【Part1:燻るだけの夏の日々/つまりは幼馴染との退廃的な依存生活】1


                    ◇


 ──そして今日も、俺は夢の中で目を覚ます。


 灰色の街が広がっていた。

 空は梅雨の中頃のような曇天の色。

 ビルはスクリーンに映したシャドウのような影絵の黒。

 生き物の気配もない都市は当然無人。

 動く物の兆候もない世界は当然無音。

 どこまで見ても無彩色。

 暗澹としていて息が詰まる。

 廃墟のような不変の中で、終末後のような灰色の中で、彩色されたものが一つだけあった。

 少女だ。

 虹色のようなグラデーションの髪を無風の中に靡かせて。

 瑪瑙のようなマーブル模様に煌めく瞳を灰色の中で輝かせて。

 極光オーロラを布にしたような服を身に纏ってはためかせて。

 モノクロームの世界の中に、芸術のように立っていた。


 有彩色の少女が口を開いた。

 息を吸って、吐き出す。それはシンプルな生存活動。

 だがしかし、幻想の少女にそんなものは必要ない。

 ならば理由は他にある。呼吸以外の吐息の用途。


「────、」


 喉を震わせ、体を揺らし、その唇から紡がれる、綺麗な響きは歌だった。


「────、」


 それは心を洗うように。

 それは心を癒すように。

 人の魂を震わせる、天上音色の幻想曲。


 彼女一人のオンステージ。

 誰にも届かず響く歌。

 観客不在の独唱に、しかし寄ってくるモノがそこにいた。

 無人の街に現れたもの、それは主不在の影だった。

 子供程度の背丈のそれは、厚みを持ってそこにあり。

 ゆらり、と。

 墨のような黒が立ち上がり、人の形をして揺らめいた。

 言葉無くして放つのは敵意。

 視線無くして向けるのは殺意。

 少女の周りに円をなして湧き上がる影法師の群れは、一目でわかるパーフェクトエネミー。

 世界の色をなくす為、世界の音を止める為、彼らは少女に殺到する。


「────、」


 歌うのを止め、少女は周囲を睥睨する。

 そして右手を前へと伸ばした。

 果たしてどこから取り出したのか、武器となるものを握りしめ。

 それは細身の片手剣。鈍くキラリと輝いて。

 剣の用途が何かと言えば、それは当然戦いで。


「──この無意識の劇場から、世界に響け天使わたしの歌」


 少女は言葉を口にする。

 それは演舞のスタートコール。

 地面を蹴って駆け出して、少女は剣の舞を踊る。

 まず眼前の影法師を一閃。

 その勢いで宙返り、背後にいたはずの一体を、唐竹割りに両断する。

 動きをそこで止めたりはせず、振り向きざまに三体を薙ぎ、迫るもう一体に突きを入れ。

 流れるようなソードダンス。

 舞踏のようなトーテンタンツ。

 灰色の街はまるで舞台。彼女を魅せるライブステージ。

 その劇場の演者たる、黒の影たちに変化があった。

 少女を襲うのを取りやめて、代わりに群れて集まり出した。

 集まって、集まって、そして起きるは融合合体。

 先程と比べて十倍は大きい、影の怪物が現れる。


「────」


 しかし少女は怯まない。

 しかし少女は恐れない。

 何故なら彼女は知っている。

 眼前の怪物のようなものよりも、己の方が強いことを。

 何度だって何十度だって、百度を超える回数も、それを斬り伏せて来たのだから。

 故に彼女は今日も勝つ。

 一閃────手にした剣をただ使い。

 影の巨人を一刀のもとに切り伏せる。


 そして一瞬遅れて爆発。

 曇天が雨を降り注がせるように、弾けた影が液体のようにばしゃばしゃと。

 影のしずくを浴びながら、少女はスカートの裾をつまみ一礼した。

 今夜の演舞は終わりだと、観客へ向けて告げるように。


                    ◇


「……なさい、起きなさいってば。ねえ、起きてくれないのかしら。起きてってば!」


 ぽすこん、と胸元に何かが当たる衝撃で、喜嶋慧雅キジマ・ケイガは目を覚ました。

 瞼を開き、視線を自分の胸元へ向けると、そこには小さなネコのぬいぐるみ。

 俺はこれをぶつけられたのかと思いながらまばたきし、意識を覚醒させていく。

 少し視線を上へ向けると、視界に入るのは色彩に満ちた現実世界。

 モノクロームの夢ではなくて、慣れ親しんだ自分の部屋。

 机の上に開いたまま放置している夏休みの宿題。埃を被って部屋の隅に放置されたエレキギター。脱ぎ捨てられた髑髏模様で派手派手なシャツ。格好つけて買ったはいいがぶかぶかで二度も着てない革のジャケット。


「全く、お寝坊さんね。慧雅ケイガ


 そして、同居している幼馴染。


 夕凪儚那ユウナギ・ハカナ喜嶋慧雅キジマ・ケイガの従兄妹の少女だ。

 年齢は同じ十六歳。百五十センチを少し超えた程度で小柄な体躯。

 赤色アンダーリムの眼鏡の奥に薄紫色をした瞳を湛え。

 浅葱色の長髪に王冠のような髪飾りを付け、結ばず腰のあたりまで伸ばしている。

 服装はショート丈ノースリーブにジャケットを羽織ったヘソ出しスタイル。

 下半身はショートパンツに膝丈までのニーソックスとこれも大きく上腿を露出した格好。

 可愛さよりも格好よさを打ち出した、サマータイプのクールファッション。


「……今何時」


 呟く前に目の前に情報窓インフォメーションが展開される。

 宙空に浮かぶ半透明のウインドウにデジタル文字で書かれた時刻は午前九時の三十分。

 手で払ってウインドウを閉じると、彼を覗き込む幼馴染の顔が真正面にあって。


「医者の先生との約束は十時半なのだから早く着替えて頂戴」

「呼ばれてるのは夕凪ユウナギの方だろ」

「連れて行ってくれないの? この状態の私に一人で病院まで行けと言うのね。……薄情な人」


 自分の乗っている車椅子・・・・・・・・・・・をつつきながら、夕凪ユウナギは不満げに言葉を漏らす。


 ──夕凪儚那ユウナギ・ハカナは歩けない。

 丁度一年ほど前の話だ。大きな事件がこの街であった。

 集団感覚喪失事件。

 その日突然、なんの前触れもなく街の人から感覚が消えた。

 車を運転していた青年の腕がいきなり動かなくなった。

 機械を操作していたおじさんが視覚を失った。

 ニュースキャスターのお姉さんの口から急に言葉が出なくなった。

 フィギュアスケーターの少女が歩く能力を喪失した。

 正常な社会運行が突如中断崩壊したその余波で、連鎖的に事故が発生。

 最終的な死者数は五百余名。だがなんらかの障害を負った数に至ってはその百倍。

 夕凪儚那ユウナギ・ハカナの家族もその時共に失われ、そして親戚である慧雅ケイガの父親が引き取ったわけだ。

 慣れないな、と慧雅ケイガは思う。

 彼女と同居するようになってから約一年。

 足を止めたままの彼女に、どう接するのが正しいのか、未だに掴みかねている。


「───キュピー! オハヨウ! オハヨウ!」

「うわわわぁっ!?」


 突然手元のぬいぐるみが騒ぎ出し、慧雅ケイガは手元であたあたふたふた。

 動き始めたぬいぐるみの猫はぴょこりと二本の足で立ち、そして慧雅ケイガにダイビング。


「うごおわっ、首、首に巻きつくな毛がくすぐったくてこの、うわ、やめろお前、」

「くくくくくく。大成功。兆治おじさまもいいものを渡してくれたわね」

「あんのクソ親父の土産かーっ!! くそ、器用に逃げやがって、どんなAI乗せて……!」


 慧雅ケイガの父親、喜嶋兆治キジマ・チョウジは人工心理研究所なる組織の研究者だ。

 簡単に言えば人工知能に搭載する人格ロジックを開発研究しているところであり、その副産物として実験に使った愛玩用のロボット類を持って帰ってくることがたまにあるのだ。

 昔は自分の分野にしか興味がなくあまり家に帰ってこない不愛想人間だったのだが、一年前、夕凪ユウナギを引き取った時に急に何を思ったのか方針を大転換。

 いい歳して自分のことをパピーと名乗りベタベタ絡んでくるハイテンション芸風に目覚め、それでいてあまり家に帰ってこないことにはなんの変わりもないので、慧雅ケイガからの心象は無興味からマイナス方向に振り切れている。


「そうそう、おじさまからメール来てたわよ。

 『明日は久々に研究所から帰れるので慧雅ケイガの手料理が食べたいな☆』ですって」

「親父が? なんで俺に直接メッセじゃなくて夕凪ユウナギに……ってそうか、着信拒否してたか」


 まとわりつく猫ぬいぐるみを苦労の果てに引き剥がして、慧雅ケイガは頭を軽く掻く。


「昔はあんなに俺のこと遠ざけてたのに、なんで今更ベタベタしてくるんだか……」

「研究室に忍び込んだのも五年……じゃないわね、六年も前の話だし、許してくれただけなんじゃないかしら」

「そうかなあ……」


 息子よりも研究の方が大事であることを取り繕う気も見せなかった仕事大好き人間、というのが慧雅ケイガの認識する父親像なので、急激な方向転換をされたところで距離感の取り方はよく解らない。始めのうちは時間が解決してくれると思っていたが、いつの間にか一年も経ってしまっていて、親を見るにも幼馴染を見るにも、なんだか居心地の悪い日々が続いている。


「そもそも、人に手料理要求するならなんか食べたいもののリクエストでもセットでしろよな……」

「兆治おじさまは慧雅ケイガの選んだものが食べたいのでなくて? あなたの好きなものを」

「俺の方で選んだら、相手がそれでいいと思ってくれるか自信がないんだよ」

「ならば腕前を磨きなさいな。クオリティさえ高ければ相手の口は塞げるもの」

「ソレが出来たら苦労はしねえよ」

「……そうね。出来てた頃に苦労なんてしてた記憶は一切ないわ」

「………」


 口ごもり、右手を振って出ていってくれと促した。

 きこきこと車輪の音を立てて夕凪ユウナギは出て行き、扉がしまる。

 誰にも声の届かない中、慧雅ケイガは呟く。


「……出来るようになりたいよ」


 神様とかそういうものに、届いたらいいなと思いながら。


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