十四話
真っ二つに折れて壊れた扉の木片がこっちにまで飛んでくるのを見ながら、俺は何が起きたのか状況が呑み込めずにいた。動くこともできず、呆然と立ち尽くしてると、その玄関の外から大きな人影が現れた。黒い頭巾をかぶって、顔は鼻から下を布で覆っててよく見えないけど、肩や腕は太くて、胸板も厚い。服を着てても筋骨隆々なのは一目瞭然だった。そしてその右手には、黒くて鈍く光る金槌が握られてた。釘を打つ時に使うような小型のものじゃなくて、石を砕く時に使う大型の、両手で持つ重い金槌だ。でもその男は片手で軽々と持ってる。あれで扉を吹き飛ばしたのか?
のそのそ入ってきた男は、机の周りに立つ俺達を見ると、まるで獲物を見つけたみたいにゆっくり近付いてきた。……な、何か、やばいんじゃないか、これ。
その時、男の首に背後から腕が絡んだ。ぎゅっと絞められて男がもがき出す。
「二人を逃がすんだ!」
大男にしがみ付くように、ハンネスが懸命に腕で絞め上げながらそう叫んだ。体の大きさだけ見れば、大人と子供くらいの差はある。腕を振りほどこうとする男に、ハンネスの体は振り回されてる。
「私達が助け――」
「構うな! 護衛に徹しろ」
ハンネスはサラの言葉をさえぎった。
「そんなんじゃ一人は無理だ。しかも素手で――」
「エリ、ここはハンネスに任せて、指示に従うわよ」
「ええ? 助けたほうが――」
「護衛も重要な役目なの。いい?」
渋々うなずくエリだけど、その顔には不満が残ってる。
「ウルリカさんと、アイヴァーさん、でしたよね。私達から離れずに付いてきてください」
「あ、あの、ハンネスさんは……?」
姉ちゃんは男を足留めするハンネスを心配そうに見ながら言った。
「あのくらいなら手こずっても負けることはありません。さあ、今の内に」
促されて俺と姉ちゃんは年下の姉弟に付いてく。でも、その足はすぐに止まった。玄関から外へ逃げるには、男の横を通らなきゃならない。ハンネスが止めてるとは言え、暴れる男に近付くのは危険だ。そう思ったのか、二人は進路を変えて窓に向かった。ここなら安全に出られる――俺もそう思った時だった。
ビュンっと風を切る音がした次に、目の前の窓がガシャンっと派手に割れた。粉々に砕けたガラスが太陽の光できらきら輝いて舞う。その奥には回転して飛んでく金槌が見えた。俺達四人は一斉に振り返った。そこではまだハンネスが首に腕を絡めて足留めしてたけど、次の瞬間、男は前かがみになると、その勢いでハンネスを前方に投げ飛ばした。絡めてた腕はすっぽ抜けて、ハンネスの体は宙を飛んだ。はっと息を呑んだけど、投げ飛ばされながらもハンネスは空中で体勢を立て直して、どうにか両足で着地できた。危なかった。立て直しが遅かったら背中を打ち付けてたぞ……。
でももっと危ないのはこっちだった。自由になった男は俺達を見ると、一直線に向かって来た。その様は猛牛か転がる岩か。とにかく巨体が突進してくる!
「こっち!」
サラが俺達の腕を引っ張って、エリが背後から押す。すると男は目の前の机をつかむと、そのままひっくり返す勢いで投げ飛ばした。ガタンっと地響きがして、俺達はぎりぎり当たらずに済んだ。でも振り向いて見ると、壊された窓にちょうど机がぶつかって、開いた穴は塞がれてた。窓から逃げるのは無理か……。
それをすぐに察知したらしいサラは、立ち止まることなく、玄関へ真っすぐ駆けてく。男がいない今なら逃げられる――でも男はそれを読んでた。
巨体に似合わない速さで戻った男は、玄関の前に立ち塞がると俺達を見据えた。そしてじりじりと近付いてくる。サラとエリは俺達をかばうように前に立つと、腰に手を当てて身構える。
「一応武器はあるけど……こんなちっちゃいナイフ、役に立つかな」
「ないよりはましよ。……ね、ハンネス」
サラの声が合図のように、男の意識が向いてなかった背後から、いきなり椅子が飛んできた。黒頭巾をかぶった後頭部に直撃すると、筋骨隆々の男もさすがによろめいて、その場に膝を付いた。
「今だ。逃げろ!」
ハンネスの声に俺達は玄関へ一気に走る。でも姉ちゃんが男の前を横切ろうとした時だった。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げて姉ちゃんが床に倒れた。見れば姉ちゃんの左足を男ががっちりつかんでた。
「姉ちゃん!」
「ウルリカさん!」
俺とハンネスは同時に声を上げた。
「触れるな……放せ!」
低い声で、怒りもあらわに叫んだハンネスは男に殴りかかった。こんな感情を見せるハンネスは初めて見る。その鋭く変わった目は、いつか見た別人格のような……これが、裏社会での、暗殺を仕事にしてたハンネスなんだろうか。
しかし、男は姉ちゃんを放さなかった。それどころか体を引き寄せると、ハンネスの前に人質として抱えた。拳を振り下ろそうとしたハンネスは、ぐっとこらえて男を睨むしかなくなった。
「このまま連れ帰っても、この場で息の根を止めてもいいが……どうする?」
男はハンネスを見る。
「その前にお前を――」
ハンネスが一歩前に出ようとすると、男はすかさず姉ちゃんの首にごつい手を当てた。
「この細首を折るのなんて一瞬だ。それが嫌なら、投降するか、依頼主の名を明かせ」
男に抱き抱えられてる姉ちゃんは、顔面蒼白で震えてる。どうすりゃいいんだよ。これじゃ姉ちゃんが殺される……!
俺は助けを求めてハンネスを見た。男と対峙するハンネスは険しい顔で睨み付けてるけど、動くに動けなくて唇を噛んでる。俺の横にいるサラとエリを見ても、同じように動けずにいた。この二人なら男の背後から襲うこともできるけど、人質がいるとそれも難しいんだろう。サラは手足に力を入れてるけど、それを動かせず苛立った様子だ。誰も姉ちゃんを助けられないのか……。
ふと見ると、エリの右手がゆっくり、静かに、自分の腰の辺りを探ってた。そしてベルトの下からつかみ出したのは、小さくて軽そうなナイフ――さっき言ってたやつだ。それで不意打ちしてやれば、さすがにこいつだって――
「観客は大人しくしてろ。特にそこの坊主、てめえのせいでこの女を死なせたいか」
男はこっちに視線を向けて牽制してきた。エリの動きがばれてる……向こうも素人じゃないってことか。部屋の中は静まり返ってる。どうするんだよハンネス。全員の動きを止められたら、もう言うこと聞くしかできることは――
ガタンガシャンといきなり騒々しい音が静寂を破って、俺は心臓が止まりそうなほど驚いた。見れば壊された窓の外から塞いでた机を蹴飛ばして誰かが颯爽と入ってきた。
「ラグナーさん……!」
そうわかった直後、ラグナーさんは投げナイフを構えて、それを男に向かって素早く投げた。ま、待って! 姉ちゃんが人質に……!
焦る俺の前を、ハンネスが横切った。そして男に抱えられてる姉ちゃんを隠すように覆いかぶさった。
「貴様……ぐっ!」
ラグナーさんの出現とハンネスの行動に動揺した男は、投げナイフを避ける暇もなく、それを右肩に受けた。深々と刺さった痛みに力が抜けたのか、男は姉ちゃんから手を放した。
「ウルリカさんを!」
すかさず助け出したハンネスは、姉ちゃんを俺に渡すと、男の前に立って身構えた。
「許さない……」
形勢逆転だ! ハンネスは少しずつ男との間合いを詰めてく。その男は肩の傷をかばいながら、こっちを睨んで牽制する。でももう無理だ。ラグナーさんも来て、戦力じゃ男に勝ち目はない。さあ、この落とし前、どうつけてくれるんだ?
「……ちっ」
悔しそうに舌打ちした男は、後ずさりを始めたかと思うと、ものすごい勢いで外へ逃げてった。……逃げるのかよ!
「待て――」
怒りの表情でハンネスは追って……行こうとしたけど、突然玄関に人影が現れて急停止した。
「ちょっと、護衛対象を置いてく気?」
立ち塞がったのはロヴィサさんだった。
「あいつは許せない」
外へ行こうとするハンネスを、ロヴィサさんは手で制する。
「ハンネスらしくもない。少し冷静になりなさい。彼女も怯えてるんだし」
そう言われてハンネスがこっちに振り返った。俺にしがみ付く姉ちゃんは、まだちょっと震えてる。その目は何かを求めるようにハンネスを見つめてた。
「……その、通りだ。少し落ち着くよ」
短く深呼吸すると、ハンネスは表情を和らげて近寄ってきた。
「ウルリカさん、本当に申し訳ありません。こんな怖い目に遭わせてしまって」
「怖かったですけど……ハンネスさんが守ってくれたから、もう大丈夫です」
「でも、まだ震えています……」
「安心して、今さら怖さを感じているだけですから。それより、ハンネスさんが無事でよかった。本当に……」
姉ちゃんは涙目になって安堵してた。相当怖かったんだろう。俺も半分諦めかけてたからな。
「アイヴァー、またこんなことになって……ごめん」
「まったくだよ。早く問題を解決してくれないか? じゃないと俺、早死にしそうだ」
そう言うとハンネスは軽く笑みを浮かべた。……いやこれ、冗談じゃないんだけど。
「ラグナーさんが来てくれなきゃ、姉ちゃんも皆もどうなってたか……。礼、言っといたほうがいいんじゃないか?」
振り返った先には、腕を組んで壁に寄りかかるラグナーさんの姿があった。特に表情はなくて、皆をじっと眺めてる。そんなお兄さんにハンネスは歩み寄る。
「ウルリカさんにナイフが当たったらどうするつもりだったんだ」
礼を言うのかと思ったら、そんな文句を言った。
「あんなでかい的、外すわけないだろ」
ラグナーさんは遠くを眺めながら答えた。ハンネスはその表情から何か探るような目付きで聞く。
「どうして、ここに来たんだ?」
「妹達が巻き込まれてるっていうから、確認しないわけにはいかないでしょ?」
答えたのはロヴィサさんだった。
「私達はハンネスの手伝いに来ただけよ。ね、エリ」
「うん。困ってるって言うからさ」
「でも、刺客を連れてきちゃうんじゃ、手伝いになってないわね」
「それは違うから。私達、絶対に尾行はされてなかったから」
「僕だって絶対になかった。あいつが偶然ここを見つけたんだよ、きっと」
「偶然……にしては、偶然すぎる気がするけど……」
ハンネスが呟いた。尾行でも、偶然でもなきゃ、敵はどうやってここを見つけたって言うんだ? 俺にはそのどっちかとしか思えないけど。
するとハンネスはロヴィサさんに聞いた。
「ロヴィサはどう思う?」
「何が?」
「だから、やつらはどうして僕の居場所がわかったと……」
「さあね。何でかしら。勘がよかったか、運がよかったか、そのどっちかじゃない? そんなことより、ここにはもういられないわね。ハンネスはこれからどうするつもりなの?」
答えが素っ気ないロヴィサさんをハンネスは見つめてた。
「……何? どうかした?」
「まさか……ロヴィサか?」
「私が、何なの?」
まばたきするロヴィサさんを見て、ハンネスは確信したように言った。
「やつらにここを教えたんだな」
サラとエリが、え? と驚いた声を漏らした。
「ロヴィサ、嘘が下手すぎるぞ」
壁に寄りかかるラグナーさんが呆れたように言った。……ど、どういうことだよ、それ。身内が敵に協力したってこと、なのか?
「実の姉に裏切られるとはね……」
ハンネスは怒りと悲しみが入り混じった眼差しでロヴィサさんを見つめる。これに、言い繕うのは無理と思ったのか、ロヴィサさんは肩をすくめて見せた。
「……そうよ。嘘が下手な私が教えたのよ」
その途端、ハンネスはロヴィサさんに詰め寄った。
「何でそんなことを! 危うく僕達は――」
「一人の刺客から彼女も守れないなんて、先が思いやられるわね」
見下した口調に、ハンネスは眉根を寄せて睨む。
「ラグナーが助けに入らなかったら、どうなってたかしら」
「ロヴィサが裏切らなければ、こんなことにはならずに済んでた」
「それはどうかしらね。あんたがこれからやろうと考えてることは、これ以上に危険なことよ。こんな体たらくで、無事に終われるとは到底思えないわ」
「だからって、邪魔をするのか!」
「邪魔をしたんじゃないわ。現実を教えてあげただけよ。あんたのやり方だと、どれほど苦労するかってことをね。誰も殺さずに、この件が解決できると思うの?」
「……何が言いたいんだ。ロヴィサは傍観するんじゃなかったのか?」
するとロヴィサさんは優しい表情に変えて言った。
「弟を心配するのは当然のことでしょ? 私はハンネスが心配なの。危ないことをしようとするのを見てられなかったのよ」
「僕に、やめろって言いたいの?」
「やめたら解決はできない。でも私達が協力すれば、あっという間に終わることよ。だから、安全な私達の元に戻ってきなさい。そうすれば、もう誰も危険には遭わないわ」
笑みを浮かべるロヴィサさんを見つめてたハンネスは、ふっと小さく息を吐いた。
「結局、それが本心か。僕をまた仕事に戻すことが……」
ハンネスはロヴィサさんを真っすぐ見据えた。
「僕の決心は、どんなことがあろうと変わらないよ。僕は、表の人間として生きるんだ。もうあの家には帰らない」
「ハンネス、聞いて。あんたが決心したことなんてやつらには関係ないわ。私達の力がなきゃ絶対に――」
「協力してくれるのはありがたいけど、それは僕が家に戻ればっていう交換条件なんだろ? それなら断る」
「ハンネス、よく考えなさい! これから先、何もかもうまく行くと思ってるなら、後悔するわよ」
「僕はすべてがうまく行くなんて思ってないし、だからって後悔するとも思ってない。自分で決めたことなんだ。それくらいの覚悟はしてるつもりだよ」
固い意志を見せたハンネスを、ロヴィサさんは歯がゆそうに睨んだ。
「何で……何でわかってくれないの? 弟のあんたを、私は――」
「おいロヴィサ、もう無理だ。引き上げるぞ」
ラグナーさんがたまりかねたように言った。
「でも、このままじゃ――」
「もう子供じゃない。ハンネスがやりたいようにやらせるしかないだろ。……サラ、エリ、行くぞ」
ラグナーさんは俺達を見ることなく玄関へ向かってく。
「私達、ハンネスの手伝いをしないと……」
戸惑う妹弟をラグナーはいちべつして言った。
「満足に護衛もできなかったやつが何言ってる。帰ったら鍛え直しだ」
「み、見てたの?」
「それならもっと早く助けてよ。ラグナーのいじわる!」
「黙れ。わめくやつには俺の鍛錬に付き合ってもらうぞ」
エリはすぐに口をつぐんだ。かなり嫌なことなんだろうか。
「……ハンネス、ごめんなさい。手伝いできなくなっちゃって」
残念そうなサラに、ハンネスは微笑んだ。
「仕方ないよ。二人にはまだ経験が足りなくて、少し早かったのかもしれない」
「もっと練習して腕を上げてくるから……無理、しないでね」
「失敗しないようにね。じゃあまたね」
サラとエリはすでに外へ出たラグナーを追って玄関を出てった。そして、最後に残ったロヴィサさんは、苛立った表情のままハンネスを見やる。
「私達の協力はいらないって言うのね?」
「家に帰りたくないからね」
ロヴィサさんは歯噛みした。
「あんたは、何でそんなに可愛くないの?」
「ロヴィサこそ」
二人はしばらくじっと見合ってたけど、その視線を先にそらしたのはロヴィサさんだった。
「殺されたって、もう知らない。やつらに拷問を受けて後悔でもしなさい」
そう言い捨てて踵を返したロヴィサさんは、長い髪を揺らして足早に出てった。それを俺達は黙って見送った。……こんな場面、前にも見た気がするな。
荒れた部屋の中に自然の静けさが戻って、ハンネスは大きな溜息を吐いた。
「大丈夫、ですか?」
様子をうかがうように聞いた姉ちゃんに、ハンネスは笑顔を見せた。
「きっと、大丈夫です。協力してくれる人間はいませんけど、一人だって――」
「あの、そうじゃなくて、ハンネスさんは大丈夫ですか? お顔が、その、疲れているように見えたので……」
言われてハンネスは自分の顔を確認するように触れた。
「そうですか? 疲れた感覚はないんですけど……」
「なあハンネス、これからどうするんだ? ここは敵にばれたんだろ?」
「そうだな……とりあえず、ここを出てから考えよう。いつまでもいたら次の刺客に見つかる」
「出て、どこ行くんだ? 行く当てでもあるのか?」
「残念ながらここ以外は……。でも身を隠してさえいればすぐに見つかることはないし、怪しい気配があれば、僕が二人を絶対に守るから、安心して」
その言葉の通り、ハンネスは俺達を安心させようと笑顔を作った。でもその笑顔に力がないことにハンネスは気付いてるんだろうか。姉ちゃんがさっき、顔が疲れてるって言ったけど、俺が思うにそれは疲れじゃない。多分不安だ。誰の助けもなく、俺達二人を守り切らなきゃならない孤独な不安……。いつもは穏やかな笑顔が多いのに、こんな余裕のなさを滲ませるハンネスは初めて見たかもしれない。これに俺達の責任はない。全部ハンネスが原因だし、どうにかしろって責めるのは簡単なことだ。だけど、ハンネスはただ生きたい道を生きようとしてるだけなんだ。そのための協力なら、俺達は惜しまないし、できることがあるならやってやりたい。でも、裏社会と無縁な俺達に、一体何ができるんだろうか……。
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