私を見つめる私の瞳
西野ゆう
第1話
斜めに肩へとかけた小型のミラーレスカメラ。「相棒」と呼ぶといささか気障っぽい気もするが、唯一の旅の相棒である。相棒であると同時に、過去の私自身そのものでもあろうカメラ。決して未来にはなり得ない、過去だけをそこに残すカメラ。
一人で旅をすると選んだ時、父がそっとプレゼントしてくれた。母が天に旅立ちほんのひと月と半分。よくあの父が許してくれたものだ。決して安くはない、父の宝物だったカメラまで持たせて。
「一人旅?」
レストラン、カフェ、ホテル。行く先々でそう尋ねられる。
「ええ、そうです」
「へえ」
駅の待合室、港、ビーチを見下ろす展望台。過去の私をなぞる。
どの場所でも会話が続かないのは、過去を向く私の瞳が一人を望んでいるように見えていたからだろうか。
その私の瞳に映った風景をカメラ越しに覗いて、シャッターを切り、フィルムに焼きつける。
「お待たせしました。チキンカレーです」
夕食に立ち寄った小さなレストラン。どこにでもあるような風景と食事。ここにも過去の私がいる。私たちがいる。
「カレーってね、家族なんだよね」
フェルメールが飾られた壁側の椅子に、母の幻影が現れてそう言った。
テーブルの上のカレーに、その幻影も含めて画角に入れた。
この相棒も人を寄せつけない「瞳」をしているのかもしれない。画像データではなく、光の波長と強さを焼きつけるフィルムカメラ。
私の過去を、過去の私が浴びた光を焼きつけてゆく。一本のフィルムに連続して、絵巻物のように、私の魂が浴びた光を。私の魂の揺らぎも、強さも、このフィルムには焼き付いているような気がした。そう思うことで、一人でいても大丈夫、安心していいのだと言い聞かせていたのかもしれない。
「一人旅?」
歩道橋の上。まばらに通り過ぎて行くヘッドライトを眺めたまま答える。
「ええ、そうです」
「私も、なのよね。よかったら、これどうぞ」
歩道橋の手すりに掛けていた体重を、右の肘だけに預ける。身体を横に向け、私の左側からチョコレートを持った手を伸ばしてきた女性の顔を見た。
彼女は、私の数秒過去のように、歩道橋の上から流れるヘッドライトを眺めていた。私の、数年、いや、数十年未来のような容貌をして。
「じゃあ、遠慮なく」
やはり言葉は続かなかった。続かなかったが、それは一人を望んだからではない。チョコレートの甘さの奥にある苦さに、彼女の想いが詰まっているような気がして、声が出なかったのだ。彼女もまた、大切な何かを失ったのだろうと想像できた。それでも時は流れる。車のヘッドライトは前を照らして、私たちの背後へと流れて行く。
私は、シャッターを長く切り、ヘッドライトの光の粒をフィルムの川に幾筋も流した。
鼓動が指先に伝わり、私の血液も、フィルムの川に流れているような感覚になった。
「気を付けてね」
隣にいた彼女の声で、シャッターが戻る。
「お母さんも……」
そう言い間違えて訂正もできず言葉を失った私に、彼女はただ優しく微笑みを与えてくれた。
「帰ろうかな」
そう言って空を見上げる。真っ暗な空にレンズを向けると、乱反射した私の瞳が私を見つめていた。
私を見つめる私の瞳 西野ゆう @ukizm
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