第5話 カーテンフォール(閉幕)


 北陸新幹線を上下ともに止めた男たち。

 片や最強の殺し屋 ── ニンジャ。

 片や最狂の殺し屋 ── トム。以前の名はハーディ。


 2人はあまりの暴れ様に戦闘どころではなくなり、相手の殺害より殺害の隠匿のほうが重要だと判断した。その結果、2人の妥協点として場所の移動が行われている。

 ヘリコプター機内の後部座席では2人の殺し屋が向かい合い、騒音対策のセッドセットをつけている。

 ニンジャは退屈そうな目をしていた。なぜならトムの話が絶え間なく、妙に気になるからだ。


「地獄の黙示録でもヘリで駆けるシーンがあった」


 映画の話題だ。


「私が一番好きなシーンだ。キルゴア中佐はサーフィンするためにベトコンを蹂躙しに行く。私はてっきりサーフィンが何かの隠語かと思っていたが、本当にただの波乗りサーフィンだった」


 トムがペラペラと喋る最中にもヘリは目的地へ向かっている。やがて雪が止み、古風な城跡が見えてきた。


「音楽とカメラワーク、そしてヘリの……」

「準備しろ、長野に海は無いぞ」



 *



 そして今に至る。


 ヘリコプターから落ちてくる人間は2人いた。その2人ともをキリルは知っている。

 ニンジャとハーディだ。潰し合ったハズと思っていたキリルは「マジかよ」と声を漏らした。


 休戦終了。スタートを切ったのはトムだった。

 ニンジャが着地した瞬間、後から落ちてきたトムがかかと落としを繰り出す。

 だろうなと思い、ニンジャは左手を頭上に持っていきガードした。そして右手で抜刀し、トムに斬りかかる。

 トムは空中にいる。無防備だ。脚を斬れる。

 ニンジャはトムを見上げた。卑劣な顔面がそこにある。それとともに、見慣れない茶褐色の物体が視界に入った。


「タコ壺……」


 ニンジャが呟いた通り、トムの顔の真横にタコ壺がある。何者かによって投げられた普通の壺だ。

 だが軌道からして、このままではトムを通り過ぎていく。ニンジャに当たったとしても、しょせんは駅弁用のタコ壺だ。ダメージは無いに等しい。

 ニンジャが何のための壺かと考えたとき、タコ壺の中身が空でないことに気がつく。スマホだ。スマホが中に入っており、今にも放り出されそうになっている。


 これが探偵考案の作戦の一つ。彼が回収したスマホ爆弾とタコ壺を組み合わせた即席手榴弾だ。


 パァンッ!── 爆裂。耳の痛くなる音が響いた。トムの耳元でスマホが爆発した。

 手榴弾は爆発の威力そのものではなく、破片によってダメージを稼ぐ。タコ壺は破片となって全方位に飛散し、トムだけではなくニンジャにも襲いかかる。スマホ爆弾に関しては2人は知らない。効果は抜群だ。

 

 強靭な殺し屋2人は爆発に押され、軽く4メートルは吹っ飛ぶ。トムは空中を飛び駐車場跡のほうへ、ニンジャは地面を滑って橋の欄干のほうへ。

 灰色の煙が立ちこめる。

 刹那的な攻防と急遽の作戦変更にキリルも一時は驚いたが、あまりのクリーンヒットに「ハハ」と乾いた笑いを出した。


 肌に張りつくような距離で炸裂したのだ。かなりグロテスクな見た目になって死んだに決まっている。実際、そう思っていたのはキリルぐらいなもので、中距離からタコ壺を投げ込んだ探偵は胸騒ぎがしていた。

 煙が晴れる前にと、探偵は走ってキリルの後ろに隠れる。キリルはコソコソとする探偵を嘲笑い、軽く叩いた。


「オイ、なんだよ。情けねぇ野郎だなぁ」

「元気そうでなにより……そんな楽観的なキミに、タメになる言葉を教えてあげよう」


 探偵とキリルの視線は一致した。


「最善に期待し、最悪に備えろ」


 まずは橋の欄干のもとで倒れていたほう。ニンジャがヌルッと体を上げ、服についた汚れを払う。

 ニンジャは爆裂から身を守ったのか、ケガが少ない。頬や手のあたりから流血している程度だ。


 よく守りが間に合ったものだ、とキリルは感心した。というか間に合っても助かるものではない。


「ケッ、そうくるよなァ!」


 意気揚々と両手で武器を構え、キリルは覚悟を決めた。

 ニンジャは爆裂でおかしくなった耳を触る。やる気の無い無表情で、キリルに焦点を合わせる。

 キリルはまばたきをする。戦いの前の最後のまばたき。そのつもりが、そこをニンジャは見逃さなかった。

 キリルがパチっと目を開けると、ニンジャが巨大になった気がした。

 キリルの50センチメートル前方で、ニンジャは既に自身の刀に手をかけていた。彼の神速の踏み込みと体勢、これは抜刀術だ。


「ヤバっ……!」


 キリルは左手の模造刀を逆手持ちに切り替え、縦に構えて防御を試みる。だが、それが意味を成さないと理解させられるのに時間はいらなかった。

 ニンジャは刀を右手で抜いた直後、両手に持ち直し、刺突として切っ先をキリルの喉元に突きつけていた。


 戦いが終わった。日本刀は模造刀をすり抜け、あと1ミリで命を取れる位置にある。だというのに、キリルはまだ生きていた。

 キリルの体を冷や汗がしたたる。刀がピタリと止まっているのだ。なぜ止めたのかと問うために喉を震わせたら、刃が刺さるだろう。そんな死の縁でブレーキがかけられたことに、キリルは喜び始めていた。


 ニンジャの見ている方向には探偵がいた。あの詐欺師みたいな男だ。その男を初めて見て、ニンジャは怪訝そうな面持ちになった。


「……誰だお前」


 ニンジャはため息をつき、刀を鞘に納める。


「ここに用は無い」


 背中を見せつけ、橋から遠ざかっていく。

 歩き方だけは西部劇の終わり際のようなオーラを放っているが、キリルにはまるで掴みきれない。


 何が起こったのか。抜刀術の速さもさることながら、ニンジャの動きは全く読めない。

 「待てよ!」とキリルが余計にも声を飛ばしてみると、ニンジャが顔だけを振り返らせて告げる。


「ここに探偵はいない」


 それだけを言い残すと、ニンジャは携帯電話でヘリコプターを呼び寄せる。去るつもりだ。キリルからすればありがたいことだが、そのキリルの頭はこんがらがっていた。言葉の処理にエラーが発生している。

 キリルは物凄いスピードで振り向き、両手の武器を投げ捨て、探偵の肩を揺さぶった。


「オイ!テメー幽霊なのか!?」

「違うけど」

「じゃあどういうこった!オメーのこと写真で見たんだからな!」

「その写真は案内役から貰ったものでしょ」

「あ、確かに……」


 あっけなくキリルは止まった。

 探偵は「言っただろ」と笑顔でタネを明かす。


「探偵と案内役は繋がっている。そして僕は探偵の……協力者かな?」


 彼の平然さが示すように、これまでの行動や動機との矛盾はない。


「それに僕は一度も、自分を探偵だと言ったことないよ。そもそも殺し屋の前にこんなに堂々と姿を見せるワケないよね」


 ここにいる探偵もどき自身、自分が探偵だと思われていることは分かっていた。それを利用し、結果的にキリルを取り込んだのだ。

 口数の多さ以外はスゴいヤツだとキリルは思った。


 探偵は槍を拾い、刀はキリルに投げて渡す。


「それよりハーディは?彼、どうせ流れ的にピンピンしてるハズだよ」

「流れってなんだよ」

「さあ?」


 キリルはあたりを見渡す。


「んでもいねぇんだよなー、さっきからどこにも」


 彼らはトムを見失っていた。煙はもう晴れているが、周囲にはキリルと探偵とニンジャしかいない。

 どこかで死んでいれば儲け物だな。そうキリルがぼんやり考えていたとき、ヘリコプターが降りてきた。


 ヘリコプターが下方へ起こす風をダウンウォッシュと言うが、その風力は近くであれば台風並みとなる。キリルですら押されるその風をニンジャはものともせず、さっそうと乗り込んだ。これで1人、面倒な人間がいなくなる。

 

 ニンジャが乗ったのを確認し、ヘリの操縦士が左手側の操縦桿で揚力を操作する。重々しく浮かんだヘリは高度を上げていった。


 突然、操縦士めがけて棒状の物体が飛んでくる。操縦士はとっさに目をつむって顔を防御する。


「うおっ!」


 フロントガラスに金槌かなづちが刺さった。

 操縦士がまぶたを上げると静かになっていた。金槌は先端だけが突き刺さり、ヒビ割れを形成している。

 全壊とはいかないものの、ヘリコプターの耐衝撃ガラスを一撃で破ったパワーはもはや人間業ではない。ほぼ真正面、近くにある市民会館の屋上から投げられたのだ。

 後部座席のニンジャは何かを察しており、ドアの取っ手に手をかける。


 一体なんだったのか。ヘリコプターという機械に守られた操縦士は胸を撫で下ろし、はやく逃げようと操縦桿を強めに握る。この時、既に操縦士は安心していた。鳥のフンが落ちてきたときと同じ。一回のみの偶然で、「最悪だ」と言って思い出すだけの出来事。

 

 操縦士の瞳にが映る。

 フロントガラスを突き破り、操縦席に1人のゾンビが突っ込んだ。ガラスは粉々に砕け散り、機内がメチャクチャになる。

 後にわかることだが、血まみれで眼をひん剥いた男の呼称としてゾンビが打ってつけなだけで、本物のゾンビではない。とはいえ、生きた屍が存在するのとトムが生き生きとしている確率は大体同じだろう。


 ヘリが傾き出す。操縦士はトムに撲殺された。

 ピー、ピー、と甲高い警告音が辺り一帯に鳴り響き、平静を失ったヘリコプターがキリルたちのほうへ落下していく。


「オイオイ、すげーなありゃ」

「はは、でもこっち来てない?」

「あー、かもな」


 今だ!と誰かに言われたように、呆然から目覚めたキリルと探偵は全力で後ろに走る。橋の中央から城門へ。間に合いそうもないという危機感が彼らを襲う。

 ヘリコプターが完全に横倒しとなり、橋にプロベラが触れた。機体そのものが一気に地面に接触し、巨大な鉄塊として橋を侵攻する。

 

 轟音を立て、鉄塊が接近する。

 音が着実に大きくなるのを背中で感じ、キリルと探偵は死に物狂いで脚を、肩を、全てを振った。


「ウオオオオオオアアアアアアア!!!!!」


 迫るヘリコプター、駆ける2人。 

 ときおり弾け飛んだプロベラが彼らの横を通り過ぎ、機体の破片が降ってくる。

 20メートルの短距離走があれば世界を獲れるハイスピードで、キリルと探偵は城門へ飛び込んだ。

 その直後にヘリコプターは城門に阻まれ、ズシンと止まった。城門が揺れ、風が流れ込む。


 やっと落ち着いた。城門の先には神社があり、灰色の鳥居がそびえている。

 鳥居の前でキリルは仰向けになり、燃えるような体温を感じていた。


「はぁ……はぁ……」


 ひどい1日だ。そう思うと探偵の安否が気になってくる。キリルが体を起こすと、案外すぐ側に探偵が倒れていた。


「おい、起きろ!あー……チッ、名前わかんねぇわ」


 そんな風にブツブツとぼやきつつ、散乱したレプリカの槍や刀を何気なく拾う。キリル自身、まだ何かあるのだとうっすら感じていた。

 こんなに音がしないのも、嵐の前の静けさだろう。そう思った矢先、上のほうから瓦のカランという音が響いた。積もった雪がパラパラと落ち、誰かがいるのがすぐにわかった。

 キリルは見上げた。案の定、淡い日光を背に受け、アイツが城門の上に立っている。


「殺そう」


 ハーディ改めトム・リー。最悪がそこにいた。

 顔面の右半分がズタボロにただれ、血で真っ赤に染まっている。まるで仮面を付けたようで、キリルはそのザマを嘲笑った。


「よう、久々に会ってみたらなんだ?イメチェンか?オレを捨てた恩、忘れてねぇからな」

「拾った覚えは無い」


 トムは重力に身を任せて飛び降りた。

 いくら傷を負おうと淡白な物言いは変わらずで、キリルの芯を震わせる。


「よく言うぜ……」


 キリルは足首をほぐしながら武器を握った。

 トムに狙いを定め、その剛腕を振るう。


「さんざんッ!」


 槍を投げる。


「甘やかしッ!!」


 刀を投げる。


「といてよォッ!!!」


 そしてキリルが最後に投げたのはスマートフォンだった。探偵のポケットから拝借した白いスマホ。

 トムは槍を弾き、刀を避けると、最後の1つに意識を奪われた。何せスマホだ。ついさっきの爆発が今でもうるさい。


「これは……」


 顔面めがけて飛んでくるスマホ。2つ目の爆弾がきた。トムにはそう思えて仕方なく、かなりの距離をとる。


 しかし何もおこらない。その瞬間だった。スマホから大音量で音楽が流れ始め、トムは固まった。

 曲はオッフェンバックの『地獄のオルフェ』序曲第三部、いわゆる『天国と地獄』だ。150年以上昔に作られたクラシックの名曲が、ここにきて開戦の合図となった。


 ここからは文句無しの果たし合いだ。一度は勝敗のついた2人でも、二度目が同じとは限らない。

 走り出したキリルはトムに向かって跳躍する。


「ウラァッ!」


 キリルは右拳を振り下ろす。

 明確に当たった。トムが怯んだ隙を逃さず、続いてキリルは左フックを出す。トムはそれを弾き、左ミドルキックと右フックを順番に放つ。キックは両腕で防がれ、フックは屈んで避けられた。

 次いでキリルの左ローキックとワンツーをトムがガードし、頭への裏拳もガードする。

 キリルは舌打ちをした。左脚でのローとハイの二段蹴りも軽く防がれ、右ミドルキックを出すもトムに脚を捕らえられる。

 顔面へ右手の一発、さらに左脚を払われてキリルは倒れた。


 トムはすかさず倒れたキリルの喉を絞めた。片手の強烈な力だけでキリルを地面に固定する。


「がッ……!」


 キリルは窒息を味わい、パニックになりかける。

 力が抜けていく。武器も無い。そう絶望したとき、探偵が突進してきた。


 地面を転がる途中でトムは慌てずに探偵を引き剥がし、立ち上がろうとする探偵に横蹴りを食らわせる。

 探偵はフワッと浮いて落ちた。十分な働きをしたなと、トムが探偵を無視してキリルのほうへ向かっていく。

 だが探偵はまだ終わっていない。果敢に立ち向かう。


「はあッ!」


 肘打ち。これはトムに受け流されるも、探偵はトムの右ストレートを左手で掴んで引き寄せ、再び右の肘打ちを繰り出す。

 探偵は意外と身軽だが、筋力や重さに欠ける。

 肘打ちを前腕で防御したトムは懐に潜り、正面から探偵の胴体を持ち上げて落とした。


「ぐあぁっ……!」


 その直後、槍を持ったキリルがトムを強襲する。まずは蹴り飛ばして、横から槍を叩きつける。

 リーチのある長物に最初は後退ばかりだったトムも、すぐにレプリカだと気がつき、両手でへし折った。

 キリルは折られて余った槍のを持ち、尖った先端をトムに振り下ろす。トムとキリルは互いに掴み合い、槍の柄を刺すか刺させないかで膠着状態になる。

 パワーは拮抗し、血走る目を交わす。キリルは今までに無い腕力を発揮していた。


「テメーを憎むぜオレぁ!」

「憎しみとは贅沢だな!」

「小難しいハナシすんじゃねェ!!」


 声量でも力でもキリルが競り勝つ。柄は空振ったものの、トムを押し返してバランスを崩させた。

 キリルは跳び上がり、口から飛び出しそうなほどに闘志を燃え上がらせる。


「今日憎んで、明日憎んで、永遠に憎んでやるぜェッ!」


 豪快な飛び蹴りを一発。トムは横へと身をかわすも、キリルは空中で脚を曲げてかかとでアゴに一撃食らわせた。

 キリルは敵から目を離さぬよう着地する。

 トムがアゴに食らった勢いを利用し、低い姿勢からの回し蹴りを繰り出した。


「うッ!」


 キリルは脇腹にその蹴りを受けつつ、トムの脚を掴んだ。

 トムの位置は低い。このままグラウンドポジションに持っていけると確信したキリルは踏み込み、トムに覆い被さろうとする。


 しかし簡単にはいかない。トムはいつの間にか手にしていた模造刀を取り、キリルの喉に向かわせる。左手で柄を握り、右手で刃を押さえて。

 落ちていくキリルは刃を避けられない。キリル自身も避けたいと思わない。大きく口を開け、ためらわずに刃に突撃した。


「アァッ!!!」


 キリルは模造刀の刃を噛みちぎった。勢いよく首を上から下へ振り、猛犬のようなたくましさで模造刀を突破したのだ。

 下を向いたキリルはそのままトムの顔面に頭突きをブチ込む。爽快な音がした。

 ただえさえ血まみれのトムは鼻血を吹き出し、さらに血を纏う。


「こんな痛みなど……!!!」


 トムは覆い被さっているキリルを足で押し出した。


 キリルは倒れそうになるもふんばり、2本の脚で立つ。トムも悠然と立ち上がり、鬼の形相で睨み合う。

 2人の体力は限界寸前。だが闘争心はピークのまま。そろそろ終わらせてやろう、と2人は考えた。


 通常、人間は近距離戦闘のとき、相手に意識を集中させる。すると挙動を読むことに脳のキャパを奪われ、動作が鈍ったりする。誰も死にたくないからだ。

 しかし今の2人は違った。肉が裂け、骨が砕けようとも先に相手を殺せれば良い。残ったダメージで自らが死んでも、勝利の歴史があったならそれで良い。敵を恐れず、防御はやめる。それが2人の必勝法だ。


 2人ともが思った。先に殺せる。

 トムはニンジャとの戦闘と爆発で深手を負っている。はたから見ても明らかに重傷だ。

 キリルはダメージこそ少ないが、実力はトムには遠く及ばない。最初は手も足も出なかった。


 どちらも自分に利があると考え、次の一撃に全身全霊をかけると決めた。

 相手を見据え、ゆっくりと呼吸を整える。


「フー……」


 トムは欠けた模造刀を右手で握る。キリルは右手をベルトに回して何かを掴む。


 この勝負を制するのは先に攻撃をねじ込んだ方。

 静寂の中、落ちた血液が雪を染める。それを合図として最後の勝負が始まった。


 距離にして3メートル。2人は仕掛ける。

 キリルが右手を振り、掴んでいた物体を投げた。回転する高速の刃。十字形の手裏剣だ。乾いた血が付着していることから、探偵の背に刺さった手裏剣の再利用だとすぐにわかる。手裏剣はトムの額へと向かってくるが、トムは当然避けない。避ければ負けるし、素人の手裏剣投げだ。殺傷力は低い。

 トムの額にドスッと手裏剣が刺さる。一瞬、首がのけぞるも、効いていないとアピールするようにトムは真正面に向き直した。

 模造刀をキリルの頸動脈へ。このまま進めば確実に頸動脈を切れる。キリルが減速しても間に合わない。それに今の彼女はトムと同じで防御をしない。攻撃だけに集中している。トムは勝利に笑いかけた。

 そこでキリルは探偵の助言を思い出し、左手を動かす。武器は無い。トムが何をするのかと疑問に思ったとき、キリルはグンとを突き出した。

 まさか、また頭突きだ。しかも鼻への頭突きではなく、額への頭突き。これでは正面衝突で共倒れだ。致命傷は与えられない。

 模造刀が頸動脈へ到達する寸前、キリルの左手が上がってきて、彼女自身の首の側面を包んだ。

 何をした?いや、トムはわかっている。防御だ。模造刀の一撃を左手で防御しているのだ。そして、キリルは戦闘を継続させる目つきをしていない。つまりここで防御の上、トムを殺すつもりだ。

 キリルの右手は手裏剣を投げた反動で位置的に使えない。足も地についている。ならば何で殺す?

 トムは目を大きく見開いた。そう、頭突きがある。頭突きでは共倒れとはならない。なぜなら、トムの額には手裏剣が刺さっている。キリルの骨は頑丈だ。


 トムの模造刀はキリルの左手に入り込み、キリルは頭突きを食らわせた。それと連動して、手裏剣がトムの脳天に深く突き刺さる。


「あがッ」


 トムはよくわからない断末魔を上げた。

 手裏剣の9割がトムに刺さった一方で、キリルは額から少し流血しているだけ。

 キリルは背中から倒れるトムを見下げる。彼の出血を浴び、不気味な笑い声を出した。

 

 キリルはハーディに鍛えられた。2人の戦法は同じであり、素質も似通っている。キリルは鋼鉄の肉体を持ち、ハーディは不死もどきの狂気を持つ。決して倒れない者だからこそ、2人は先に敵を殺せると信じていた。

 だがその戦い方は間違いだった。探偵はキリルに言った。「死を恐れないことは弱さだ」と。死への恐怖が人間を磨き、強さを与える。

 これが探偵の作戦の一部だ。トムとの一騎討ちのときは、トムの鍛えたキリルで戦う。最後の最後で防御にも意識を割き、未知のキリルで殺す。結局、トムが殺したかったのは死を恐れないキリルであり、変わってしまったキリルは彼の眼中にはいないのだ。


 キリルの体は火照っていた。トムを見ると、腹から笑いがこみ上げてくる。ここまでの感覚は初めてだ。殺しの仕事で自信が身につくことはあったが、今回ほど標的の前で踊りたくなったことはない。

 キリルは左手に刺さった模造刀を引っこ抜き、高らかに吐き捨てる。


「ヘッ……ご愁傷様だぜ、ハーディ!」


 戦いが、仕事が終わった。キリルは勝った。

 日向の暖かさを受けながら、雪を踏みしめる。キリルは背筋を伸ばし、爽やかな寝起きの気分になった。


 日本観光のついでにターゲットを殺す仕事が、歴史的建造物を破壊する大事故に発展した。後の事などキリルは考えたくもない。


 キリルが気絶している探偵をビンタしようとしたとき、視界の端に刀が滑り込んできた。


「あ?何だこれ?」


 戦いは終わったはずだ。怪しく感じたキリルが刀の先に目をやる。そこにはススで汚れたニンジャが、ヘリコプターの残骸に腰をかけていた。よくあの事故から生き延びたものだ。


「ヴァンパイアにトドメを刺せ」

「ヴァン……えっ、何て?」

「そこに倒れてる男の喉を切れ、と言った」


 疲れた様子もなく、ニンジャはトムを指差した。

 自分でやれよ、と心で毒を出してから、キリルは刀を肩に担ぐ。トムのほうへ歩く途中で、キリルは独り言を呟く。


「変なアダ名が好きな業界だぜ……ったく。恥ずかしくねぇのかな。んだよニンジャって……フッ」


 キリルが鼻で笑うと、足元にクナイが飛んできた。金属製の本物のやつだ。


「オイ!何だよ!」


 怒ったキリルが振り向く。だが既にニンジャは消えており、音も影も感じられなかった。

 ニンジャは刀とクナイを置いていった。キリルはムスッとした顔をして、鞘から刀を抜く。


「……けっこうイカすな、これ」


 光沢のある刃に見入る。模造刀とはまた違い、人を斬れる恐ろしさがキリルをゾクゾクさせた。

 その時、探偵が苦しそうに起き上がった。キリルは刀を鞘に納め、「よう」と挨拶をする。


「大丈夫か?」

「多分……充電で言ったら28%」

「バッチリだな」


 キリルは微笑んだ。


「そういやオメー、本物の探偵を守るために来たんじゃなかったのか」

「確かにそうだけど、僕は2人の殺し屋をキッチリ無力化しただろ?ニンジャは契約内容に入っていない。ご愁傷様だね」

「とか言っといて、ホントはニンジャが怖いだけじゃねぇの?」

「じゃあ今から行くかい?ニンジャ退治」

「やめとけ、給料安いだろ」


 楽しいアフタートークを繰り広げ、そろそろ退散するかという頃。

 探偵がクナイを拾い上げる横で、キリルはふと死体を見つける。城門の隅に幼児が転がっていた。頭が瓦で潰れている。


「お、あれ見ろよ、ガキが巻き添え食らってる」


 キリルは道で野良猫を見つけたような、ゆるんだ言い方をした。近づこうかとも思ったが、時間が無いのでやめた。

 探偵は死体よりもキリルの表情を見る。


「すごいね」

「だよなー」

「いや、キミが。平気なんだなって」

「ん?まあ……他人だしな。家族が第一発見者にならないことを祈ろうぜ」


 キリルはその場を後にする。城門側とは別の出入口に向かった。

 サイレンの音が聞こえ、キリルは「やべっ」と慌て出す。さっさと逃げたいのに、後ろで探偵が立ち止まっている。


「おい、行かねぇのか」


 キリルと目が合っているにもかかわらず、探偵は動かない。思い悩むような顔でそこにいるだけ。

 気にかけたキリルが穏やかに言う。


「せっかくの日本なんだから、土産でも買いに行こーぜ」


 土産という言葉で探偵はタコ壺を思い出して、なんだか力が抜けてきた。探偵は元の詐欺師みたいな表情に戻り、キリルの隣に立つ。


「……とんだお遊びだ、ウケるよ」

「何言ってんだ?」

「別に。ところで、僕のスマホ知らない?」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ファンタジスタ・キラー・ニンジャ・ブラッド 上野世介 @S2021KHT

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ