【Part3:夢見るような夏の日々/要するに都合いい感じにラブコメディ】1
◇
夏休みの朝だと言うのに、目覚まし時計を追い抜いた。
──灰色の街の夢、今日は久々に見なかったな。
夜が訪れる度に見えていた寂寞とした空間が、今日は眠りに割り込まなかった。
もそもそと布団を抜け出しながら、昨日あったことを思い出す。
集合的無意識に繋がる世界。そこで出会った有彩色の少女。
命を助けられたのに、何も恩を返せないままに別れることになった非日常の住人。
あの少女は今日も、あの灰色の街で
「……あいつ自身のことについて、そういやなんも聞いてなかったな」
普通の人間じゃなかっただろうことは、
劇場と呼ばれた世界と同様に、
夢の中にだけいる少女。少年の日に見る幻想。法悦の時に垣間見る天使。
そんな何かの仲間のようで、再び出会えるようには思えなかった。
昨日の出会いは偶然奇跡の一種であって、これからの俺には関係ない。
灰色の街の夢を見なくなったのは、きっと縁さえ途切れた証拠。
夢の中に何かを見る日々は文字通り終わりを告げて、残されるのは現実だ。
何をしたいと言うこともなく、何をすべきかも解らない夏休みが今日も続く。
だから怠惰に身を任せようと、もう少し寝てしまおうかと布団を搔きよせ、
ふにっ。と
何やら、柔らかいものに手が触れた。
「……はい?」
とっさに飛び起き視線を下ろす。
答えあわせは即座にあった。
なにやら少女がそこにいた。
虹色のようなグラデーションの髪を寝台の上にさらりと流して。
瑪瑙のようなマーブル模様に煌めく瞳は両の瞼に隠されていて。
「────!!」
叫び声を上げようとするのを、意志の力で封印した。
これが精神の成長というものか。昨日の大冒険で得られた経験値のなすことか。
二度と会わないと思っていた少女と想定外の再会を経ても、取り乱すことだけは回避した。
しかし。しかしだ。
ここから一体どうすればいいか、
次にとるべき行動を思いつくことが出来ないまま、時計の秒針だけが音を刻む。
(……誰か! 誰かヘルプを頼める相手!)
『女の子 連れ込み 隠し方』で検索された
この状況はまずい。とにかくまずい。
何故まずいのかはうまく言語化できないが、幼馴染が怒ることだけは想像できる。
理由を聞いても答えてくれなくて会話断絶数日間、気まずい日々が確約だ。
「んん……」
少女が喘ぐ声を漏らした。
覚醒が近いのは明白で、見えないデッドリミットが
そもそも彼女は何故ここにいるのか。起こして聞き出した方がいいのではないか。
いやでもこれが彼女自身の意思ならともかく偶然の超常現象なら困らないかな。
意図や経緯を想定するにも手がかり自体が一切なく、解るのは現在状況のみ。
混沌混乱困惑だけが充満している場の空気。
「おっはよぉぉぉん息子ー!! パピーだぞー!!」
それを、やかましい声が切り裂いた。
「お、親父!?」
扉を開けて入ってきたのは、四十代前半ぐらいの男だった。
如何にも科学者ですと主張するような白衣を身に纏い、目元には表情を柔和にするための紫色を基調としたマーブルカラーの伊達眼鏡。
信頼してほしいのか怪しさを感じてほしいのか解らないようなビジュアルスタイルの男はピースサインを華麗に決めて。
「そうです君のお父さん
再会早々ハイテンションな父親を前に、
その後ろでベッドに眠る
「帰って来たら
「待っていたって俺今日は目覚ましより早く起きたんだが。どうやって気づいたんだよ」
「そりゃ当然部屋に仕込んでおいたセンサーで」
「プライバシーという概念を知らんのかこの親父は!」
怒鳴る。けれど兆治はどこ吹く風といった表情で。
「ったく、
「当然仕込んでいるに決まっているじゃないか。彼女の状態を考えなよ」
「………」
正論返しに沈黙する。
態度はふざけるようになっても、父親は相変わらずに一枚上手だ。
「それで、わざわざ突撃までして来て息子になんの用があるんですかクソ親父」
「いいや別に、ただ休みだから息子の顔を見ておこうってだけの日だったよ。……昨日までの予定ではね」
「………?」
疑問符。
予定が増えたと仄めかされると抱く気持ちは警戒で。
今でこそウザ絡みをしてくる父親だが、ほんの一年前までは息子に興味を示さない仕事人間だった訳だ。
なのでたまの帰宅でもやることと言えば研究研究仕事仕事、子供のことはサンプルの一つぐらいにしか思ってないのかみたいな存在で。
その頃の兆治が帰ってくる予兆だったりするんじゃないかと、少し体が身構えた。
「まあその話は後にすることとして。
昨日送ったメッセの通り、
◇
とりあえず、トーストとスクランブルエッグのテンプレセットを作ることになった。
劇場での大冒険をやったせいで、すっかり要望を忘却していたのであって。特別なメニューの買い置きなんぞある訳がない。
「別にメシ食うだけなら
「自分で選んでやることだとやっぱりいつしかパターン化してきちゃうので飽きるんだよね。
だから他人の手を加えて乱数を生み出したくなる時があるのさ大人にはー」
背後からチャンチャンと金属音が聞こえてくるのは食器を鳴らしているのだろうか。
意図的に子供っぽいムーブをしながら何が大人だ、と思いつつ野菜炒めに胡椒を一振り。
「それにね、甘えられる相手がいるときには人間甘えたくなるもんなのさー。
と言う訳で卵にはケチャップでお願い」
「あーはいはい注文が多い親父様ですね」
そう言いつつも冷蔵庫からケチャップを取り出しお皿の上にじゃぶじゃぶ。
その上にフライパンから野菜をどかっと乗せて雑な炒め物料理が完成する。
「んで、食べながらでいいんで教えて欲しいんだけど。今日用事があるってなんなんだよ」
「それはね、うーん、ちょっと具体例を用意してから説明したいんだけど」
「……?」
曖昧な答え方をする兆治に対して疑問符。
一体何があるのだろうかと考えようとしたところで、
「な、あああああああああああああああああああああああああああ!!??」
廊下の方から耳をつんざく叫び声。
「……、一体どうした!?」
駆け出す。廊下までの五歩を瞬間ダッシュ。
そこで
「ん──おはようござい──ます?」
いつの間にか目覚めていた有彩色の少女が、
「な、なな、ななな」
隠蔽失敗状況臨界、数秒後にやってくるだろう爆発の時を想像し、
心臓の音がやたら激しく感じるような緊張感の中、それに割り込むようにして、呑気な兆治の声がした。
「あ、丁度いいからここで説明しておこうか。
この子──
「「はい!?」」
◇
勤めている人工心理研究所でトラブルが起きて、職員が数名入院することになった。
なのでその家族をちょっとの間預かることになったからよろしくね。
「……親父曰く、そういう話らしいが……? 本当に?」
経緯の説明(本当に?)をした兆治はちょっと買い物に行ってくるねと出かけてしまい、喜嶋家には少年少女だけが残された。
すぐにでも必要なものがあるとしたら
「わからない──
この謎めいた少女に現実世界の家族がいるとかそう言ったリアリティはないらしい。
「喜嶋博士は私の調整役の一人だから──何か知っているかもしれないけど──」
「……はい?」
疑問符が漏れた。
謎の少女たる
そもそも調整という表現からして、何らかの実験対象であるようで、
「本当何をやってるんだ、親父……?」
天井を仰ぐ。
当然ながら答えはそこにありゃしなくて。
「昨日は聞けなかったけど、今度は聞かせてもらうわよ。
住所氏名年齢性別生年月日、番組のご感想まで丸っとスッキリ奥の底まであらゆる全部を詳らかにね」
射抜くような
そして告げる。
「
息を吸い、名乗る。
「個体仮称名
ヒトを救うために作られたもの。救済の歌を奏でる幻奏歌姫だよ」
◇
「人工心理研究所はね──人間の正解を作ろうとしていたの」
「人間の……正解……?」
いきなりスケールの巨大な言葉が出てきて
いや、スケールの大きさだけなら集合的無意識とか言われた昨日の時点で相当なのだが、これはまた毛色が違うタイプの壮大さだ。
「そう。人間は間違える生き物だから──正解が必要なんだと研究所の人たちは言っていた。
例えば叱咤。
本来相手の改善を促すための行動が相手を傷つけ自己満足する為のものとなる。
例えば義憤。
本来犠牲になる人を救う為の行動が攻撃性に飲み込まれただ別の形の加害となる。
例えば愛情。
本来相手を慈しみ守る為の感情が束縛や呪いに変化して人を不幸にするだけのものとなる。
人間は善であるべき感情を以って度々悪を為す。
何故そんなことになってしまうのかを──彼らは正解を知らないからだと定義した」
それは人と人とが関わることで発生する悲劇の類型。
正しいこと善きことを正しいままで善いままで実行できない人の業。
おそらくは人類という知性体が心をもった瞬間から繰り返されるトライ&エラー。
「優しくしてくれと言われても、『優しく』するとは何をすればいいか知らない。
相手のことを尊重しろと言われても、何をすれば『尊重』したことになるか解らない。
人間は理想を掲げても何をすることがその理想に沿うものなのかの答えを見出せてない。
だから彼らはこのオメガフロートを管理する
そうして生み出されたのが理想的な人間の精神構造のモデルケースデータ。
人工心理研究所はそれを二十年以上前に完成させていたらしいんだけど──」
そう言って、
半実体のディスプレイに表示されるものは、黒背景に赤字のERRORの数々で。
「そのデータは人間どころか──並の人工心理でも受け止めきれなかった。
理想的な人間をインストールするには──それを受け入れられるだけの精神土台が元から必要だったの。
だから特別に作られた人工心理体が
自由意志と成長性を与えられ──人間の正解に至るための人工女神。それが
「待って、自由意志を与えられた人工心理!?」
「……なんか問題なのかそれ? 人工でも心理って言うなら自由意志はありそうなものだけど」
「問題も問題、大問題よ!
いい
例えばこのペットドールの猫が撫でられたら鳴いたり動くものにじゃれついたりするのも、意思や魂というものがある訳ではなく、そういった生物っぽい、もっと言えばペットとして適した動きをするようにプログラムが組まれているだけ。
けどこの子は違うわ。あの異空間の中でこの子は自分で考えて行動していた。
自主的に動くことが出来るのは意思を持つものの特権だもの。それで彼女が人形でないと理解出来るし、だからこそでの大問題」
意思あるものというのは、それだけで尊く価値がある。
それは素朴で絶対の大前提。
この世で悪と呼ばれるものの悉くが意思の蹂躙によって定義されるのだから、逆説意思を慈しむことこそが世界における絶対善だ。
なので、
「文明が進んでない時代ならともかく、現代においては意思あるものを弄ぶのは倫理的大問題。
だから自由意志を持つタイプの人工心理や自動人形の作成は政府が違法と決定している。
昔出来ちゃった奴は政府の管理下に何体かいるって聞いたことはあるけど、新しく作るのは間違いなく重罪だったはず。
そんな危ない橋を渡っていたのおじさまは……?」
「うん。だからこその虚数研究室。存在しないと隠蔽された禁断の部屋。
「果たせなかった理由があった、と」
「そう。
集合的無意識から流入してくる無数の可能性を擬似生物の形で処理する沈殿池。
そこで急に──想定されてたよりも数段大きな存在規模を持った
クレヨン書きのような筆致と「がおー」とコミカルな叫び声でついつい少し気が抜ける。
けれど大型
「
なのでその強大さは一定の範囲内に収まってバランスが取れるはずだった。
けど──」
「発生したのはあり得るはずがない──たった一体で
他の全ての可能性を食い荒らし食い潰し食い育つ──最強無敵のクリーチャー。
それが発生したことで──人間の正解を作る第三偶像計画は強制中断を強いられた」
「待ってくれ、話が繋がってるように見えないんだが」
起きた問題は
人工心理研究所のバックには
どこを疑問に思ったのか察したのか、人工天使の少女は軽く笑んで、
「簡単だよ。
「あ……」
灰色の街。本来人が踏み入れるべきではない領域。
外に絶対にバレてはいけない企みを行うのであれば、隠れ家としてはそれは確かに適切で。
「
だからね──
今度こそ、話の接続が意味不明だった。
何とか文脈を理解しようとする
「
心が取り扱う全ての領域を扱うことがその構築の最終目標だったから。
半現実化された集合的無意識の領域である【劇場】内部での活動も想定環境に含まれる。
なので
だったら──
「………」
うまく言葉にできないこの感情も、目の前の少女はなんと呼ぶのか知っているだろうか。
「超大型
それが発生した余波なのか──【劇場】はあれから
放っておいたら形而下の方に影響が出てしまうかもしれないらしくてね。
だからその
「おしまいって、そういうもんじゃないだろ……!?」
なんとか形にしようとして、口に出た言葉はそれだった。
ここまでの話で、嫌という程よく解った。
人類を救うだなんて大それた目的のために作られて。
世界を救うだなんて無茶苦茶な役目を押し付けられている。
それが
父親が急に距離を詰めてくるような言動になったのも、恐らくこれが理由なのだろう。
自分たちが作り出した少女に全てを押し付ける罪悪感をごまかすために、実の息子に構っている。
そうだとしたら尚更に、
「誰かが戦わないといけないものがいて──
それで──終わりじゃないの?」
「そういう出来る出来ないの話じゃなくて、お前の意思とか辛さとかそういう……!
あれだ、こう、なんかお前が使ってたアレ! なんか剣とか出してた奴!
あれを使って他の奴が戦うとか、そういうのは出来なかったのかよ?」
「
あれは意志の具現化みたいなものだから──人間にも理論上は出来るけど──人間の心は無数の思考感情が渦巻いている混沌だから。
たった一つの強い思いを形にするのは
「ああ違う、俺が聞きたいのはそう言うんじゃなくて……!」
じゃあどんな答えが聞きたいのかもわからないまま、頭をかいて苦悶する。
次の言葉が浮かんで来る前に、隣の少女から静止が入った。
「落ち着きなさい、
「……悪い」
興奮がすっと引いて行く。
今考えなければならないのは、眼前の少女の過去よりも今で、
「親父がなんかを企んで
問いかける。それに
「……
そう、そこについてはなんともとっかかりが無いのよね。
ただ、目的はわからないけど、何をさせたいのかは予想がつくわ」
「………?」
「自分の手元に置いておきたいからなら、誤魔化して外出する意味がわからない。
いや、そもそもこの家に連れてくる理由すらないのよ。研究所なりホテルなりに監禁していればいい。
だというのに部外者であるはずの私たちがいるこの家に連れてきて、私たちに身柄を預けている。
ならそれ自体が答えなのよ」
「つまり?」
「私たちと絡ませたいのよ。
この子を私たちと一緒に行動させることで、何かが起きることを期待している。
それが何なのかまでは推論するための手がかりないけど」
不完全燃焼感で締めくくり、
モニターディスプレイに映しているのはこのオメガフロートの観光マップで、
「ですから今からこうしましょう。
……デートに行くわよ、
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