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 見ていると長くのびているように思えた通りも、数分で歩き切った。

 ──そう、何事もなく奥まで辿り着いてしまったのだ。

 何事もない方が良いんだけれど……通りの中に引き摺り込まれると聞いていたから、道中何かが起こってもおかしくないと覚悟していたのだが、意外だった。特に怪しい気配も無かった……気がする。

 そう思いながら後ろを振り返った拓人は、──え、と固まってしまった。

 黒い壁があるようだった。

 いつの間にかそこに、どよんと濃い闇がうずまっている。比喩ではなく、文字通りの意味で。

 そもそもよく考えれば、全く光の気もないのはおかしかった。隧道トンネルや洞窟と違って天井が塞がれている訳ではないのだから。つまるところ何事もない状態というのは既に成り立っていない訳で──。

 ……拓人は後ろを振り返るのをめた。

 大丈夫、そんなに危険じゃない筈だから大丈夫。

 そして藤邑さんがそうしているように視線を前へと向けると、


「……うわぁ……」


 広い通りに突き当たっていた。

 横にのびる茶の石畳に、通りを挟んで建ち並ぶカラフルな家々。住居らしきものからお店まであるようだ。

 そこを、多くの人が歩いている。

 いや、恐らく人だ。なにせ皆一様にボロ切れのような黒布を身に纏い、フードを目深に、素顔が見えない。ゆっくりと、何処を見て進んでいるのか分からぬ様は、何というか、生気が無かった。

 こんなものを目にするのはあり得ない。だって、建物の密集地なのだから。

 ああ、『断章』の世界だ、と実感した。

 この景色そのものが『断章』。

『ここ』は朝、あるいは昼だろうか?

 藤邑さんは黙って街並みを眺めていたが、静かに通りへと踏み出した。拓人もその後についていく。

 黒い人達が歩むのと同じ方向へ。

 その歩調に合わせるように、こちらの動きもゆっくりになる。急に襲ってきたらどうしようと一抹の不安もあったが、自分達に気付いていないように、誰も見向きもしない。──しかし、こうして同じ中にいると、その奇妙さが際立ってきた。

 彼あるいは彼女らは、全く足音がしない。纏う黒布を引き摺る衣擦れ音さえ微かでも聞こえないのは、異様である。

 そして皆同じ向き。これだけの綺麗なお店が並んでいるのに、一人も見もしない。入る者もいない。

 何より──それらは皆背丈が同じなのだ。

 僅かの差もない。百六十四の拓人よりも高いが、百八十台の藤邑さんよりやや低いくらい。ぴったりと、皆、そうだ。

 見れば見る程、不気味さが露わになってきて、藤邑さんから離れないようにしようと拓人は固く決めた。

 藤邑さんは、歩きながら連なる店の方を見遣っていた。

 拓人も見てみると、窓硝子  ガラスの大きい店が多く、店内の様子を覗けた。……何処もかしこも明かりは点いているのに、店員と思しき姿はない。そして誰も入らぬように、客の姿もない。

 此処はいったい……。

「……何処か適当に入ってみようか」

 藤邑さんが言った。通りは何処までも続いていて、それに沿うように、無言の歩行も続いている。このまま膠着こうちゃくした状態では埒が明かないのは明白だった。

 手近の店の、奥まった所にある木製のドアの前に藤邑さんが歩いていく。そして──


 ノック、


 直後。


 ──ザッ!


 と通りを歩く皆が一斉にこちらを向いた。

「うわ」

「わッ!」

 思わず藤邑さんの服を掴む拓人。

 未だに顔は見えないが、フードの向きや体勢からしてこちらを見ているのははっきり感じた。

 しかも、ザ、ザ、ザ、と一糸乱れぬ動きでこちらに迫り始める。

「わ、わ、わ、」

 半ばパニックになる拓人の前で、藤邑さんはドアを押し開けていた。

 問答無用で踏み込む彼に続いて、拓人も飛び込む。直ぐ様閉めるドア。

 バタン、と音を立てる向こうで間近に迫る黒の集団が見えた。何かでドアを塞ぐべきか!? ──しかしドアが閉まった途端、集団はくるりと身を翻した。

「……」

 興味が失せたかのように、一人残らず通りの方へと戻って行く。この店の周囲を取り囲む……という訳でもなさそうだった。

 団結した動きも消えている。

 中までは入って来ないみたいだ……。

 息を潜めて、店内の硝子ガラス越しに集団を注視していた拓人は、盛大に安堵の息を吐いた。

 良かった……捕まってたらどうなってたことだろう……。

 いや藤邑さんがいるからよっぽどの危険は起こり得ないけれど……。

 気持ちを落ち着けて顔を上げる拓人の横で、藤邑さんは店内を見回していた。

「……」

 カラフルでファンシーな内装と、温かみのある明かり。外観の印象よりも中は広い。

 店いっぱいに甘い香りが漂っていた。

 ……お菓子屋さんかな?

 しかし──店内の何処にも店員の姿はないばかりか、人の気配もしないのだ。

 今更だけど中に入って良かったのだろうか……。

 そんな疑問もよぎるが、明らかに誰もおらず誰も来ない事実と営業中をあらわす様子のちぐはぐさに、気味悪さの方が取ってかわる。

 ……もしかすると甘い匂いも何かの罠かも。

 だが、此処からどうすればいいのだろう。この店を出たらまた通りの集団に襲われるのだろうか……。

「──それと分かる営業状態、なのに商品が一つも無い店、か」

 腕を組む藤邑さんの、明瞭な呟き。外には気を払っていないらしい。

「通りの先の洋風な街並み、同じ姿形の集団、予測のできない動きと何より自分達以外の人間は存在しない……『だれもいないみたいだね』『他のお店も見てみようよ』『さっきのヤツらにおそわれるかも』……うん、はそう言ったんだ。あー、やっぱりそうか」

「……藤邑さん、もしかして『断章』の予測ついてる?」

「まあ、大体は」

「……マジですか……」

 この人の記憶力はどうなってるんだろう、と思う。

 そもそも、藤邑さんは依頼人から話を聞く段階である程度『断章』の正体を絞り込むらしい。


 藤邑さんは、「」と呼ばれる者の一人だ。


『断章』を回収出来るのは読み手のみ。

 回収に必要なのが、断章の特定だ。

「そうだね……『冬銀河ふゆぎんが三丁目冒険団 ぼくらと秘密の箱』、の、第2巻第2篇『魔法使いの集落』、かな?」

 次の瞬間、ぐにゃりと空間が歪んだ。



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境の向こうの古書奇譚 虚城ハル @Utsushiro_hr

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