人影が動いてた。


「どっかでさぼってんじゃねえのか?」


「でも、もう交代の時間に――」


「おい」


 走ってくる音と共に、別の人影が現れた。


「向こうで怪しい物音がした。一緒に来てくれ」


「物音? わかった。……俺は向こうへ行くから、そっちは消えたやつを捜してくれ」


 人影は二手に分かれてく。まずい。こっちに来るかも――俺は四つん這いになって、急いで木の陰に隠れた。姉ちゃんもゆっくり進んで、俺の隣に身を隠す。どうにか見つからずに移動できた。けど、分かれた一方がこっちに捜しに来たら、もう逃げ場がないぞ。


 木の陰から顔だけを出して、俺は動く人影の様子を眺めた。屋敷の前をしばらくうろうろしてた男達は、そのうちばらばらに分かれて四方へ散ってった。その中の一人が、さっきまでいた植込みのほうにやってくる。移動しておいてよかった……。


 その男は、植込みの中を手でかき分けたり、その周りを捜してたけど、何もないとわかると、今度はこっちへ近付いてきた。……やばい。これは本当にやばいぞ。このままじゃ絶対に見つかる! でも、今動いても絶対に見つかるし――俺と姉ちゃんは息を止めて身を固まらせた。視線を交わす余裕もない。触れ合ってる肩が、ただお互いの緊張を伝え合う。ざっ、ざっ、と男の足音が近付くたびに、俺の鼓動はやかましくなってく。変な汗が出てきた。もう、覚悟を決めるしかない――


「うあっ――」


 遠くから悲鳴に似た声が響いてきた。


「……ん?」


 近付く足音が止まって、男が不審な声を漏らしたその直後、すぐ側をびゅうっと風が通り過ぎてったと思うと――


「なっ、ぶふっ……」


 よくわからなくて、俺も姉ちゃんも固まったままでいた。そして、どさりと何かが倒れる音を聞いて、俺はようやく体を動かせるようになった。


「……ハンネスさん?」


 姉ちゃんは身をひねって、木の向こうに恐る恐る呼びかけた。ハンネスが戻ってきて助けてくれた――俺もそう思って木の陰から顔を出した。


 でもそこに立ってたのは、長い髪をなびかせる、不機嫌そうな顔をした女性――ロヴィサさんだった。


「……え? どうして……?」


 俺は驚きと見知った顔を見た安堵で力が抜けるのを感じながら、思わずそう聞いてた。


「こんばんは」


 俺達を見て一瞬笑みを浮かべて挨拶したロヴィサさんだけど、すぐに顔は仏頂面に戻る。その足下には意識のない男が倒れてた。


「助けてくださって、ありがとうございます」


 姉ちゃんは立ち上がると、丁寧に礼を言った。


「怖かったでしょ? 怪我はない?」


「はい。ハンネスさんがいたので」


 これにロヴィサさんの表情が歪む。


「危ない時にいないんだから……あの馬鹿」


 腕を組んで遠くを睨む様子は、かなり不機嫌だ。まあ、それも当然か。ハンネスの家で喧嘩別れしてたからな。それなのに――


「あの、どうして助けに来てくれたんですか?」


 後悔しろって捨て台詞まで言ってたのに……。


「本当は、そんなつもりなかったのよ。遠くから眺めて、ハンネスの失敗を笑ってやろうって思ってたの。だけどねえ……こんなに馬鹿な弟だとは思わなかったわ。あなた達を一緒に連れてくなんて考えられない。まったく、馬鹿すぎよ。このまま眺めてたら巻き込まれたあなた達が危ないから、仕方なく助けることにしたの。今も気は乗らないけど」


 言葉の通り、ロヴィサさんは嫌々ながらな顔で、これ見よがしに大きく溜息を吐いた。ハンネスへのわだかまりは、まだ残ってるらしい。


「ロヴィサー!」


 明るい元気な声がして、暗闇の先に振り向くと、そこにも見知った顔が現れた。


「俺、一人でやっつけたよ!」


「嘘言わないで。私が最初手伝ったでしょ」


 エリとサラが並んでやってきた。この二人も来てたのか……。


「エリの手際はどう? 練習通りにできてた?」


 ロヴィサさんがサラに聞いた。


「まあまあね。エリは自己流にやりたがるから。それでもいい感じにはなってきてると思う」


「そう。じゃあこれからは、こういう実地訓練も始めましょうか」


「本当? 連れてってくれるの? やったー!」


 エリがはしゃいで喜ぶ。……実地訓練か。忘れてたけど、この年下二人も、裏社会の人間で暗殺の仕事をするんだよな。何だか不思議で複雑な感じだ……。


「あの、こんなに話してて大丈夫なんでしょうか。まだ見張りがいたりするんじゃ……」


 姉ちゃんがおずおずとロヴィサさんに言った。確かに、声もひそめないで普通に話してたら、屋敷内の人間に見つかってもおかしくないぞ。


「心配ないわ。やつらの人数は把握してるし、残りは向こうで片付けてくれてるから」


「向こう?」


「ええ。……ほら、噂をすれば、来たわ」


 ロヴィサさんの視線の先を見ると、屋敷へ続く道を横切って、二つの影がこっちへ歩いてくる。顔は見えなくても、俺と姉ちゃんにはそれが誰なのか、瞬時にわかった。


「ハンネスさん!」


 戻ってきたハンネスに姉ちゃんが駆け寄った。


「無事で何よりです」


「ここまではどうにか……後は最後の仕事だけです」


 引き締まった表情を見せたハンネスは、隣に立つラグナーさんを見た。


「もう手出しはいらないから」


「……だとさ」


 ラグナーさんは仏頂面のロヴィサさんを見やる。


「まだわかってないのね。自分一人じゃ無理だってことを。いい加減素直になったらどう?」


「僕は始めから素直になってるよ。だから家から出たんだ」


「家から出て、今どうなってるの? 無関係な人間を巻き込んでてんてこ舞いじゃない。素直な人間だったら、大人しく助けを求めてくるものじゃないかしら?」


「前にも言ったよね。頼んでないことはしなくていいって。僕は助けなんか求めてないよ」


「あんた、この状況が見えてるの? この二人は危うく見張りに――」


「ロヴィサもハンネスも、こんなところで言い合いはやめてよ」


「そうだよ。喧嘩はやめろよ。俺がやると怒るくせに」


 サラとエリが二人の口喧嘩を止めに入った。


「まだやりかけだ。ぐずぐずする暇はないぞ」


 続けて言ったラグナーさんをハンネスが見上げた。


「手出しはいらないって言ったんだけど」


「ここまで来た俺達を帰らせる気か?」


「勝手に来たのはそっちだ」


 これにロヴィサさんは不快感もあらわに、声を張って言った。


「あんたには思い遣りってものがないのね。わかったわ。もう金輪際助けも協力もしないわ。私達家族とは縁を切って赤の他人になりなさいよ!」


「おいロヴィサ、落ち付け……」


「だって、頭に来るじゃない。こっちはこんなに……」


 ラグナーさんはロヴィサさんの肩をぽんと叩くと、ハンネスに言った。


「俺としては、お前の面倒な問題は早く解決したいんだ。いろいろ迷惑だからな。これは俺達のためでもあるんだ」


「起きた問題は、それを起こした本人が処理するんじゃなかったのか?」


 ラグナーさんは小さく舌打ちした。


「……じゃあ、これはせん別だ。新たな道を選んだお前へのな。花束を渡されるよりはましだろ」


 ハンネスは黙ってラグナーさんを見つめてる。


「ロヴィサも、それでいいな」


 眉間にしわを寄せた顔で口を引き結んでたロヴィサさんだけど、ハンネスをじろりと見ると、その口を開いた。


「縁を切れっていうのは、言い過ぎたわ……。ハンネス、あんたはどこで何をしてようと、私達の姉弟だから」


 態度を和らげて、ちょっとばつが悪そうに言ったロヴィサさんに、ハンネスも落ち着いた口調で返す。


「わかったよ。協力を頼むのは、これが最後だから……僕を、手伝ってほしい」


 これにラグナーさんは、やれやれといった感じに息を吐いた。


「まったく、始めからそう言えばよかったのよ。こんな状況になるまで――」


「ロヴィサ、言い合いはもう駄目!」


 サラに怒鳴られて、ロヴィサさんはすぐに口をつぐんだ。


「……それじゃ、さっさと屋敷へ乗り込むぞ。サラとエリはここで二人の護衛に徹しろ」


「えー、また?」


「前みたいにしくじったら、わかってるな」


「大丈夫よ。敵はあらかた片付けたんだし、失敗はしないわ」


「あの後、死ぬほど練習したしね」


 サラとエリに俺達の護衛を任せて、あとの三人でボスを捕まえにいくらしい。


「やつがいる部屋はわかってるの?」


「二階の、一番奥の部屋の可能性が高い」


「確実な情報を言え。地下室や隠し部屋はあるのか」


「地下は一階、隠し部屋は確認できてない」


「じゃあ一階と地下は私が行くわ。ラグナーはハンネスの援護、ハンネスは二階でやつを捜して」


「わかった。……行こう」


 三人が屋敷へ歩き出す。何だか勇ましい後ろ姿だ……。


「ハンネスさん!」


 姉ちゃんがハンネスを呼び止めた。


「……どうかしましたか?」


 振り向いたハンネスに姉ちゃんは近寄る。


「お願いですから、無理だけはしないでください」


 心配顔の姉ちゃんに、ハンネスは微笑んだ。


「無理はしません。ウルリカさんをそんな顔で待たせたくありませんから」


 姉ちゃんの頬をすっと撫でると、ハンネスは再び屋敷へ向かってった。改めて思うけど、あいつはやっぱり男前だな……。


「ウルリカさんのことが本当に好きなのね。家を出る決心もするはずだわ。ロヴィサもそれを受け入れて、人に素直になれって言う前に、自分が素直になればいいのに」


 遠ざかるハンネスの背中を見ながらサラが言った。


「ロヴィサ、家で寂しそうにしてたもんね」


 エリも相槌を打ちながら言った。


「お姉さん、家ではそんな感じなの?」


 姉ちゃんが聞くと、サラは苦笑いを浮かべた。


「いつもじゃないですけど、時々……。表ではハンネスのこと怒ってますけど、本当は心配でたまらないんです。今回も、ラグナーはほっとけって言ってたのに、ロヴィサは助けないと殺されるかもって、実は助ける気満々だったんですよ」


 そう言われると、これまでのロヴィサさんの行動を思い返せば、何だかんだ言いながらも、そこにはハンネスを心配する気持ちがあったようにも思える……。


「別に溺愛してるわけじゃないんです。ロヴィサは姉弟のまとめ役で、仕事の管理もしてて、両親からも言われてるんです。家族、姉弟は助け合いなさいって。その言葉を守ろうとしてるだけなんですけど……どうも素直さが足りなくて、ハンネスと話すとああなっちゃうんです」


「俺達には、ハンネスを呼び戻したいのは、稼ぎ手を増やしたいからって言うんだけど、絶対違うね。姉弟が一人でも欠けるのが寂しいんだ。それと見えないところに行かれると心配なんだよ。だったらハンネスにもそう言えばいいのにさ」


 エリが不思議がるように言った。


「お姉さんも、ご自身の中で葛藤しているんじゃないでしょうか」


 姉ちゃんが屋敷のほうを見つめながら言った。


「ハンネスさんが自分で決めた道を歩もうとしているのを、お姉さんは引き止めたくはない。でも、気持ちはどうしようもなく寂しくて、心配しているんだと思うわ。その相反する気持ちの間にいるから、ハンネスさんと話すと喧嘩になってしまうのかも……」


 弟の身を案じるからこそ、ついつい強めな口調になる。つまり、姉弟愛ってやつだろうか。


「なるほど……。でも、ハンネスもそれをくめないほど、鈍感じゃないはずなのに、どうしてロヴィサと話すとああなるんだろ」


「誠実すぎるんだよ。ハンネスは姉ちゃんのために仕事もやめて家も出た。裏社会とはきっぱり離れたかったんだ。それなのにその裏社会で働く姉弟の力を借りるわけにはいかないだろ。自分の決意に反する行動だからな……って、俺は思うけど」


 誰かが相槌でもしてくれるのを待ったけど、なぜか皆、俺をじっと見つめてきた。


「……何?」


「アイヴァーさんはハンネスのことをよく理解してくれてるんですね」


 サラに感心したように言われて、俺は思わず手を振って否定した。


「いや、理解なんて、そこまでは……」


「食堂でよく話していたものね。気心は知っているのよね」


「あ、あの姉ちゃん――」


「ハンネスの初めての友達なんでしょ? 理解ある人でよかったね」


「初めての、と……」


 友達……やっぱり、そう見られるよな。俺はまだハンネスを信用しきってはないし、姉ちゃんの相手としても認めてないんだけど……。


「あ、明かりが……」


 姉ちゃんが屋敷の二階の異変に目を向けた。見れば窓から漏れる明かりが時々点滅したかと思うと、その中を黒い人影が何度も行き来してるのが見えた。


「手っ取り早く突入したのね。こうなると時間はかからないから、もう終わるわね」


「え、もう? まだ十分も経ってないけど」


 俺が聞くと、サラは笑顔で言った。


「仕事が早いのが、私達レツィウス一家の売りですから」


 少し幼さもあるサラの誇らしげな笑顔を、俺は呆然と見つめた。見た目は普通の少女でも、立派な裏社会の人間なんだな……。ハンネスも昔はこんな感じだったんだろうか。自分のしてることを仕事として淡々と……。でも、ハンネスは暗殺って仕事に違和感を覚えて、表に出ることを決めた。そんな決意ができたってことは、ハンネスは他の姉弟の中でも少し違う感覚を持ってるのかもしれない。表に住む人間から言わせれば、至極まっとうな感覚、っていうものを。まともな元暗殺者か……いいやつではあるけど、姉ちゃんの恋人となると、どうもすんなりとはうなずきたくないんだよな――騒がしそうな窓の奥の様子を眺めながら、俺は、そんな近い将来のことを真剣に考えてた。


 ハンネス達が敵のボスらしき男を捕まえて出てきたのは、それから五分後のことだった。

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