あれ、俺の夢ってなんだっけ?(約3600字)

譜久村 火山

第1話

 中村夢はザ・高校生の部屋にあるベッドの上で目を覚ました。冷房の温度設定を低くしすぎたせいで、肌寒い。

 布団から出て、部屋を出ようと立ち上がると、まっさらな勉強机の上にノートが一冊置いてあるが、なんのノートだったか思い出せず、どうせ大したものではないと無視してドアを開け、廊下に出る。そのとき、ふと感じた。

「あれ、俺の夢ってなんだっけ?」


「気をつけ、礼、さようなら」

 という室長で爽やかイケメンかつサッカー部の戸村が声を上げると同時にお辞儀をして、俺は立ち上がり教科書を通学用のカバンに突っ込んだ。

 そこで、後ろから肩を叩かれる。かなり力がこもっていて、痛い。

「おい、今日はちゃんとスパイク持ってきたよな?」

 振り返ると、ゴリラがたいの佐藤がいる。すでに部活行く気まんまんのようで、野球帽をかぶっていた。

「スパイク?」

 俺は訳もわからず聞き返す。すると佐藤が言った。

「おい、今日も忘れたのかよー。試合も近いんだし、ちゃんと用意してこいよ。まぁ、そんなこともあるかと思って、部室に予備置いといてやったから、ほら行くぞ」

 と言って、俺は肩を組まれ佐藤に引っ張られる。何が起きているのか分からないまま、佐藤に引きずられるが、体育館裏にある部室の前に到着してやっと質問できた。

「俺って、野球部だったけ?」

「何寝ぼけたこと言ってんだよ。当たり前だろ?一緒に甲子園に行くのが夢だったじゃないか。四番のお前に、県大会突破はかかってる。期待してるぞ」

 と言われ、俺は思い出した。そうだ、俺の夢は甲子園だ。

 それに気がつくと、視界がパッと明るくなり、同時にホッとして胸が温まってくる。

 今日は不思議な一日だった。昨日まで絶対に叶えたい夢があって、そのために一生懸命努力していた感覚は残っている。しかし、目が覚めたらその夢を忘れてしまったのだ。

 それは、そこ知れぬ恐怖を与えられる出来事だった。

 だからこそ、夢を思い出して安心する。俺は、佐藤に笑顔を向けて、

「そうだよな。よし、甲子園に向けて練習するぞー」

 と声を上げた。

 その瞬間である。

 ドットットッと、誰かが猛スピードでこちらに走ってきた。やって来たのは、軽音楽部の西蓮寺だ。

「おい、今日は新曲の練習するから絶対部活来いって言っただろ」

 そう言って西蓮寺は俺の肩を揺さぶると、そのまま俺を引っ張っていく。何が何だかわからずに、振り返ると、もう佐藤はいなかった。

 

 やがて軽音楽部が使っている、旧体育倉庫にやってきた。倉庫の中に入ると、ドラムの小寺、ベースの小野寺がすでに楽器を構えている。

 そして、西蓮寺が俺をセンターマイクの前まで連れて行った。

「よし、じゃあやるぞ」

 と西蓮寺がギターを構えて言う。だが俺はたまらず、声を上げた。気づけば心の中は再び底知れぬ不安で満ち溢れている。

「ちょっと待って!俺って軽音楽部だったっけ?しかもボーカル?」

 すると、西蓮寺があきれたように返した。

「何言ってんだよ。お前が、バンド作ってメジャーデビューするのが夢なんだとか言って俺らを軽音に誘ったくせに。でも確かに、お前の声があればいつか武道館を人で爆発させるくらいのバンドになれる気がするぜ」

 そこで俺は思い出す。確かに小さい頃から歌うことが大好きだった。3歳の頃の写真には、すでにマイクを握ってノリノリの俺が写っているはずだ。

 そのときにはもう、音楽の力で世界を変えてやるという気持ちしか残っていなかった。野球のことは綺麗すっかり忘れていたのだ。

「よっしゃお前ら、乗ってくぞー」

 と声を上げると同時に、ドラムの小寺がスティックでカウントを始めた。旧体育倉庫内の空気が一気に緊張し、俺たちのボルテージもマックスまで駆け上がる。

 そして訪れる最高の一瞬に向けて、俺がブレスをしたそのときだった。

 ガラガラガラっ!

 と、重い旧体育倉庫の扉が開いた。入って来たのは、鋭い目つきでコック帽と白いエプロンを着た園田先生である。

「中村さん。今日から本格的に包丁捌きを教えると言いましたよね?」

 そう言うと、先生は俺の腕を掴んで旧体育倉庫から引っ張り出しす。せっかく、最高にロックな気分を味わえると思ったのに。

 名残惜しい気持ちを捨てきれずに、旧体育倉庫の中を振り返ると、そこには空気の抜けたサッカーボールが一つ落ちていただけだった。

 

 調理室に入るとすでに、黒板の前の台にまな板が敷かれている。その上には、見るからに新鮮そうな鯖が置かれていた。

 俺は園田先生に睨みつけられるままに手を丁寧に洗い、まな板の前に立つ。そこに、園田先生が当然のように包丁を渡して来た。

 それに違和感を覚えて俺は声を上げる。音楽で掻き消されたはずの不安が、またまた心に巣食っていた。

「ちょっと待ってください。俺って料理部でしたっけ?」

 すると園田先生は、その目つきをいつもの百倍くらい鋭くして言った。

「バカなこと言わないでください。将来ミシュランを取るようなレストランを開くのが夢だと豪語して、私の元に弟子入りしたいと言って来たのはあなたではありませんか」

 園田先生には、世界的にも有名な料理人だったが病気で引退し、たまたまこの高校に赴任して来たのだった。それを聞いた俺はすぐに、料理部を作ってくれと職員室で懇願したのを思い出す。

 そうだった。小学生の頃、お手伝いで家族に振る舞ったカレーを、両親が美味しいと笑顔で食べてくれたことが忘れられなくて、俺は食べた瞬間みんなが笑ってくれるような料理を作るのが夢だったのだ。

 今度こそ、本当の夢を思い出したような気がする。と、自分に言い聞かせた。だって、俺は包丁を持って目の前の食材に全神経を注ぐことにワクワクしているのだ。

 これは、俺の夢が料理人だからだ!俺には夢があるんだ!

 そう叫んだ瞬間だった。

 コトンと、何かが床に落ちた音がする。その方向を見ると、さっきまで園田先生がかぶっていたコック帽が床に立っていた。

 先生の姿は見当たらず、鯖さえも無くなっている。俺は包丁握りしめたまま、立ちすくした。


 家に帰ると、すでに夕食の準備が済んでいた。両親といただきますをする。食事が始まると同時に、俺は父親とパ・リーグの話題で盛り上がり、テレビから流れてくるロックに乗りながら、母親が作った鯖の味噌煮込みを平らげた。

 食事を終えて、部屋に入ると電気を消して、布団に潜り込む。楽しい家族の団欒が終わると、俺はまた不安に苛まれた。

 結局俺の夢はなんだったのか。

 何も分からないまま、目を瞑ると、意識が底なしの暗闇に沈んでいった。

 すると目の前に、室長で爽やかイケメンかつサッカー部の戸村が現れる。あたりを見回すと、校庭のようだ。俺はサッカー部のユニフォームを着て、スパイクを履いている。戸村は俺に持っていたボールを投げて来た。

 それをキャッチすると、そのサッカーボールは穴が空いているようで萎んでしまう。

「いやー、うちのエースはシュートの威力が違うな〜」

 と戸村が笑っている。そこで気がついた。俺は夢を見ているのだ。いくらなんでも、シュートでサッカーボールが潰れることはない。

「さすがバロンドールを取ることが夢だって言いふらしてるだけあるわ」

 と戸村が続ける。バロンドール。世界最高のサッカー選手に与えられる称号。その響きに、馴染みがあった。

「バロンドール」

 そう口に出してみると、なんだか口癖で言っていたような気がした。なるほど、これが夢だったのか。

 やっと思い出せた気がする。俺が目指していたのは、世界最高のサッカー選手だ。

 自然と笑みが溢れた。やっと夢を思い出せた嬉しさで、つぶれたボールを天高く蹴り飛ばす。

「よしっ戸村!練習再開だ」

 そうやって俺は声を出した瞬間、部屋の天井が視界に飛び込んできた。夢が覚めたのである。

 夢を思い出すことに必死になっていたせいで、また冷房の温度変更を忘れてしまった。しかしその肌寒さすらも俺を祝福しているように感じる。俺は夢の中で夢を思い出した。もう絶対に忘れない。不安も消え去った。後は、真っ直ぐ歩くだけだ。

 そうやって自分の胸を強く叩き、布団から出て立ち上がると、勉強机の上に一冊のノートがある。あれっ、これって何のノートだったけと思いながら、それを手に取った。そしてそのまま、中を開く。

 すると1ページ目に、太いペンで書き殴られた俺の字がある。

「どんな人でも夢を持っている、思い出せないだけで」

 と書かれていた。次のページは白紙である。さらにもう一枚捲っても、何も書かれていない。そうやってパラパラとページを進めていくと、最後のページに再び文字が現れた。

「大事なのは、いつか夢を思い出せると信じて、今その瞬間を全力で生きること!」

 なるほどね。我ながら良い言葉じゃないか、ふんっと鼻を鳴らしながらノートを置き、でも俺はもう夢を思い出したんだと胸を張ってドアを開ける。

 そして部屋を一歩踏み出したそのときだった。

「あれ、俺の夢って何だっけ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あれ、俺の夢ってなんだっけ?(約3600字) 譜久村 火山 @kazan-hukumura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ