Part4-2
◇
「
セントラルタワーの従業員用階段を登りながら、兆治の問いかけを
沢山いた黒服たちはついて来ず、ここには
あの黒服たちは人間であるかも怪しいなとすら思う。感じた気配が人というより
超常的な怪物のように感じていたが、そもそも
「……あんたらが人間の正解を作ろうとして違法な人工心理作成に手を出してたとか、
「成る程。多少のニュアンスの違いはあるようだが、大体僕たちが
製造者とはいえ、まるで彼女をモノとして扱うような喋り方に反感を覚える。
けれど、今は情報を聞き出す方が先決だ。
「込み入った話なので、
とりあえず聞いてみようか。一番大事な部分は何かい?」
「……俺の右目は、今あっちの世界が見えるようになってる。
そこで氷漬けになった街と
「オーケー。そこは僕たちにとっても今の本題だ。それじゃあそこを最後にしようか」
「親父……!」
巫山戯られたかのようで、怒りが速攻で充満する。
思わず拳を握ったところで、
「落ち着こう──?」
「……悪い。前提説明が必要だっていうんなら順を追ってくれ」
息を吸う。
「そうだねえ……まず、幻奏劇場の存在を何故
「……そりゃ、
シンプルに考えた答えに対し、兆治は首を横に振る。
「危険というだけなら高圧電流が流れる変電所でも、落ちたら溺れ死ぬような巨大なダムでも同じことさ。
科学も技術も公開されることが次に繋がり世界を拓いていくんだから、誰もが使えるテクノロジーが秘される意味はないじゃないかと、
「けれどあの場所の存在は秘されている。一般市民どころか政府にすらバレないように隠してある。
その理由は単純だ。……悪用できるんだよ、幻奏劇場は」
集合的無意識へ通じる
それは一種の征服行為。人の内面に侵略するのは誰もが悪だと断じるもので、許される道理がどこにもない。
「勿論、
けれど集合的無意識へのアクセス技術を通じて拾い集められる人間の思考活動データは金銭的にも科学的にもあまりにも莫大な価値を生み出す。捨てるのはあまりに勿体無い。……とまあ、そんな考えがあったんだろうね。二十年前、
階段に備え付けられた窓からセントラルタワーの外が見える。
位相が少しずれた場所にあんな領域が存在するとは知らない人たちが住む街が。
「そしてこの海上都市が完成してから十数年間、情報が外部に漏れることもなく、何か事件が起きることもなく動いていたんだけどね?
発生しちゃった訳なのさ、異常事態が」
「その話は
「若干認識にズレがあるっぽいけれど、そういうことになるね。
超大型の
「そして、集団感覚喪失事件が発生した」
「なん……だって……?」
さらりと告げられたその事実に、
一年前、多くの死者と数万名の被害者を出した大惨劇。
「理論上、幻奏劇場の側から表側のオメガフロートに干渉は出来るって言ったよね?
発生した超大型……僕たちが
記憶、感性、身体機能、未来への展望……そういった人間が有する概念が幻奏劇場に引き込まれ失われていってね。
その中でもすぐさま問題を引き起こす欠落が引き起こしたのが、あの集団感覚喪失事件だ」
「解ってたんなら、どうして今まで黙って……!」
「問い返すけど、言えると思うかい?」
「………」
沈黙する。
スポンサー会社の後ろ暗い部分と説明しても信じてもらえないような原因。数千人の被害者と取りようがない責任。これらを抱えて出来るなにかを答えられるなら、そいつは短慮か後始末の天才だ。
「当時は集団感覚喪失事件に伴って失踪した先代所長の後を引き継いだばかりだったし、
けれど、人工心理研究所としてなら出来ることはあった」
それがこれだよ、と、兆治は
「人工心理研究所が作成していた人工心理体。
調整途中だった
つまり、部分的に幻奏劇場のルールを支配上書きする力だ。
その力が及ぶ範囲が彼女の手元だけではなく、それ以上になったとすれば。
「理論上、彼女の有する
そうなれば、一年前のあの日に幻奏劇場に取り込まれて失われたものを、元の持ち主へと返すことだって出来るはずだ。
そう考えて、彼女を成長させる為の取り組みをいろいろやってきたんだけどね」
可能性の塊である
人としての心の成長に必要なものはなんでも潤沢に与えて来たのだろう。直接的な人とのふれあいだけを除いて。
「だから驚いたんだよね。閉鎖されていたはずの幻奏劇場に突如生きた人間が迷い込んで、
それが昨日の話だった。
自分の絡むことを話題に出され、
「僕の方も所員からかなり突き上げを食らったんだぞう。記録映像を見ながらあれ所長の息子さんですよねと視線を向けられる体験はちょっとぞわぞわしちゃったね……」
人工心理研究所。
階層のドアに記された案内が、目的地到着を告げていた。
「それはさておき、
製造用の機材が壊れて再設計が困難な上に、集団感覚喪失事件の解決を託しているのだから、消えられたら困ってしまう」
扉を開き、廊下を歩く。
清潔そうな空間はしかし、謎の閉塞感に満ちていて。
「なので、研究所の機材を使って存在率の賦活を行なったのだけど、壊れかけの機材を使ったせいでやりすぎてしまってね。
幻奏劇場は実体を持つ夢の世界であり、それは存在率が低いだけの実在世界である。
その夢の中からも消えようとしていた少女の存在を活性化させれば、それは存在率が高い現実にだって出てこれる。
「偶発的な事態だったが、けれど僕たちはこれをチャンスだと捉えたんだね。
だったら、せっかく出来た知り合いと触れ合ってもらうことで人間的成長を促してみれないかと、そう思ったのさ」
「…………」
自分達と絡ませるために預けられたという
「ただ、考えが甘かったね。未完成の
偶像の歌姫。理想の少女。人間の正解。それと触れ合うことで、間違える存在である人間が何を思うか。
嫉妬、憎しみ、逆恨み、言葉で解体するのは野暮な乙女のイマジナリ。
その結実が──これだよ」
扉を開く。
正面の壁には一面を埋める大きなスクリーンがあり、ある映像が映し出されていた。
氷漬けになったオメガフロート。その中心に聳える巨大な城。
透き通る城の中央テラスの上で、佇む小さな人影があった。
浅葱色の髪をなびかせて、この氷原世界を慈しむように笑むそれは、
「
「幻奏劇場の存在率、以前として上昇中!」
「アライブゲージライン到達まで三時間半と推測されます!」
「次元変動が
「空間にエンチャントされたロジックコードの分析、上手く行きません!」
モニタに向き合う研究所員たちが、慌てた声で情報を叫ぶ。
それを受けた兆治は軽く頷いて、そして
「
いや、この表現だと語弊があるな。
あの子は、自らの意思力だけであの空間を完全に支配下に置いている」
あの王城だけではなかったのか。
オメガフロートの裏側に広がる世界の全てが、既に彼女の世界だった。
「
なので理論上は幻奏劇場内なら普通の人間でも展開可能だし、そこから空間そのものを支配することだって不可能ではない。
……全く、予想外とかそんな言葉で済ませていいようなことじゃないね。乙女の抑圧パワー恐るべし、彼女は全く冗談抜きで、単体個人でこのオメガフロートの全住人の深層心理を凌駕している。信じられない意志力だ。
集合的無意識で作られているはずの空間が、完全に彼女一人の心の世界に変わっている」
そして、
「その意思力の強さは劇場内部では収まらない。
現実世界に溢れ出し、広がり、覆い尽くして行き渡る。
そして彼女の心の中が、世界全てに塗り替わる」
世界の果てまで意思を行き渡らせる超越存在。
ありとあらゆる全ての人の営みを使ってたった一つの夢を見るもの。
それを人は遥か昔からこう呼んだはずだ。
神。
「現実を書き換えていくのは人間という種族の基本性能だけど、単一個体でそれを成し遂げるのは最早人類の次の段階の進化かもね。
ただ、今この世界で生きている人間としては、彼女に世界を明け渡すのは困るんだよね。
そういう訳で、命令だよ
新しく発生しようとしている
「テッ……メエ!!」
父親が
「パピーに対して随分と乱暴だね
反射的に繰り出した右拳は、しかし簡単に受け止められて。
「ここまでのことを話したのは、巻き込んだお詫びと、理解を得るための説明と、そしてついでに身内の情。つまりは完全な親切で、そのお礼にさっくり納得してはくれないかなあ?」
ふざけるなと怒りが燃える。
この父親がいうことは完全に上から目線の大人の理屈。こちらで全てを決定したから唯々諾々と受け入れろという圧政行為。
理不尽にこちらの大事なものを奪っていこうとするのは集団感覚喪失事件と同じことだ。
「ワガママだなあ。……
兆治の言葉に応じて湧き出てきたかのように現れた黒服が、
その手は人間の持つような体温ではなく、怯んだところを引っ張られる。
「とりあえず、空いてる部屋に投げ込んできて。
引きずられていくなかで、
人間の正解を出すはずの少女は、無様な少年の姿を見ながら、口元だけでこう言った。
──待ってて。
◇
殺風景な部屋の中、
自分をここに運び込んだ黒服はご丁寧に照明をつけて部屋を出て行った為、上を見ていると眩しさが目にしみる。
「……くそっ」
左手を床に叩きつける。
反動で痛んで出た涙を隠すように、右腕で顔を覆い隠した。
「…………」
……それに対して、自分自身はどうなのだろう。
特別な生まれをしたわけでもなく、凄い実績を持っている訳でもなく。
何かができたと……何かができると思えたこともあまりない。
ギターだって丸一年、握れていない。
「どうして何も、出来ねえかなぁ……」
憧れる少女のようになりたかった。
目の前にやってくる難問課題何もかもを快刀乱麻に一刀両断、世界の全ては自分を輝かすためにあるのだと信じて叫べる主人公に。
一挙一動が正解で身の程を知れと襲いかかってくる現実の方を振り回し従えさせる
勿論、その夢は幼い頃の世界も自分も知らない時期の無謀極まるそれでしかない。
挑戦して来た様々なことは実を結ぶほども行けなかった。
やってきたことは憧れた少女の影を踏むすら無理だった。
けれど、そう、自分にも何か出来ることがあるのだと、思うぐらいはしたかった。
「──よし。開いた」
閉ざされていた扉が外から開け放たれ、部屋の中に廊下の風が吹き込む。
視線をそちらに向けてみると、
「……何しに来たんだよ」
「きみを助けに」
ありきたりでありがちでありがたいとは思えない言葉だった。
「そして──きみに助けを求めに」
そのあとに、ありえない言葉が繋がった。
「……なんだって?」
助けを求めるとは、本来出来ない側が出来る側に望むことだ。
人工心理の少女と一般少年の自分では、どちらが出来る側かと言えば、それは前者であるはずで。
「ユウナギの
「……無理だよ。俺にそんなことが出来るわけない」
首を振る。
疑う余地など何処にもなくて、だからこそ彼女を敵にするのは意味がない。
「あいつは何でも出来る凄い奴だから。世界を飲み込むって言うのなら本当に成し遂げちまうだろう。それを止めるために必要なのはあいつと同じぐらいの超人で、多分俺なんかじゃない。世界の危機だとかそんなスケールの大きい話をどうにかするのは
突き放してほしいと、ほっといてほしいと、そんな風に壁を作ろうとして、
「だったら──なんできみはそんなに──納得できないって顔をしてるの?」
人工天使の少女は、ただ一言でそれを突き崩した。
「……………、え、あ、」
何々をするのが正しいだとか、何々と思うのが正常だとか、そんな問いでは響かなかった。
けど、自分の心がどうなのかを問いかけられたら、それに嘘はつけなかった。
何かを出来るようになりたかった。
何かを出来ないことが嫌だった。
幻奏劇場に迷い込んだ時も、出会った少女に助けられるがままだったことが嫌だったし。
そして今は、
「……そうか、俺、何かが出来るってことを、諦めたくなかったんだ」
ぽつりと漏らしたその言葉は、心の芯にしっくりときて。
「
だけど──そう造られただけではどんな場所でも通用する絶対の答えなんて解らない。
ユウナギハカナの相手をする為の正解は──
「けど、俺なんかが何かの役に立てるかな」
何かをしたいと思っても、出来ることがあるかが解らない。
諦めの壁なんてものはそう簡単には乗り越えられない。
「立てるよ。だってきみはもう既に
「……?」
「昨日のことじゃないよ。もっともっとそれより前──まだ
人工心理の作り方ってね──トライアンドエラーなの。理想的な結果が出るまでなんどもなんども作り直す。
人間の正解を搭載する土台とするための人工心理幻奏歌姫。
けれど一体どんな人格を作れば用意していた正解を受け入れられるのか──研究員達にもはっきりとした答えは解っていなかった。
だからトライ&エラーエラーエラーエラー。何度も何度も人格を形成させては適合性を計測し合わないと諦めては消去する。
それを繰り返し続けても進展がなかったその中でやってきたのが──きみ」
思い出すのは
研究所に潜入して、大事な機材を色々壊してしまった事件。
「あの頃の
だから当時はまだ
そこで
だからそれが、
一方的に見るだけだったとしても、それがファーストコンタクト。
「そこで機材を壊してしまったのはユウナギだったのに──怒られてたのはきみだった。
あの頃の
だから考えて──考えて──考えた。
そして出た結論が──理由なんて必要ないってことだった」
「……」
「とっさに人を助けられる人を──
そう思ったことに──それ以上の理由は必要ない。
だから
利他行為を率先して行う人格。誰かのために動くことができるヒト。
そしてそれが──研究所が求めていた人間の正解を受け止める為の適正だった」
それはつまり、
「
きみが大したことだと意識していないとしても──それは気づかないところで人を救っている」
そう言って、幻奏歌姫は手を伸ばす。
君はきっとこの手を取りたいはずであると、信じるようにまっすぐに。
「きみは──誰かの助けになることが出来るよ。
だって──ユウナギをずっと支えてたのはきみだったし──
少女の言葉に、
「……なんだ、
人工心理の少女は確かに常識を知っていない。持ってる知識も見せる感情も異常なまでに偏っている。
けれど何も知らない訳じゃなかった。何も持っていない訳じゃなかった。
選択肢を奪われて突き動かされる人形ではなく、自由意志を持ってる生き物だった。
自分で自分をこうありたいと定めた上で、望むことをしている人間だった。
「そう。だからきみも──やりたいことを口にしてみてよ。それはきっと──
少女はそう言ってくれるが、
特殊な生まれをしたわけでもないのはただの事実。
何かを成し遂げた実績を持っていないのも過去の記録。
天才少女に届くだけの実力を有していないのは客観的評価。
それらに向き合った状態で自分が何かを為せるだなんて、到底信じられはしない。
けど、ひとつだけ思い出した。
『私は人類史上一番綺麗なものを魅せてあげる。
だからアナタも、世界で一番程度には、カッコいいものを聞かせてちょうだい』
ギターを始めた時のこと。紅い夕日に照らされる中で、少女は笑んでそう言った。
それはつまり、
そう、
あの時の神にも等しかった天才少女も、今の
だとすればそれは何よりも真実だ。こんな現実なんかよりも圧倒的に正しいオラクル。
だったら現実を打ち倒してでもそれを本当にする他ない。
「悪い、
「うん──
伸ばされた手を握りしめる。
ここに協力関係が成立した。
──それでは物語を始めよう。
開始はここから数分後。
舞台は少女の心の中で。
意地を張るための物語。
少年少女のロックンロール。
自分自身を見限るのをやめて歩き出す最初の一歩が、
諦めてなんかいないとばかりに、熱を持って始まった。
【Next】
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