第20話涙のような(原稿用紙に書き移していないもの)

 夜空に舞う花びらは、端から見ていて、何とも言い様のない光景だった。


 それを寒さに震えながら、眺めている僕も、どうかしていると思う。




 俳句を作る為だけに、朝一番で新幹線に飛び乗り、静岡に着いたのは、まだ太陽が頂点に達していない頃。


 それから、運良く取れたビジネスホテルまで、ろくに整理もせずに詰め込んだトランク片手に歩く。


 駅からホテルまでは、10分程度の道のりだったが、

すれ違う人達の口から出る話題は、“河津桜”で持ちきりだった。


 河津桜というのは、ご存じの通り、河津町の河原等に咲く桜である。


 写真で見た限りでは、3月上旬に満開になるピンクの花びらまるには、日頃の疲れや悩みを、優しく包み込むような力が感じられた。


 それを間近で見たら、僕はきっと興奮し、筆を取らずにはいられない。


 今は2月。


 5部咲きぐらいにはなっているだろうと予測し、ろくに調べもせず、新幹線 《デンシャ》に飛び乗り……


 そして、今に至っている。


 実は、誰も知らない話が一つだけあって、この川原に咲く桜の中に一本だけ、戦争時代を生き抜いた木があるようだ。


 僕はこの目でその木を探し出し、俳句を作る計画をたてている。


 その木は一体僕に、何を語りかけてくれるのだろう?


 弾む心が、ホテルに着くまで止まらない。


 少しでも早く、その桜に会いたいという気持ちを何とか抑え、僕はホテルにチェックインした。





 夜。

 時間は8時頃。


 僕の腕には、腕時計はない。


 単純に時間を感じたくなかったからだ。


 それだけ、目の前に佇む桜と一緒に居たかったのである。


 夜空に浮かぶ、戦争を生き抜いた桜。

 

 聞けば、誰でも見られるわけではないという。


 それは、地元の人にも同じことが言えた。


 訊く人訊く人、口を揃えて“知らない”“見たことがない”という。


 何軒も、そして何人かに訊ねて、漸く辿り着いたこの桜の前で、僕は縁があったことに深く感謝をした。


 暗くて足元が危ないだろうと予測した僕は、風に身を任せて揺れている桜に習い、そこに立って眺めることに。


 他の誰かを誘うかのように、ゆっくりと前後左右に揺れ、まだ満開と言える状態ではない花びらは、通りすがりの人達の足元を照らす、可愛い雪洞 《ボンボリ》に見えた。


 僕もこれに照らされているのかと思うと、胸が熱くなる。


 それと同時に、昼間にくれば良かったという気持ちが湧いてきた。


 そうすれば、もっと細かくこの桜の姿を説明することが出来たからである。


 夜に訪れようと決めたのは、不思議なことが起こるという噂を、ホテルの従業員に聞いたから。


 その話に魅了した僕の負けだから、今夜は寒さと共に付き合うことにする。


 凍えるぐらいの寒さに耐えるように、口を一文字に結んだ僕。


 そんな僕に不思議な現象を見せてくれたのは、到着してだいたい30分程した時だった。


 まだポツポツとした蕾が多い筈なのに、一片、二片と花びらが夜風にさらわれていく。


 突然の光景に唖然とした僕に、見向きもせず、桜吹雪は静かに続いた。


 何と無く差し出した掌に舞い落ちた花びらは、淡雪を思わせるかの如く、その場から消えていく。


 それはまるで、悲惨としか言いようがない“戦争”の犠牲者達の虚しさが滲んでいるように、僕には感じられた。


 僕は、この時を刻み込もうと、筆を取る。


 だが……


 無知な僕には無理だった。


 いや、桜の心が書かせてくれなかったという方が正しい。


 戦争に負けた人々を、何も言わず、ただただ自分の傷ついた姿をありのままに見せて、慰め続けてきた桜。


 どんなことにも負けないというその気持ちは、無敵過ぎて……


 僕は圧巻を感じさせ続ける花びらが舞う中で、筆を下ろす。


 そして、決意した。


 君が無敵なら、僕もそうなる。


 必ず君のことを俳句 《ウタ》にする。


 「だから、今はこのままで……」


 ポツリ呟いた僕は、不思議な現象を起こしてくれた桜の姿を、心に焼き付けようと、その場に佇み続けた。


お仕舞い


令和5(2023)年1月26日1:52~10:35作成


Mのお題

令和5(2023)年1月10日

「春、無敵、河津桜」

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お題3つの超短編小説 淡雪 @AwaYuKI193RY

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