Part1-2


 鉉樹島つるぎじまオメガフロート。

 最先端技術の普及実用のため、大企業鉉樹社つるぎしゃが主体となって運営している実験特区の一つ。

 周囲を大海原で囲まれた海上都市という環境で自給自足を可能にするケースモデルだとかなんだとかが謳い文句であるらしいが、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは詳しくは知らない。

 自分にとっては物心がついた頃から住んでいた街で、日常を過ごす舞台でしかない。


 天気は晴天、真夏らしい青の空と大きな入道雲。

 日差しこそジリジリ肌を焼くけれど、気温自体はそれほどでもなく。

 中空に浮くモニターディスプレイの情報窓インフォメーションから聞こえて来るのは、本日のこれからの天気予定。一日中の約束された晴れ模様と、設定気温の25度。

 過ごしやすい程度に演出された盛夏の街で、慧雅ケイガ夕凪ユウナギの車椅子を押していく。


「夏休みの暇な一日、私の役に立つことが出来るのだからもっと嬉しそうな顔をしなさいな」

「……そーだな」


 近くにあった公園の噴水に目を向けて、水面に映る己の姿を見る。

 百七十代半ばまで伸びた身長。日用しているよれよれのパーカー。

 格好付けのつもりでぼさぼさにした髪の毛。

 ひと房だけ入れた赤色メッシュの格好付けはなかなか悪くないと思っている。

 そして反射して映る顔色は、暗いと言われるまでもなく解っていた。


「……ごめんなさい。こんな価値ない私に付き合わせてしまって」


 罪悪感がこもっているのか、か細い声で夕凪ユウナギは呟く。

 生返事を返したら途端に卑屈さが湧いて出る。

 この一年を過ごす中で、本当によくあるパターンだ。


 昔の夕凪儚那ユウナギ・ハカナは、一言で表現するなら天才少女だ。

 学校のテストは百点以外取ったことないと豪語するのはまだ序の口。

 スポーツをやらせれば男子も女子もごぼう抜きして最高得点。

 ゲームを貸せば数日のうちに極め切って貸した当人に10対0のキルスコア。

 学芸会に挑戦すれば台本を渡した翌日にはセリフを全暗記してアドリブ余裕。

 親の勧めで挑戦したフィギュアスケートはトントン拍子に世界大会で優勝連覇。

 目の前に用意された課題はなんであれ圧倒的に踏破して来たスーパーガール。

 それだから、足が動かなくなったと言うことは、初めての越えられない絶望で。

 昔のように、なにもかもを成せる自分ではいられなくて。

 むしろ出来ないことの方が圧倒的に多くなって。

 だから、今の彼女はジャンクドールだ。

 昔のように尊大な態度を取ろうとしては自爆する。

 慧雅ケイガからしても、どんな風に相手すればいいのかわからなくて腫れ物に触るようになる。


「……喉乾いたな」


 なので、話を逸らすことにした。

 個人用の情報窓インフォメーションを開いて、缶ジュースの自販機ページへアクセス。

 鉉樹社つるぎしゃ謹製の推論システムが現在自分が欲しがってそうな飲み物を優先的にリストアップ。

 ずらりと並んだ商品一覧の中から、一番上に出て来た辛口のジンジャーエールを選んでタッチ。

 ガコンと音を響かせて、情報窓インフォメーションから物質化されたジュース缶が転がりだす。


 実験特区でも変わらない形のプルタブを引き開けると、爽やかな炭酸の音がした。

 情報から物質化された飲み物でも、味や喉を潤す力は変わらない。

 強炭酸が喉を焼いていく感覚を味わっていると、服の端を急に引っ張られた。


「ねえ、私にも少しちょうだいな」

「ん。お前好きなの華神サイダーでよかったっけ?」

「別に新しいの買わなくてもいいわよ。ソレ分けてくれればいいから」


 ぐいぐいと頭を押し付けるようにして、ジンジャーエールの缶を奪い取ろうとする夕凪ユウナギ

 シャンプーのいい匂いが間近ですることに困惑する慧雅ケイガだが、押し付ける側は気づかない。

 飲みかけを飲ませるのもあまりよくないだろと、なんとか遠ざけようとして、


「あっ……」


 勢い余って手から離れた。

 缶は内容物を撒き散らしながら地面に落ち、溢れた液体がデータに分解されていく。


「……ご、ごめんなさい、私のせいで、」

「別に、そんな怒らねえよ。ほら」


 誤魔化すように情報窓インフォメーションを開いて、新しいジンジャーエールを購入して押し付ける。

 受け取った手の力は明らかに弱々しくて、彼女の今を現していた。

 最強無敵でなくなった儚い少女。

 一人では何もできなくなってしまったフォーリンダウンリトルレディ。

 日常のありとあらゆるそこここに脆弱性が存在していて、無傷のままに呼吸できない。

 そんな少女に対しては、どう接すればいいかなんて、喜嶋慧雅キジマ・ケイガには解らなくて。

 何も出来ずに目だけ逸らしたタイミングで、耳に聞こえてくるものがあった。


「♪今日も生きるのつまんない

 ♪面倒なことが山積みで

 ♪あれしろこーしろダメダメ一杯、私はどこにも行けなくて

 ♪目に映る奴どいつもこいつも!あいつもそいつも!

 ♪みんながみんな敵なんだ!」


 歌だ。

 声を響かせているのは少し年上の女性だった。慧雅ケイガよりも更に長身の180代後半身長。

 半裸の上にオーバーオールという、夏だからといえ扇情的なファッションスタイル。


「♪私は自由が欲しいだけなのに

 ♪どいつもこいつも邪魔ばっか──ヘイ!

 ……よっ、喜嶋少年。お久しぶり」

「……どもっす、レノン先輩」


 彼女は音楽を一時止め、こちらの方へ歩いてきて、そして挨拶として片手を上げた。

 返礼として頷くと、夕凪ユウナギが袖口を引っ張った。


「ねえ慧雅ケイガ。誰よこの痴女」

「……んぁ、ガッコの先輩。一応」

「けっけっけっけ。一応とはまた悲しいねえ。

 まあオレ今年入ってから登校してねーし反論できねーが酷い呼び方じゃんよ喜嶋少年」


 かんらかんらと笑う女性を前に、夕凪ユウナギは逆に眉をひそめて。


「つまり不良ね。私からの命令よ。こんな巨乳痴女とは付き合うのやめなさい」

「けけけ、喜嶋少年、こっちのちみっこい少年は何者だい? 弟?」

「あら。スカート履いてるのが見えないのかしら。顔についているのは節穴?」

「ハハハ、胸が平らだからわからなかったなー。女性ホルモン出てんのかそのカラダ。

 あとオレ視力はだいぶいいんだぜ? 2.0は越えてたはずだし動体視力もバッチリだ」

「……慧雅ケイガ、本当にこいつと付き合いやめなさい。命令よ」


 溜息をついて額を抑える。

 方向性が真反対の二人に挟まれては、どう対応すればいいものか。


「てな訳で一応ちゃんと自己紹介だ。

 オレの名前は独路城礼音ドクロジョウ・レノン

 将来の夢はミュージシャンで、こうやって人目につくよう路上で日々ライブ中だ」

 じゃきーん、とポーズを決めた後、礼音レノンは再び情報窓インフォメーションから音楽をリピート。


「♪ヴォーパルソードを右手に寄越せ──寄越せ──寄越せ──

 ♪勝利の女神よ私に微笑め──

 ♪ヴォーパルソードで学校を砕け──

 ♪退屈な今日を明日で塗り替え──」


 そこから流れる音楽は、さっき歌っていた曲のサビの部分。


「今日もまたその曲なんですね、先輩」

「ん。ああ。なんかここしばらく新しいインスピが湧いてこなくってさーっ。

 新しいのがビビっと降って来るその時まで、当分これでやってくつもり」


「そう言って確かもう一年ぐらい経ってません?」


「ったってインスピレーションの波はオレの言うこと聞かねえからさ。

 第一それを言うなら喜嶋少年もどうなんだよ。

 最近触ってる? ギター? 中坊時代の喜嶋少年なら無意味に背負って歩いてただろ?

 そんでもってこの公園で歌ってたオレの独唱を目を輝かせて聞いていた。……二年前だっけ?」


「ああ、そういえばそんなことしてたわね慧雅ケイガ。ギターは男の魂だ、でしたっけ?

 あれやめた理由はなんだったかしら、やっぱりギターケースを担いでたら鞄を背負うの忘れて学校に行ったあの日がきっかけ?」


「あの時は前日にテスト勉強の追い込みで寝不足だったんだよ! つまり悪いのは俺じゃなくてガッコの方!」


「ふーん、じゃあ新学期始まった時に筆箱と間違えて裁縫道具を持って来たのは誰のせいなのかしら。

 ローラースケートを履いて来てるのに気づかず、私にどつかれて校門の横の壁に激突したのは?

 リコーダーと間違えてカラオケマイクを持って来てたのも誰の話だったかしら?」


「うぎぎぎぎぎぎなんで覚えてるんだよそんな一々……」


 中学時代の恥ずかしい思い出を列挙され、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは歯ぎしりする。


「まーた随分とバリエーション豊かな思い出だなあ喜嶋少年」


「中学時代、色々とやってましたからね。

 ギター以外にも、なんかやれること見つけられないかとスポーツにゲームに工作からオカルト話まで、目に映ったものを片っ端から触って試してやってみてた時期なんであの頃」


 情報窓インフォメーションを開いて今でも取ってあるアクセサリ一覧を表示する。

 情報化して格納されたバットにマイクにローラーシューズその他諸々。

 ずらりと並んだ小道具は全部喜嶋慧雅キジマ・ケイガの挑戦の歴史だ。


「随分と色んなものが揃ってんな……テレビ局から取材がくれば今すぐバラエティに出れる量じゃん。オレがスカウト貰ったら知り合いのびっくり人間さんとして紹介してあげよっか?」

「量が凄いだけですよ。やった何かで賞を取った経験とかも無いし、そもそも今続いてる奴も無いですし」


 自重するように笑いながら、あんまり期待しないでくれと言う。

 隣の少女に並べないかと色々挑戦してみはしたけれど、そうならなかった歴史だから。


「いやいや笑うもんじゃないって喜嶋少年。

 解りやすいキャラクターをつけるのは大切だ、そうでなきゃ現実に埋没しちまう。

 そんなことにこの年齢で気づいているのは将来有望の証ってやつだ、ハハ!」


 それはそうと、


「──で。オレの歌が好きだって話まで、若気の至りにしねえよな?」

「それはないです」


 喜嶋慧雅キジマ・ケイガはロックが好きだ。

 エレクトリックギターが響かせるクールサウンド。

 自分の思いを音楽に乗せて発射するシャウト&クライ。

 ままならない現実への反抗活動!

 シンプルイズベストに格好良く、端的に言って憧れだ。


「……ねえ慧雅ケイガ、また始めないのかしら。ギター」


 かけられた声に口ごもる。

 しかし夕凪ユウナギの問いは沈黙の前には止まらずに。


「あれだけ自信満々に始めておきながら、私が家に来てからは全然弾いてないわよね。

 ……やめちゃったの?」


 そう、喜嶋慧雅キジマ・ケイガはロックが好きだ。

 ままならない現実に対する反抗を叫びあげるウタが好きだ。

 けれど。自分でそれを響かせる気持ちにはもうなれない。


「──虹色の髪の少女に出会うと、失ったものを取り戻せる」


 唐突に、礼音レノン先輩がそんな言葉を口にした。


「……なんです。それ? 今思いついた新曲のフレーズ?」

「いや、喜嶋少年、『虹色の髪の少女』って聞いたことねーかい」


 問われた言葉に疑問する。

 聞き覚えはない単語ではあるが、しかし脳裏に何かが引っかかったような気がして。


「亜麻色の?」

「それは「の髪の」しか一致してない奴じゃね? それとは違って都市伝説だよ。

 このオメガフロートのおとぎ話。最新技術の都市にあるまじきオカルトの話」

「オカルト? 幽霊や祟りでも出てくるのかしら? 祀るものすらないこの海上都市に?」

「けかかかか、祟りよりかはその逆だな。幽霊の方はひょっとしたらそれかもしれねえけど。


 曰く、


「──虹色の髪の少女に出会うと、失ったものを取り戻せる」

「失った……もの……?」


 呟く。

 そして車椅子に座る夕凪ユウナギを見る。

 自分の立っている場所からは、彼女の顔はうまく見えず。


「具体的に、それはどういうことなんですかレノン先輩」


 何かの希望を託すように尋ねてみるが、独路城礼音ドクロジョウ・レノンはあっけらかんとした顔で。


「さあ? 都市伝説だし詳しくは知らねー。

 ただ、そういう話があるらしいんで、なんか知らないかと聞いて見たけど無駄足かーっ」

「………」

「人の後悔を祓ってくれる幻想存在。願い事を叶えて欲しいという思いに応える妖精さん。

 そんなものがこのオメガフロートのどこかを歩いてる。そんな夢と希望のお話が──」

「あればいいと、思ってるんですか」

「そりゃ、まーな」


 礼音レノンの言葉に、慧雅ケイガも思う。

 取り戻したい失ったもの。当然自分にだってそれはある。

 けれど──それが取り戻せるとは思えない。

 何かのきっかけ程度で取り戻せるものだとも思わない。

 そもそも取り戻したいものの名前もわからない。


「……レノン先輩も何かあるんですか。取り戻したいもの」

「ああ、あるね。この前うっかり財布落としちまってさ。

 結構いい額入ってたから、それ取り戻せたらぱぱーっとステーキでも食えるかなって」

「……ソーデスカ」

慧雅ケイガ、そろそろ時間」


 夕凪ユウナギがまた袖を引く。

 眼前に開かれた情報窓インフォメーションに表示された時刻は、そろそろ移動再開しないとまずそうで。


「ん、じゃあ、また今度センパイ!」

「へいへいグッバイ────」


 そんじゃままた今度会おうぜいと手を振って、独路城礼音ドクロジョウ・レノンは呟いた。


「────出逢いたいよな、奇跡」


                    ◇


「奇跡、奇跡、奇跡……夢と希望のお話かあ……」


 病院への道のりを歩きながら、喜嶋慧雅キジマ・ケイガはそれについて思う。

 一年前までは、奇跡なんてものはないと言うのが喜嶋慧雅キジマ・ケイガにとっての真実だった。

 別にネガティブな話では無い。むしろそれが示すのは楽観的ポジティブの究極系。

 当時の彼の信仰は、「人間に不可能は無い」だった。

 何故なら彼の隣には、夕凪儚那ユウナギ・ハカナが常にいた。

 やろうと決めた何もかもを万全でこなしてきたスーパースタァ。

 彼女が成功するのを見る度に、人間の可能性というものに憧れた。

 自分にも何か彼女と同じぐらいに出来るものがあって、いつかはそれに出会えるのだと、当然の様に思っていた。

 無邪気に運命を信じながら、それに出会うための試行錯誤を繰り返してきた。


 けれど、今の彼は奇跡なんてないのだという思いを拭えない。

 文字通りネガティブな意味で、奇跡を信じることが出来ない。

 世界の主役だと信じていた夕凪儚那ユウナギ・ハカナが失墜したのは、ただの偶然災害でしか無いから。

 なんらかの伏線があったわけでもなく、なんらかの意味合いがあったわけでもなく、ただ大勢の中の一人として被害を受けた無意味なクラッシュ。

 そのあと原因も見つからず、進展も発生せず、ずっとなにも起こらず停滞している。

 運命に見放された後も終わらなかった。

 終わってしまったのに続いている。

 続いて続いて、しかし劇的なことが起きるとは何一つ信じられない。

 見捨てられ果てて見放され果てて、けれども生きていかねばならない。

 そんな宙ぶらりんな状態の名を、きっと人はこう呼ぶのだろう。

 現実。

 現実は頑健で不動なものだ。

 それが打ち壊されることがないからこそ、夢とか奇跡はそういう名前で呼ばれている。


 だから、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは運命が欲しい。

 なにもかもに納得することが出来るための、心を掻き立ててくれる衝撃が欲しい。

 自分はこれに出会うためにあったのだと信じられるもの。

 これを掴めばジャンクドールとなってしまった夕凪儚那ユウナギ・ハカナを救えるだろうと思えるもの。

 閉塞を破壊してくれることを心から求めてはいるけれど、どうすれば出会えるか解らなくて。

 あらゆる全てを解決できる一撃が、運命のように奇跡のように夢希望のように今すぐ降って来てくれないかと、なんとはなしに心で願って、


 そして、通りすがる人の波の中に、虹色の髪を幻視した。


「………!?」


 振り返る。すれ違ったはずのその姿は見つからなくて。

 けれど直感は告げている。それは幻覚でも気のせいでも無く眼前現実。

 だって喜嶋慧雅キジマ・ケイガはその姿を知っている。何度も何度も見たことがある。

 だから見間違いでないことだけは、きっと彼にも断言できた。


「どうしたの慧雅ケイガ。尋常じゃ無い戸惑い方して。スカイフィッシュでも見つけたのかしら」

「いや、違う、なんでもな……いや、うーん、えーと、そうだな。夕凪ユウナギ、ちょっと聞きたいことがある」


 運命でもなく、奇跡でもなく、けれど喜嶋慧雅キジマ・ケイガが唯一持っている異常性。


「何度も同じ夢を見る理由って、なんか心当たりあったりしないか?」


                    ◇


 喜嶋慧雅キジマ・ケイガは、ずっと同じ世界の夢を見ている。

 それは灰色の街の夢。

 鉉樹島つるぎじまと全く同じ外観で、しかし色だけが無い白黒の世界。

 モノクロームの世界の中、虹色の髪の少女が踊り、怪物たちを倒す演舞。

 誰かが歌っているようなビジョンがあって、何者か知ろうと手を伸ばし。

 それがすり抜けて、目を覚ましたのが一年前。夕凪ユウナギが歩けなくなったその日の夜。


 最初はぼんやりとしたイメージで数日に一度だったものが、それからだんだんくっきりと。

 歌声だけが耳に残っていた状態から、彼女の顔まではっきりと。

 繰り返される戦いも、拙いものから洗練されて。

 繰り返される回数も、数日に一度から毎日になって。


 そうして、今さっき現実世界でその姿を幻視した。


 目が覚めた数秒だけ覚えていられる夢の話。

 礼音レノン先輩に言われた程度であれば思い出すことは出来なかったが、現実世界で遭遇したなら流石にはっきり喚起される。


 夢であればそういうこともあるだろうと流すけれども。

 現実であるとするならばあれが何かは気になって。

 幻覚ならば──今度は自分が入院だ。


「夢ね……慧雅ケイガ、脳機能の話についてはどのぐらい知ってる?」

「中学時代に催眠術について調べてた時にその手の本も読んでたからある程度は」

「そう。じゃあまず確認から行きましょうか。

 人間は脳で世界を認識して活動している。

 視覚聴覚その他の五感、それらから情報を取得収集し、脳内に世界を構築している訳」


 夕凪ユウナギはぐるぐると指を回しながら言う。


「今、慧雅ケイガは私の動きを見てる訳だけど、それも現実世界そのものをダイレクトに感知してる訳ではなく、感覚器から入って来た情報を脳が統合してこういう感じの事が起きてるんだろうなと解釈している。

 つまり、人間が捉えている世界は、演算された一種のバーチャルリアリティなのよ」


 けれど、


「それをする為には常に脳を動かし続ける必要があるのよね。

 ずっと脳を動かし続けていると、当然疲労が溜まってしまう。

 だから休息させて、老廃物の除去やデータの整理を行うシステムがある。これが睡眠。

 そして、睡眠中のデフラグ──バラバラになっている情報の結びつけ作業過程の一部を認識しているのが『一般的』な夢……と言われてるわね」


「つまり、夢の原材料は基本的に現実で知っているものであるはずだと」


「理論的にはそうなるわね。同じ夢ってどんな奴? ちょっと詳しく教えなさい」


「バトルものの漫画みたいな奴。誰もいなくなったオメガフロートで、剣持った奴が怪物の群相手に戦ってる感じの」


「剣の形は?」


「レイピアみたいなかなりの細身……いや、剣というよりもフルートに近い細さの笛みたいな剣。そんな感じ」


 夕凪ユウナギは顎に指をあてながら考え込んで、


慧雅ケイガの部屋の漫画は全部読んでるけど、そんな武器使う奴は居なかったはずよね。

 アニメの履歴の方でも最近は現代モノばっか見てた訳だからイメージ元にならないだろうし」


「そうだよなここ一年ぐらいはそういうの見た記憶がないし……ん?」


 同居してるんだから漫画の蔵書を共有してるのは当然として、なんで一人で見てたアニメの履歴まで知っているんだろうと思ったが、なんとなく聞くべきではない気がしたのでスルーした。


「笛みたいな剣という発想も、慧雅ケイガ別にリコーダーでチャンバラとかした経験ないでしょう?」


「あー……確かにやったことねえな」


「そうよね。慧雅ケイガが武器みたく振り回して遊んでいたのは管楽器じゃなくてギターの方だし」


「だよな俺がぶんまわしてたのはギター……ん?」


 ギターを振り回して遊んでいたのは誰かにぶつからないように人気がない場所を選んでやっていたはずなので、なんでそれを夕凪ユウナギが知っているんだろうと思ったが、これも聞くべきではない気がしたので黙ることにした。


「つまり、慧雅ケイガが見てるその夢には、現実で見知っていないもの、考えたことない発想が出てきている。

 これは脳内整理の観点からだと説明がしづらいこと。

 勿論、夢というのは自分の無意識の反映だから、意識してないものを見ることだってよくあるわ。

 けど、そんなものが何度も何度も連続したりするのは明らかに異常な現象よ」


 だから、


「『一般的』で無い夢は、脳科学の話とは別の領域になってくるわ。恐らく私も知らない世界の」


 天才少女でも、解らないのだという答えが返った。


「多分、仰木先生に聞けばもう少し詳しい話を教えてもらえるはず」


「アオギ……?」


仰木星途アオギ・ホシミチ。私の主治医で、元は大学教授だった人。

 教授時代の専攻は幻思情報物理学げんしじょうほうぶつりがく──認知と現実の相互作用の研究者。

 つまり……こういう話の専門家よ」


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