Part3-5
◇
海に臨む都市の空を、涼やかな風が吹き抜ける。
青い空、青い海、青々と茂った芝生の庭。
セントラルタワー中腹の展望テラスに、
シューティングゲーム勝負の後、勝者であるはずの
去り際に「トイレよトイレ! ついてこないで頂戴!」と言われてしまえば男子高校生である
よってこうして二人、
「──ユウナギはなんで怒ったんだろう」
ぽつり、と
この明るい夏空の下には似つかわしくない、憂いの篭った声色で。
「解んない?」
「うん──
「……そっか」
人間の正解を出すために作られた人工心理。
あらゆる人間の思考感情性格行動全てを理解し応対することが出来る究極絶対のカウンセリングシステム。
例え中途半端で投げ出されてしまったとしても、製造意図は存在意義として心の中心に刻み込まれているはずで。
だから人間の行動で解らないことがあるのは、相当な不安になるんだろう。
「人間って複雑だからなあ……」
呟く。そう言いつつも、
「
「──うん」
「やっぱりか……。だって最終局面でボム使わなかったもんな」
逆転アイテムの抱え落ち。
本物の初心者であればよくやることだが、彼女は人工心理体。つい直前に聞かされたことを忘却するほど低い性能はしていない。
だとすれば意図的な行動であるはずで、つまりは勝利の為の行動放棄。
そしてこの推測に
要するに、プライドだ。
絶対に勝てる勝負を挑んでおきながらギリギリの接戦にまで持ち込まれてしまった。
勝利を勝ち取ることは出来たけれど、それも恵んでもらったようなもの。
それが解ってしまったせいで、大人気なさと情けなさに耐えきれない。
けれどもそういう心の動きを、この無垢な少女に説明できるとは思わなかったから、心の中にしまっておく。
いつか彼女が大人になる頃にでも気づいてくれればそれでいい。
そう思いかけて、そもそも人工心理が肉体的成長とかするんだろうかと疑問した。
こちらの疑問も口に出すのはやめたけれど。
「なあ、
「なに──かな」
有彩色の少女が振り返る。
偶像として作られた少女は、そんな何気無い動作ですらも絵画のように可愛くて。
「今日、俺や
「──うん」
その回答にほっとする。
非日常の少女に対して返せるものなど、自分にはそのぐらいしか無かったのだから。
「昨日は本当に助かった。凄え感謝してる。
だから……親父がなにを企んでるのかは知らないが、俺と
何も持たないままの一人でなんて居続けなくていいんだと、そう言えたならいいと思って。
「ありがとう。
──ところで──ねえ──ケイガ」
頬に手を添え、慈しむように撫でながら、次の言葉を口にする。
「きみ──
「ああ。見えてる」
先ほどから顔につけていた眼帯を外す。
隠されていた右目を開き、幻奏歌姫と視線を合わせる。
明らかになったその目の色は、不自然なまでの赤色で。
そして、右目が見つめるその背後。
青い空も、青い海も、青々と茂った芝生の庭も、全てがモノクロームに染まっていた。
誰もいない灰色の街。
世界の果ての幻奏劇場。
「きみの右目は──あっちの世界に持っていかれている。
多分──向こうで死にかけたせいだと思う。
完全に非在化──要するに現実世界で存在としての機能を果たせない状態になってる。
殆ど片目の視力を失ってしまってるようなもの。
謝る
「別にいい。命はちゃんと救ってもらったし、それで文句なんて言ったらバチが当たる」
それに、何も失ってなかったことに気まずい思いはしてたのだ。
全てを失った少女の隣に立ち続けるのに、自分だけ普通でいるのに疲れていたから。
「灰色の街、非現実の領域、集合的無意識につながる庭……。
なあ、【劇場】って安全地帯とか安全期間とかそんなのあったりするか? つまり、
「きみ──凄く度胸があるよね。死にかけた場所にまた行きたいだなんて」
「……あそこだと、
冗談のように、言ってみる。
非現実の世界で歩けたところで、それに大した意味なんてないのは解ってるけど。
それは単なる現実逃避かもしれないけれど。
それは余計な希望を与えるだけかもしれないけれど。
やっぱり、
「っても、あそこじゃ味気なくて喜んでもらえないかもしれないけどな」
冗談を笑いで嚙み潰し、右目で遠くの景色を見つめる。
灰色の空。灰色の海。眼下に広がる灰色の街。
どんな色にも染まっていない、寂しく静かな無彩色の世界。
────その光景が、一瞬にして別の色へと変貌した。
◇
「……われまれた、憐れまれた、憐れまれた………ッ!!」
多目的トイレの中、
頭の中がぐるぐるしている。むかむかとか、悲しみとか、焦りとか、怒りとか、そういった感情の名前が冷静な部分を通り過ぎては破裂して嫌な気持ちを増やしていく。
この世に存在するありとあらゆる万物は自分を輝かせるための題材。
挑戦者は私に打ち倒されるためにやってきて、難題は私に踏破されるために出題される。
多少の失敗を起こしたとしてもそれは逆襲の前振りで最後は正しく私が勝つ。
それこそがあるべき物語。それを違えることなどは、太陽が西から昇るよりあり得ない。
けれどそんな都合のいい物語は一年前のあの日にすっぱり終わってしまった。
だからそこから続くのは、終われなかった者同士の傷の舐め合い。それはいい。
家族を失った代わりに幼馴染との距離は近くなった。
つまり失っていないものが傍にある。それを確認できる限り大丈夫。
そう己に言い聞かせることでこの一年間を騙し騙し耐え続けて来たが、限界だ。
「
天才少女について来ようとしている唯一。
過去においてただ一人だけだった、彼女が凄いと思った存在。
小学生時代、
大雑把な概要は彼が
二人で一緒に忍び込んだら、大事な機械を壊してしまった。大体はそれが真実だ。
ただ一点、実際に機械を壊してしまったのが
忍び込んだはいいものの、適当に歩いてたら迷子になった。
それをごまかす為に両腕を組んで格好つけて機械によりかかってみたら、体重がかかってそのまま倒壊そして一気にドミノ倒し。
これが大問題であることは小学生でも流石に解る。
集まって来た大人たちを前にして、当時の儚那は人生初の恐怖を得ていた。
当時の彼女は天才性を振り回していたスーパースター。やることなすこと全て成功させて来た絶対無敵。
怒られるような失態なんて他人事としか思ってなくて、よってどうすればいいか解らない。
だからこそ、
『ごめん! 俺が壊した!』
自分のものでない罪を、この少年は背負ったのだ。それも一瞬たりとも迷わずに。
それは
自分の道を進むことしか出来ない天才少女には、自己犠牲とか他人の心配とか、選択肢にも無かったから。
その時から、
万能無敵であった自分を心配なんて出来る人。
最強素敵であった自分に並んでみたいなんて思える人。
彼が私を星でいてくれと願うからこそ輝き続けてあげようと、そうやって決意を更新した。
だけどその星は失墜した。他者の為ですらない単なる事故で犠牲になった。
相手の心配に甘えるだけの毎日を、その心地よさで看過していた。
だからこそ、今の
星ですら無くなった価値の足りない自分では、彼を繋ぎ止めきれないと、言われるまでもなく思っている。
そうだとしても、幼馴染の地位は唯一だ。これだけは誰にも盗られない。
そう思っていたけれど、それを脅かすものが降ってきた。
「
おそらく彼女は、自分たちのことを昔の時点から知っている。
幻奏劇場内部に迷い込んだ時、
そのタイミングでは状況の異常さで気にすることではなかったが、しかし彼女の来歴を知れば話は別だ。
人工心理研究所の制作物──つまり
彼女は
幻奏歌姫を現実に連れて来たのも彼の企みだというのなら、その理由は明白だ。
自由意志を持つ人工心理。法に触れる禁忌を犯せるほどのホワイダニット。
(……おじさまは
どう考えてもそれしかない。息子の将来の為以上に親が禁忌を犯す理由などない。
穀潰しの居候幼馴染から引き離し、理想の女性を作り上げそっちを息子の嫁にする。
なんて恐ろしいマッドサイエンティスト。
信じられないクレイジーアイデア。
勿論この発想は混乱の極みに陥った
驚愕と焦りで天才少女はそもそも前提条件から間違っている思考を加速させる。
宿敵は作りかけとはいえ人間の正解を目指して作られた完全少女。
そして本人は命の恩人である上に利用されてることを知りもしない。
その状態で排斥攻撃を仕掛けたらそれは恩知らずで心象も悪い。
ならば己はどうするか。一年間のブランクを抱えて嘗てない敵にどう挑むか。
決まっていた。
天才少女
相手が人工天使でも、その方針で突撃だ。
……つまりデートに連れ出して、
そして、その結果が前述だった。
平常心を装って何度も色仕掛けを挑んでみたが、即座に上回る奴を繰り出され。
昼食時に気を抜いたらその間に
こうなったら直接本人を打ち倒してやる! と対決を挑んだのは間違いだった。
経験のあるジャンルを選び、熟練プレイを見せつけて、終盤に至るまで順調にこなしたにも関わらず、最終的に互角勝負に持ち込まれて。
面目完全丸潰れで、精神的には敗北よりも尚酷い。
「憐れまれた憐れまれた憐れまれた………!!」
嫌悪感をひたすら嘔吐し続ける。
勝利を相手に譲られた。
それは単純に負けるより、尚屈辱として心に刺さる。
強がりの希望で辛うじて形を保っていた心が崩壊する。
相手が私に容赦をしてたという敗北感。
世界が私を中心に回らなくなる孤独感。
運命が私の手中から離れていく絶望感。
崩壊して行くアイデンティティが鳴らす音はバベルの塔が砕ける響き。
天上頂点に存在していた玉座が雲と消えて行き奈落の果てまで落下する。
彼女が抱くは傲慢という大罪でそいつのツケが足元にまで追いついた。
現実という残酷無慈悲な神の裁きは最早彼女を逃さない。
だから全てはもうおしまい。夢見がちだった少女は現実の前に血の花と散る。
それが当たり前の世界の帰結。
世界そのものが引っくり返ったりしない限り、この結末は変えられない。
だから。
そう。
「「この結末を認めないなら、世界を変えてしまうしかない」」
覗き込んだ鏡の中、もう一人の自分が口を開いた。
そうだ。世界はいつの間にか間違えていた。
中心であるべきものが中心でなくなり、主役であるはずのものが主役でなくなっていた。
間違っていると気づいたならば、それは正さなければいけなくて。
そして、世界をあるべき形に戻すための手招きが、鏡の中から伸ばされていた。
鏡の中の自分の手を掴む。
一瞬の後、彼女の姿は現実世界から消えていた。
【NeXT】
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