毒マカロン
秋冬遥夏
毒マカロン
これ、甘すぎ。そう不満をこぼして、彼女はストローを吸う。中身はさくらフラペチーノ。確か昨日はカフェオレを飲んでは、苦すぎると言っていた。
「この紙製ストローもキモい」
「わかる、まずコップを紙にしろよな」
「それなあ、ぜんぜんプラスチック削減できてない」
これではなにも解決しない。プラスチック問題も、フードロスも、二酸化炭素も、僕らの問題もなくなりはしない。それなのに人類は口だけは「なくそう」と目標を掲げているから面白い。
「みんな、バカだよな」
「どうして?」
「だって、大手チェーン店のカフェがこんなミスを犯すんだよ。会社で誰も指摘しなかったのかな。コップも紙にしましょうって」
性格の悪い僕の話と、それを楽しそうに聞く彼女。そんな僕たちも教室では「すみっこぐらし」をしている。誰とも話さず、授業では指されることに怯え、弁当は音楽室や駐輪場で食べる。そして帰宅部らしく、そそくさと帰り、このカフェに集うのだ。
「あと、持久走ウザすぎ」
「まじそれな」
「なにが理由で、私がこんなに走らなきゃならないわけ。汗かくし、次の授業寝ちゃうし、やる意味がない。そもそも――」
どうやら彼女は持久走が本当に嫌らしい。この持久走が不必要な理由も、もう何度も聞いている。
「なんかうちの中学は、マラソン大会なくなったらしいの」
「へえ」
「校外を走らせるのが危険だからだって。おんなじような理由で、鉄棒とか跳び箱、運動会の組体操もなくなってる。私たちは無駄にやらされてたのに」
「確かになあ」
考えてみれば、なんでやってたんだろう。棒を使って回ったり、箱を飛んだり。パルクールじゃないんだから。あと、体操は組まないに越したことないだろ。
「そういうの、はじめにやろうって言ったやつ誰なんだろうな」
「それめっちゃ思う」
こうして放課後に彼女と愚痴をこぼす。ちなみに僕らは付き合っているとか、友達だとか、そういう仲ではない。ただ悪口を言い合うだけの関係だ。
きっかけは、僕の裏アカがクラスにバレたことだった。教師やクラスメイトの悪口を書いていたそれは、すぐに広まった。数少ない友達をなくし、案の定、孤立した。そんな中、唯一話しかけてきたのが彼女だった。
「ねえ、あんた。かわいそうね」
「んだよ、同情しに来たのか」
「さあ、わかんない」
思えばそのとき、はじめて彼女の声をしっかりと聞いた。いつも窓側の席に座って、外の景色を見てるだけのお嬢さま。生徒はおろか、教師も話しかけづらいオーラを放っていた彼女が、自分から話しかけに来るなんて、珍しいことだった。
「これからお茶しない? 気が合うと思うんだけど、私たち」
「まあ、いいけど、なんで?」
「いいから、いいから」
その後、強引にこのカフェに連れてこられたのがはじまりで、それからもなんとなく関係が続いている。結局のところ、彼女の言う通り、気が合ったのだろう。
「マカロンって、小さいのになんでこんな高いんだろ。マカロン税でもかけられてんの?」
あの日、カフェに入った彼女の第一声はそれだった。びっくりしたが「窓辺のお嬢さま」にも人間らしい部分があって安心した。
「それな、値段設定まちがってる。これ二個でラーメン一杯食えるなんておかしい」
「ふふ、日高屋だったら二杯食べれるよ」
彼女は楽しそうに笑って、飲み物とマカロンを頼んだ。大事だからもう一度言うが、彼女はマカロンを頼んだのだ。散々けなしたそれを持って席に向かう彼女は、ミステリアスな魅力をまとっていた。
「私、カフェでバイトしてる人、信用できないんだよね」
「あー、わかる。特にスタバね」
「そう、スタバでバイトする奴、ろくな奴じゃないもん」
確か同じクラスの椎名は、スタバでバイトしてるらしいが、うるさいだけで面白くないから僕も嫌いだ。まあ、クラスに好きな人なんていないけど。
「そういう七瀬さんは、バイトしてるの?」
「うん」
「なにしてるの?」
「カフェ店員」
なんなんだ、こいつ。頭おかしいのか。どういうつもりで、さっきカフェ店員ディスってたんだ。
「やっぱりマカロン、コスパ悪いわ」
そう言って七瀬さんは、マカロンをかじる。彼女のヤバさが段々とわかってきた。
「マカロン、ひとついる?」
「いいの?」
「うん」
でも、僕は七瀬さんが嫌いじゃなかった。上辺だけで「マカロンかわいい、食べたーい」という女子よりよっぽど信頼できた。かじったマカロンは、甘酸っぱくて、中身がなくて、季節みたいだ。
「自分はアフタヌーンティーもコスパ悪いと思う」
「そうね、あれも謎に高い。あとはコスパとかじゃないけど、なんとなくでチーズバーガー頼む人、バカだと思う」
「どうゆうこと?」
「いちばん安いのはハンバーガーなのよ。私はそれで満足できるの」
「うん」
「それに薄いチーズが入って、30円値段が上がるのがチーズバーガー。でもなんとなくで、みんなチーズバーガー買うでしょ」
確かになあ。みんな流れで30円のチーズを買わされてるってことか。
「それで言うと、きつねうどんとか、おろしポン酢牛丼とかも、ひどいんじゃね?」
「あー、そうかも」
「大根おろしとポン酢に100円以上払うことになる」
「やば、コスパわる」
その日は、それからもコスパの悪い話題で盛り上がった。僕らふたりが集まると、嫌なことしか言わない。それが妙に心地いいのだった。
いつか彼女に、誕生日プレゼントを渡したことがあった。別に変な意味はない。ただほとんど毎日と会っていたから、なんとなく渡したのだ。
「なにこれ?」
「リップ、これから冬になるから」
「あ、佐伯くん。ミスったね」
「え?」
彼女によると、どうやら色付きのリップはプレゼントに向かないらしい。やはり似合う色とか、好きな色があるから、安易に色付きをプレゼントしてはいけなかったみたいだ。
「なるほど、じゃあ何がよかったんだろう。マフラーとか?」
「マフラー、手ぶくろあたりは、恋人みたいでキモい」
「ハンドクリームは?」
「うーん、いいけど。香りもこだわってる子はこだわってるからなあ」
難しすぎる。ただ、気に入らないプレゼントを笑顔で受け取る女子よりは、七瀬さんは正直でいい人だと思う。
「正解はわかんないけど、その人のアイデンティティに影響しないものがいい気がする。香水とか、洋服とかは危険だよね」
「じゃあ、七瀬さんはなにが欲しかった?」
「うーん、いまはシャンプーハットかな」
いや、当てられるか。あと、シャンプーハットくらい自分で買えよ。
「それより、なんで私の誕生日知ってるの?」
「まあ、この前言ってたから」
「そう、ちょっとキモいけど、ありがと」
相変わらず棘はあったけど、はじめて感謝をされた。やっぱり、口が悪いだけで彼女はいい人なのかもしれない。きっとそうだ。
「でも、プレゼント問題は少し、男子が不憫だと思う」
「と、いうと?」
「だって、男子は女子から何か貰えたらなんでも喜ぶじゃん。女子はブルべ、イエベとか気にするし、なんといってもアイテム数が多い」
確かに、そう考えるとフェアじゃない。他人事じゃないのかもしれないが、世の男子はかわいそうだ。そして、来年は事前に欲しいものを聞くと決めた。さすがに自分で考えて、シャンプーハットには辿りつかない。
翌日、チーズケーキを食べる彼女の口元が色づいていた。
「リップ、使ってるんだ」
「うん、せっかく貰ったから。文句ある?」
「いや、べつに」
嬉しかった。彼女は、マスクで口元を見せる機会なんてないから、と言っていたが、それでも嬉しかった。そう思うと、僕は自分が思っているより、七瀬さんを気に入っているのかもしれない。
「ねえ、進路希望書かいた?」
「いや、まだ」
「私もまだ。てか、3年になってからでいいよね。こんなの書けるわけない」
それはそうだ。僕らの高校はいわゆる自称進学校というやつで、いつだって進路の圧だけはかけてくる。そのくせ進路指導室の対応は雑だ。
「いま進路決まってるのなんて、予備校行ってる奴だけだろ」
「ふふ、それね」
「そして、予備校行けるのは金持ちだけ。高校受験のとき、塾に入ろうと思ったけど、とても払える値段じゃなかったのを覚えてる」
中学の時までは僕も勉強ができた。サッカー部に入り、生徒会を務めた。しかし、井の中の蛙に変わりない。高校に入ったら、自分より優秀な人はたくさんいて、いつの間にか言い訳だけが取り柄の帰宅部になってしまった。
「大学いけるかな」
「行けるでしょ、選ばなきゃ」
ちなみに七瀬さんは頭だけはいい。定期テストでも、いつも高い順位をキープしている。僕はいつから、間違えて、落ちぶれてしまったのか。比べたら情けない気持ちになるから止めた。
「進路室に資料見に行きたいけど、進路担当の先生嫌いだから悩む」
「わかる、長田でしょ」
「そう! あの先生、成績いい子だけ贔屓するから嫌い」
「まじそれな、殺したくなる」
そもそも「教師」と言うと聞こえはいいが、結局のところ「人の上に立ってものを教えたいひと」なのだ。大した人間じゃないことに、最近気づいてきた。
「いい先生なんていないよな」
「いるわけないでしょ」
乾いた声で笑う彼女は、かわいかった。
基本的に、七瀬さんとの仲が深まったことは良いことだったが、ひとつ問題もあった。それは、学校での関わり方だ。放課後一緒に過ごしてるとは、お互い思われたくないため、教室ではひと言も話さない。
「じゃあこの問題を……七瀬さん、わかるかな」
「はい」
ただ、こうして、たまに先生が彼女を指したりすると、なんとなく落ち着かない。
「えっと、in whichです」
「正解、さすが七瀬さん。すごいわね」
ちなみにこの上品ぶったエコ贔屓野郎が、僕らの嫌いな長田だ。授業でも出来のいい子しか指さず、僕みたいな落ちこぼれには目もくれない。
「みんなも七瀬さんを見習ってください」
はい、でた。出来のいい子を引き合いに出して、僕らを落とす構文。これのせいで、自分がとても惨めな存在に思える。あー、いらつく。頼むから夫に不倫とかされてて欲しい。それか一生シャンプーの泡立ちが悪くなればいい。
七瀬さんも同じように思っているだろうか。窓際の席に座る彼女。ずっと見ていると、たまに目が合う。そして嫌な顔をされる。これが、かなり心に刺さったりする。
その日も、放課後は彼女と過ごした。
「ねえ、なんで学校で見てくるの」
「え」
なんで、と改めて聞かれると難しい。少し前は全く気にならなかったのに。いまは気になる。授業中も、休み時間も、なんか気になる。
「ごめん、わかんない」
「そう」
彼女は怒ってるみたいだった。ソイラテが喉を通らない。
「あの、ごめん」
「別に怒ってないから、謝んなくていい」
こういう時の「怒ってない」が怒ってないときを、僕は知らない。これは優しい救いのように見えて、謝るという最後の逃げ道を潰す、意地の悪い攻撃なのだ。
しかし、その攻撃を見切っているはずなのに、避けられない。彼女の言葉は、直球ど真ん中で、喰らう。難しい言葉で誤魔化さないで言えば、恋に落ちたみたいだ。親も先生も、勉強も、将来の自分も、なにもかも嫌いだった僕が、彼女だけは好きになってしまった。
「私、もう行くね」
「うん、なんか予定あるの?」
「本屋行こうと思って」
彼女は冷めたコーヒーを一気に飲んで、すぐに店を出た。嫌な予感がした。行ってしまったら、帰ってこない気がした。マカロンから始まった、素敵で毒々しい関係が終わってしまうようだった。
「待って」
なんて声は、届かない。あー、もう。好きにならなかったら、こんなに辛くないのに。全てが嫌いだったら、わかりやすかったのに。それでも、好きになってしまった。青春の罠にかかってしまった。なら、僕がいまできることはひとつだ。
味のしないソイラテを残して、七瀬さんを追いかけた。彼女のいる本屋は、大体予想がつく。きっと、あそこだ。いつか一緒に英検の参考書を買いに行った、あの本屋だろう。
「ねえ、あんたも英検受けたら?」
2級のテキストを手に取って彼女は言った。
「僕はいいよ、受からないから」
「そう」
いま思えば、あのとき彼女は、一緒に勉強を頑張りたかったのかもしれない。でも変なプライドが邪魔して、僕は逃げてしまった。彼女と不釣り合いだと突き付けられるのが、怖かったのだ。
「なんか、本屋って落ち着かないな」
「なんで?」
「こうして本に囲まれてると、自分が知識のあるやつだと思い込む。ほら、そこのおばさんも、サラリーマンも、大学生も、本屋にいるやつは自分に酔ってる」
「たしかに、言われてみれば。読書が好きなんじゃなくて、読書をしている自分がみんな好きなのかもしれない」
本屋でばったり知人と会った時とか、本当に地獄だ。知識に酔った人間同士の背伸びした会話ほど、見てられないものはない。ちなみに男のする映画の話とかもそう。死ぬほどつまらないから、やめたほうがいい。
「なにを買われるんですか」
「ええ、今回の芥川賞作品が気になりまして。そちらはなにを」
「湊かなえ先生の新作を」
「いいですね、湊かなえさん良く読まれるんですか」
なんだこの会話、気持ちわる。小説を自分のステイタスにしてるんだ。こういう人が恋愛小説だけの知識で、他人の恋愛相談に乗ったりする。
「私も本好きなひと嫌い」
「そっか、よかった。僕だけかと思った」
「文芸部のやつとかマジで無理。E組の朝倉とかキモすぎ。なんか賞取ってたけど」
「わかる」
たしか、秋冬遥夏だっけ。もうペンネームがキモいんだよな。春だけないペンネームの何がいいんだよ。そもそも小説を書こうと思うやつなんて、なにか間違ってるに違いない。
着いた、本屋に。走りながら、過去を振り返ったが、どのシーンも嫌なことを言い合っていた。それがふたりの世界で、大切なものなのだ。でも、もし次に会えたら「好き」と言いたい。ピュアな気持ちを伝えてみたい。
本屋は言葉にあふれている。それらを縫って、彼女を探す。『羅生門』をくぐったら『藪の中』。『走れメロス』の横を走り『猫を抱いて像と泳ぐ』、一緒に『52ヘルツのクジラたち』も泳いでくれる。『一瞬の風になれ』ないとき『ボクたちはみんな大人になれなかった』ことに気づく。
足下に『火花』が散る。七瀬さんだけには『嫌われる勇気』がでない。好かれたいと思ってしかたない。また『君の話』が聞きたい。すべてを傷つけるナイフのような会話を、甘い放課後にしたい。
言葉が繋ぐそれは、彼女までの『美しい距離』を描いて、導いてくれる。『青くて痛くて脆い』体を引きずって『おまえなんかに会いたくない』と真逆の気持ちを口に出す。『しあわせ4コマレシピ』で幸せになって『キッチン』で――ふたり、倒れた。いつものカフェのはしっこで、気絶していた。
病院のベッドで目が覚め、医者が駆けつけてれる。
「これは典型的な、マカロドトキシンの中毒症状です」
「まかろどときしん、ですか?」
「はい、マカロンに含まれる強い神経毒です。ゆっくりと体に回り、恋に落ちたような幻覚作用が起こるものです。最悪の場合、死に至ります」
「……えっと、彼女は?」
「大丈夫です。ふたりとも完全に解毒しましたから」
それだけ会話をして、先生はすぐに部屋を出ていった。忙しいとはいえ、さすがに対応が雑すぎる。教師といい、医者といい「先生」と呼ばれる人に、いい人はいないことを再確認した。
その後、親に頼んで『進化系スイーツ図鑑』を買ってきてもらい、ベッドで読んだ。そこには「お菓子の進化」について詳しく書かれていた。
例えばそれは、キリンの首が長くなったり、ゾウの鼻が伸びたりしたのとおんなじで。この世で生き残るために、かき氷がふわふわになったり、カヌレがカラフルになったりしている、とのことである。それが女子高生の言う「映え」の正体だ。
つまり、すべてのはじまりは突然変異である。ペンギンが泳げるようになったのも、アリクイの舌が伸びたのも、たった一匹が突然変異を起こしたことから始まった。そんな突然変異が近年、お菓子にも多く見られ、進化に繋がっている、らしい。
伸びるチーズケーキ、フルーツ大福、ショートケーキ缶、飲むわらび餅……それぞれカラフルになったり、既存のものと掛け合わさったりと独自の進化を遂げている。
その中で、マカロンは絶滅危惧種だ。もとからカラフルで、大きくなろうにも、限界があるそれは、進化の幅が少なかった。一時期「トゥンカロン」という名前で少し映えてみたが、弱かった。
そんな小さくて弱い生き物が、最終的に行き着く進化。それが「毒」だ。毛虫やカエル、キノコなども、生き残るために毒で自分を守っている。スイーツも稀に、突然変異で毒を有した個体が生まれるという。しかしおかしい、他のスイーツは「食べられる」ために映えてるのに、毒を持ってしまっては、食べられないではないか。なんとも不思議な進化を辿っている。
「秋本さん、秋本颯さん、2番診察室にお入りください」
遠くの方で看護師の声が聞こえる。病院は静かだった。
✿❀✿❀✿
長田は今日も贔屓気味に授業を進める。
「じゃあ、ここの言い換えを七瀬さん」
「はい、the momentです」
「そうです、すばらしい」
あれからというもの、七瀬さんとの関係はなくなった。授業中に彼女が気になることも、放課後に愚痴を言い合うことも、もうないのだ。
「佐伯くん、なにぼーっとしてるの」
「いえ、すみません」
「授業に集中しなさい」
英語の先生特有の声の高さが、嫌に染みる。本当にいらつく。完全犯罪の方法が思いついたら、いつか殺したいと思う。
「as soon asとthe momentはどちらも、〜するとすぐに、という意味で言い換えが可能です。じゃあ次の問題いきます」
授業なんてどうでもよかった。七瀬さんと育んだ甘酸っぱい感情が、すべて毒によるものということが飲み込めなかった。胃に詰まった苦いものを吐き出して、代わりに甘いものを詰める。確かにあの瞬間は楽しかったように思う。
「私、自分がいちばん嫌い」
彼女がそんなことを言ったときがあった。
「わかる」
「基本的になにもかも嫌いだけど、そんな自分がいちばん気持ち悪い」
僕もおんなじだ。まわりに厳しい分、その反動が自分に返ってくる。結局は、自業自得なふたりなのだ。ならいっそ「好き」に目を向けてみてもいいかもしれない。
「あの、七瀬さん」
「うん」
「好きなものってある?」
彼女は予想以上に慌て、顔が赤くなる。とても理解できた。僕たちはずっと「嫌い」という殻を被っていたのだ。それはウニの棘みたいなもの。
「わかんない」
「そうだよね、ごめん」
「わかんないけど、佐伯くんは嫌いじゃない」
カフェのいつもの席、彼女は好きとはいわなかった。手が震えて、毛穴から汗が出るのを感じる。
「嫌いじゃないから、嫌い」
「そっか」
それ以上聞かなかったが、いま思うと、あれは精いっぱいの告白だったのかもしれない。僕らは面倒な人だ。ひと言でいうと、ひと言で言えなかったり。正直にいうと、正直に言えない。そんな人間だ。
あのとき「僕は七瀬さんのこと好きだよ」とストレートに言えていれば、今日の放課後も一緒に過ごしていたのかもしれない。
しかしそれらも全て毒の仕業なのだ。毒マカロンに魅せられた、嘘の恋心。きっと、お酒に酔って交わすキスと変わらない。授業終了を告げるチャイムが、やけにうるさかった。
放課後、リップを買った薬局を通りすぎ、七瀬さんと歩いた道を行く。遠くの方にハンバーガー屋の看板が見える。彼女に会ってから、チーズバーガーは頼まなくなった。
僕の行き着く場所。それはもちろんカフェだ。いまでもたまに、なんとなく足を運んでしまう。
「ご注文お決まりでしたら、どうぞ」
「えっと、これをひとつ」
「さくら咲くフラペチーノですね。以上でよろしいでしょうか」
「はい」
もう新作は、桜の時期だった。思えば、あれから一年経っていた。たぶん季節限定のフレーバーは、ほとんど彼女と飲んだ。夏のぶどうも、秋のモンブランも、バレンタインのショコラも。
「お待たせいたしました。こちら、さくら咲くフラペチーノです」
「ありがとうございます」
いつか信用できないと言ったカフェ店員に、軽く会釈をして、席に向かった。あのときはごめんなさい、尖ってたんです。
紙ストローから、七瀬さんの味がする。これがいちばんの毒だった。四季が変わり、カフェに足を運ぶたびに、彼女を思い出す。ある種の呪いをかけられた気分だ。
「マカロン、ひとついる?」
「いいの?」
「うん」
あの頃の会話がよみがえる。そういえば今日も、ショーウィンドウにはマカロンがあった。あのときと違うのは「※この商品にはマカロドトキシンが含まれています」という表記が増えたことだ。
研究が進み、マカロンの毒には、タバコのニコチンやアルコールのような依存性があることがわかった。人を依存させることで、生き残る道を選んだのだ。結果マカロンは「スイーツアワード2041」で人気ランキング3位と、順位を着実にあげている。
そうだ、マカロンの裏で僕も、少しだけ成長したことがある。進路希望書を長田に提出したのだ。希望は薬学部。いつかお菓子に含まれる毒を使いこなして、「薬」が作れたらと思う。
「ねえ」
フラペチーノを飲んでいると、ふと、聞き馴染みのある声がした。顔をあげると、そこには七瀬さんが、さくらフラペチーノを持っている。幻覚じゃない、本物の彼女だ。
「あの、一緒にお茶していい? 毒とか関係なく、やっぱり私たち、気が合うと思うの」
「そっか、奇遇だな。自分もいま、そう考えてた」
毒マカロン 秋冬遥夏 @harukakanata0606
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